FC2ブログ
ぼやき大爆発
世捨て旅行者の雑記帳
世界ケンカ旅行(マカオ編) 第1部 最終回
マカオの日帰り旅行から香港に戻って2日後、いよいよ日本に帰国する日がやってきたのである。

私はカイタック空港から飛び立とうとしている成田行きの旅客機の中にいた。機体が動き出し、窓からは香港のビル群が流れるように見える。

香港最後の日々はゲストハウスに置いてあった文庫本の読破で時間をつぶすだけで終わった。ジュンさんが挨拶もせずに中共に旅立ったのが謎だったが、そこはバックパッカーの自由奔放なところで、気が向けばいつでも移動できる身軽さなのであろう。


考えてみれば、この旅行で、私が貧乏旅行の魅力にとり憑かれてしまったことは間違いない。

しかし、旅というものが、まさか人生を変えてしまうほどの存在になるとは、この時点では知る由もなかったのである。


第1部 極東編 完



第2部 欧州編に続く 乞うご期待!(再開時期未定)


世界ケンカ旅行(マカオ編)
マカオの観光スポットと言えば、セントポール寺院跡であろう。

ところが、これはとんだ食わせ物で、大抵の観光客にとっては期待ハズレに終わる。
最初見た瞬間、その巨大な寺院の正面像にいたく感動はするものの、本堂の階段を上がっていくにつれ、実はそれが壁1枚でバランス悪く建っているだけであることに気が付く。

まるで張りぼての映画セットのような全体像は極めて安っぽく、横から眺めると何が何だかまったくわからない。

落胆していると、観光地にはお決まりの物売りが近寄ってきた。

商品を駅弁スタイルで運び、これと見定めた客に付いて回るスタイルである。ただし、私に声をかけてきた男の売りつけようとしていた商品は一風変わっていた。

それは、文革の嵐が吹き荒れた頃に出回っていた毛沢東語録、そして毛沢東バッジであった。


毛語録は赤い小冊子で装丁はどれも同じだったが、バッジの方は種類がいろいろあって見ているだけで面白い。

丸いバッジだけではなく、四角のもの、リボン型のものなど大小雑多にある。中共でも街頭で売られていたが、種類の多さではここが一番であった。

「これ1個いくらするの?」
私は値段によってはいくつか買って帰るつもりだった。

「1個30香港ドル、安いよ」
物売りの男は私が熱心にバッジを吟味していたので脈ありと見ていたようである。確かに香港から入った観光客にしてみれば微妙な値段に聞こえる。バブルで金満となった日本人観光客なら男の言い値で買うだろう。
ちなみに、香港ドルはマカオでも普通に流通しているが、若干こちらの通貨の方が安い。


「おいおい、上海では1個3元で売ってたぞ!もっと安くしろよ」
中共での貨幣価値をそのままマカオにスライドさせるのは無理があるが、同じモノが20倍で売られていることに腹が立つ。

「じゃあ、20ドルにまけときますよ」

「何言ってんだ? 1個1ドルにしろ! どうせ只同然で仕入れたんだろ?」
そう言う自分でも、これは無理だと思った。

男は、あっちに行けと言わんばかりに手を振って拒絶の意を表した。
私は振り向いて男から離れるように歩いた。

すると男は追いかけてくる。
「ちょっと待って、10ドルでいいよ。10ドルね!」
男は私を引き止めるように前方に回った。

「よし、儲けさせてやる。5ドルだ。いいな!」
私は勝負に出た。

男は少し考えて
「じゃあ、3個買ってくれたら20ドル」
と言った。

「バカ言うな!3個なら10ドルだ。昼飯食えるだろ!」
私はそれでも高いと思っていたが、記念品としては悪くない。

折れてきたのは男の方だった。
「わかった。3個10ドルでいい」
男は言った。
渋々といった表情をしていたが、本当に只同然に仕入れているはずであるから利益は当然ある。



私は男から買った3個の毛沢東バッジを眺めた。
そして、物売りとの交渉というものは、ことすべて左様に面倒臭いものであると実感した。













世界ケンカ旅行(マカオ編)
香港からマカオに入って最初の印象は誰しも同じであろう。

とにかく、視界にビルしか見えなかった雑踏の街である香港から入ると、マカオはのどかな田舎にしか見えない。
息苦しいほどの閉所感から解放されて、日帰りどころか数日ほどゆっくりしていきたい気分になる。

