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ぼやき大爆発
世捨て旅行者の雑記帳
世界ケンカ旅行(東欧中東編 最終回)
カイロからアレクサンドリアまで、列車で移動した。 時速50キロくらいのゆっくりとしたスピードで風景を楽しみながらの旅である。 
ナイル川下流から地中海沿岸に広がる肥沃なデルタ地帯には緑も多く、様々な農作物も作られていた。
次に、ここから西に向かう列車に揺られながら1時間もすると、徐々に緑は少なくなり、ついには完全な砂漠地帯へと突入していく。

のんびりと走る鉄道に2時間以上揺られて、私はアレクサンドリアから100キロほど離れたエルアラメインの駅に到着した。

駅と呼ぶにしては、駅舎は小さく、まさに停車場と言うほうが相応しい粗末な施設であった。
アレクサンドリアとエルアラメインでは、列車は1日に2本しか行き来しない。 次の東方向の列車は夕方に1本あるだけであった。

プラットホームに立って四周を見渡すと、荒涼とした砂の大地が広がっていた。 半世紀昔、この砂漠の向こうで独英の精鋭部隊が激闘を繰り広げたと思うと胸が熱くなった。 当時、この駅のプラットフォームでは、アレクサンドリアからピストン輸送された連合軍の戦闘車両が下ろされ、次々と前線に移動していったはずである。

私はしばらく夢想に耽った。

地図で戦争博物館の位置を確認して、兵士にでもなったつもりで闊歩して目的地に向かう。 エルアラメイン戦争博物館の展示物は、欧米の同種のものと比べて特に目新しいものはないが、やはり、戦跡の近くに存在するということに意義があるのだと思う。
施設はお粗末で、それはカイロ博物館にも共通するものがあったが、エジプトの国家としてのレベルをそこに見ることができるとも言えるだろう。

私は見学を終えたあとも、帰りの列車を待つために、この、何もない町で6時間以上も過ごさなければならなかった。
日差しは強いが、乾燥していて汗はまったく出てこない。

結局、広がる砂漠と、一方で青々とした海が美しい地中海を臨みながら、今回の旅行の最終目的地を存分に堪能して時間を潰す以外になかった。

あちらこちらを歩いていると、アレクサンドリアに向かう乗り合いタクシーやバスがあることを知り、帰路はこれを使うことにした。

なんだかんだ考えながら、私はエルアラメインを後にした。 (未完)

世界ケンカ旅行(東欧中東編19)
バックパッカーにとって、訪問国の居心地がいいかどうかは、物価が安いかどうかが最重要ポイントになってくる。
しかし、ただ安ければいいというものではなく、国民性との兼ね合いや、治安・気候風土があるから話は複雑になる。

例えば、インドとネパールは物価においては同等だが、インド人に一癖あって、気候も微妙、北インドに限ればメシは日本のネコマンマ以下、という劣悪環境もあって、「インドの地獄、ネパールの天国」などと揶揄されたものであった。
ただし、これも個人の趣向に委ねられていることで、インドが大好きで仕方がない旅行者も実際に存在するからややこしい。

さて、エジプトに話を戻そう。
この国の物価は東欧と比較していい勝負。 ホテルはシングルで3ドルくらいからあるし、6ドル出せば1つ星ホテルに宿泊できた。
しかし、世俗化が進んでいるとは言え、ムスリム国の雰囲気というのは独特のものがあり、文字・数字も独特のアラビア語で、理解できないとすべてが模様にしか見えない。 
しかも、エジプト人というのは調子者、かつ、嘘つきで、わかりやすく言うと、「ゲゲゲの鬼太郎」のねずみ男に近い性格を持っていた。変にインド人と共通点の多い民族である。 まあ、モロッコ人のアクの強さに比較すると、多少は温厚な性格のようだ。

私はカイロ博物館に近いロータスホテルに宿泊していた。 シングル6ドルに朝食付きと格安の部屋であった。

到着した翌日には早速、ピラミッドとスフィンクスを見に行った。

この世界屈指の観光名所は市の郊外にあるというよりも、中心地の端に隣接していると言ったほうがわかりやすい。 ホテルからは直線距離で空港よりも近く、私は市内バスに乗って現場まで行った。
ちょうど、ピラミッドが位置する場所から西一面からは砂漠が広がっていて、それなりに緑地もあった市街地とは情景が一変していた。

さて、カイロ観光はわずか2日で終わり、私は北の港町・アレクサンドリアに向かった。
私の場合、エジプト旅行最大の目的はピラミッドや古王国の出土品を見ることではなく、第二次大戦の古戦場であるエルアラメインの地を踏むことであったが、こんな観光客も珍しかったと思う。