私とジュンさんはフェリー埠頭で入国審査を終えた後、それぞれの行動を取るために別れることになった。ジュンさんは、1時間ほど市街で時間をつぶして折り返し香港に戻るという。文字通り、今回は香港での滞在期間を延ばすだけのマカオ行きであった。

彼女とは今晩にも香港のゲストハウスで再会するはずだったので挨拶もほどほどで別れた。しかし、結局はこれが彼女を見る最後になったのである。

さて、私の方は狭いマカオをぐるりと徒歩で1周することにした。


日本でいう春のような陽気の中、軽装での散歩は至極気持ちがいい。
マカオの起伏ある坂道は、ある種、狭い香港で生活するストレスの発散としては最高であった。

風景を楽しむうちに、すぐに島の半周ぐらいは踏破してしまう。私はいつのまにか市街の中心部まで到達していた。





世界ケンカ旅行(香港編)
私はリチャード君と香港の下町を歩き回った。

ここは「燃えよドラゴン」のオープニングで出てきたような古い情景がまだ残っている地域である。見上げれば、洗濯物を干した竹竿が窓から突き出して、道路上にせり出している。
さらに、建築中の高層ビルでは作業足場の骨組みに竹竿が使用されていて、繋ぎ目は紐で縛られているだけだった。ここでは竹竿が大活躍である。

「ビルから物を投げ捨てる人が多いですから、気をつけてください」
リチャード君が注意を促した。

彼の気乗りしない表情が気になったが、多分、香港の汚い部分を見られたくなかったのだろう。いずれにせよ、私のようにスラムや古い町並みに興味を持つ観光客は珍しいかも知れない。

「夜はビクトリアピークにでも行きませんか? 天気がいいですから」
彼がしきりに勧めるので私もムゲに断るわけにはいかない。確かにビクトリアピークは行きたかったが、私にとっての優先順位は低かった。


夜までの時間つぶしで2人はモンコクの専門店街に向かい、カメラやアウトドアショップなどを見て回った。まだ量販店の展開がなかった日本に比べればかなり安い。
香港買物ツアーと称して、ブランド雑貨購入を目的に日本から観光客が押し寄せてきたのはこの頃である。









世界ケンカ旅行(香港編)
「九龍城に行きたいんだけど、いっしょにきてくれないか?」
リチャード君のアパートの近くにある食堂で、私は唐突に切り出した。
というのも、九龍城はそこから歩いて行ける距離だったからである。

リチャード君はコーヒーをすすりながら私に目を合わせた。

「そんなとこ行ってどうするんですか?」
彼は不思議そうな顔をした。

リチャード君によると、九龍城砦は単なる雑居ビルが密集しているだけで、行く価値などないという。
しかし、ここまでやって来た以上、とにかく現地だけでも見ておきたかったので、乗り気ではなさそうな彼に頼んで付いてきてもらうことになった。


はたして、現地に到着してあたりを見回すが、九龍城砦がどこなのかわからない。

「ここがそうですよ」
リチャード君は我々が通る歩道の横一面を手で仰いだ。

九龍城砦は航空写真で俯瞰させて見ると凄いスラムに見えるが、地上で見るとチョンキンマンションとそれほど変わらない。我々はすでに九龍城砦の一角を歩いていたが私が気付かなかったのである。

一階には雑貨屋などもあるし、子供が遊んでいる。明らかに期待していたイメージとは違っていた。

「ちょっと中に入ってみないか?」
私は彼を誘った。

「う~ん、中で迷うかも知れないですよ。まあ、人に聞けばいいんですけど、入りたくないなあ」
彼はやんわりと断った。

香港の古い建築物が迷路のようになっていることは、チョンキンマンションや彼のアパートでよくわかっていた。つまり、この九龍城砦が日本で紹介される場合の説明で、「一度入ると出られない」というのは、そういう意味だったのだ。早い話、リチャード君のような香港人だったら、誰かに通路を聞きながら外に出ればいいだけなのである。

なんだか九龍城砦の正体を垣間見たような気がした。




世界ケンカ旅行(香港編)
香港の住宅事情は皮肉を込めて、マッチボックスと呼ばれていた。
その表現は、日本のそれが「ウサギ小屋」だったことに似ている。つまり、香港は文字通り、幾重にも積まれたマッチ箱のように狭いというわけである。

リチャード君のアパートの間取りはチョンキンマンションのゲストハウスと非常に良く似ていた。
狭いキッチンとトイレ兼シャワールーム、そして8畳程度のリビングとベッドルーム3つで、日当たりは悪く、狭い窓からは向かいのアパートが見えるだけである。下層階なので窓から上空を見上げないと青い空さえ見えない。

リチャード君は私を迎えに下に降りる直前だったという。このアパートの構造だと、それしか確実に会う方法はなかったのかも知れない。いずれにせよ、運よく直ぐ入ってこれたものである。

リチャード君に招かれ、私はリビングの木製の長椅子に座った。彼はつれて来てくれたおばさんと何やら話しをしていた。状況を説明しているのだろう。

おばさんが帰ったあと、リチャード君は私にコップに入れた水を出してくれた。
奥の部屋では兄さんらしい人が物珍しそうにこちらを見ながら着替えをしていた。

「あれが私の兄です。奥の部屋は兄弟3人の部屋、こちらは両親の部屋、こちらは祖父母の部屋ですよ」
リチャード君は指差しながらそれぞれの部屋を説明した。

「どうですか?日本の家よりすごく狭いでしょう?」
彼は私に同意を求めた。

正直、世辞としても褒められない狭さであった。息子3人の部屋には2段ベッドとシングルベッドがひとつずつと、共用の机が置いてあった。いい大人に個室がないのは不便であろう。3世代同居といってもさすがに夫婦の部屋は別々であるが。

ただ、すでに核家族化が一般的となっていた日本からすると食事時は楽しそうな家庭にも思える。

「日本も狭いもんですよ。まあ、外に出て話しませんか?」
私は答えた。

雰囲気的に、祖父母も父母も息を殺して部屋で私が出て行くのを待っているようである。1人ずつ自己紹介でもするのかと思っていたが、多少期待はずれの感があった。私は招かざる客であったのだ。

さて、明らかにリチャード君は日本の住宅事情を過大評価しているようであった。

我々日本人が昭和30年代にアメリカ製のテレビドラマで繰り広げられる健康で豊かな消費生活をそのままアメリカの実情であると錯覚して、あの国に憧れをもったように、香港人も日本製のドラマを鵜呑みにしているふしが見られる。

実際の日本では6畳ひと間、トイレ共同のアパートだって数えきらないほどあった時代であった。















世界ケンカ旅行(香港編)
香港到着の翌日、さっそく、リチャード君に会うことにした。

事前にゲストハウスから住んでいるアパートに電話連絡したものの、受話器に応答したのは兄さんで、本人は外出しているとのことである。そこで、アパートに直接出向くと伝えた。

リチャード君の居所は九龍半島では下町とも言えるトカワンの団地にあった。そこは空港に離着陸する旅客機がビルをかすめるように目前で見える場所に位置していた。

私はまず、地図で住所を確認してから、バスでアパートの近くまで到着した。そこからが大変である。

通りの名前と番地からアパートの「あたり」は付けたが、入り口がどこかわからない。そこで、表通りから裏通りに回ると、縦1列ごとに鉄格子の狭い扉がいくつかあるのを発見した。しかし、一見してそれぞれの扉がどのブロックなのかを示す表示がない。近寄って格子の間から覗くと、壁に白いペンキで殴り書きしたように、「A座」とか「B座」などという、小さくてわかりにくい表示があるのを見つけた。
香港人、いや、シナ人の猜疑心の強さなのか、外部からは、そこが出入り口であること自体がわかりにくいようにしてあるのだ。
しかも、入り口には呼び出しブザーなどというものはなく、外鍵を持っていないと建物内には入れないようになっていた。泥棒や押し売り除けとしては完成度が高い。
仕方なく、私は誰かが出入りするまで待つことにした。

20分ほど待っていると、住人と思われるおばさんが帰ってきた。

おばさんには、自分が旅行者であり、リチャード君に会いに来たことを説明して、中にいっしょに入れてもらうことになった。

そのあばさんは、リチャード君の住む6階までいっしょに案内してくれた。おそらく、純粋な親切心からというよりは本当に自分がリチャード君の知人なのかを見届けるためについてきたのだろう。香港人の警戒心は強い。

ようやくリチャード君の家の扉の前に到着し、おばさんがブザーを鳴らした。

このアパートも、チョンキンマンションと同じく、各居住部屋の入り口は2重ドアの構造になっていて、外側は鉄格子である。薄暗い雰囲気も手伝ってか、まるで牢獄に住んでいるようであった。

ほどなくして、ドアを開けて応対したのは、他ならぬリチャード君自身であった。












copyright © 2005 ぼやき大爆発 all rights reserved.
Powered by FC2ブログ.
★付属掲示板へはココをクリック★