世界ケンカ旅行(東欧中東編18)
トルコ国内を旅行したのち、イスタンブールからエジプトの首都であるカイロに飛んだ。 
ここが今回の旅行で終点となる国となる。

空港に到着したのは夜10時頃、到着ロビーで今晩の宿はどうするか思案している時、同じくバックパッカーの2人連れが地図をフロアーに広げてあれこれ相談しているのを発見した。

国際空港というのは、市街地の中心から数十キロ程度離れた郊外に作られている場合が多い。 そこに降りた旅行者としては、公共の交通機関かタクシーを使うしかアクセスの方法はない。 しかし、都市のほぼ中心地に隣接している空港も存在する。
カイロ国際空港がそれに当たり、立地は中心地から10数キロ、歩いて3時間ほどだったから、並の体力ならそれほどの苦労なく歩いて中心地に辿り付ける距離であった。

「バスはないようだから、いっしょにタクシーをシェアしないか?」
私は男2人の白人旅行者を誘った。 大きなバックパックを背負っていて、寝袋やマットも持っている。 

彼らは床の地図から目を離して振り向いた。

「君はどこから来たのか?」
年長者らしき男が訊いてきた。 おおよそ20代後半に見える典型的バックパッカーといったところであろう。

「ああ、俺は日本人だ。安宿を調べてあるからそこに行かないか?」

「いや、俺たちはチェコから来たんだが、タクシーに乗るカネはないんだ、、、」
男は言った。

もう1人の男が続けた。
「チェコでは月収200ドルくらいしかなくてね、、、これから歩いて市内まで行くんだ」

「何キロくらいあるんだ?」
私は訊いた。

「10キロちょっとだから、3時間くらいかかるかな」

「それじゃあ、到着は深夜だな」

「ああ、そこに行くまでに適当な場所があれば、野宿しようと思っている」
2人は互いに目を合わせた。

彼らの装備を見ると、キャンプ道具一式を持っているようにも見える。 本気のようだ。
 
「じゃあ、俺も付き合うけどいいか?」
私は言った。 距離的には大したことはない。

興味も手伝って、私は歩いて深夜のカイロを歩くことにした。 夜のカイロは気温10度くらいだった。
我々3人は暗い幹線道路の舗道を横一列になって市の中心部に向かっていた。
時折、猛スピードで雲助タクシーが横を通り過ぎる。 しかし、止まってくれるタクシーは皆無であった。

1時間ほど歩いて、野宿に向いていそうなビルの軒下を見つけた。

「あそこで、寝ようか?」
チェコ人が私に勧めた。

道路からは死角になっていて、寝込みを襲われる危険もなさそうである。

「俺は寝袋もないし、このまま歩くよ」
私は断った。 
ただ、本当の理由は、このチェコ人たちが信用できなかったからである。

歩きながら話を聞いていると、旅程の半分くらいは野宿していると言い、ドロボウしながら旅行しているのかと疑わしいくらいの貧乏旅行を続けていたようだ。
辻強盗よりも、こいつらに身ぐるみ剥がされる可能性の方が高く思えた。

私は簡単に別れの挨拶を済ませて、夜陰の中をひたすら歩いた。








世界ケンカ旅行(東欧中東編17)
イスタンブールは歴史的に東西世界の交通の要衝だが、バックパッカーの世界でも同様である。
「モラ」に逗留する旅行者は、中東から北上してきた者と欧州から南下してきた者が混在して旅行談議に花を咲かせていた。

ユーラシア大陸横断ルート、つまり、インド・パキスタンからイランに入ってトルコにいたる経路を歩いた長期旅行者にとってみれば、このイスタンブールが大きな区切りとなり、さらに欧州に入る手前の休養地としての意味が大きい。
逆に、ここを起点とする一般的な南下ルートは、上記の逆方向に加えて、トルコからシリア、ヨルダンと渡り、イスラエルに入る経路である。 

私の場合は、偶然、ローカルのチケット屋でカイロまでの往復チケットを150ドル程度で購入できたので、直接エジプトに向かうことにした。 そして、出発までの1週間ほどをトルコ国内旅行に当てようというわけである。

さて、そんなある日、5人ほどの日本人が宿の共用スペースで雑談に興じていると、いつの間にか仲間に加わっていた青年がいることに気がついた。
30歳ほどの日本人男性は、端整な顔立ちでニヒルに笑う物静かな風体であった。
途中からメンバーに加わり、遠巻きに座って我々の雑談に耳を傾けていたが、話題が一段落したのを見て取り、初めて口を開いた。

「いやあ、皆さん、いろんな所を旅してこられたんですねえ、、、」
少々、上目遣いで、はにかんでいるような表情である。

「あなたはどこを回ってこられたんですか?」
場の中にいた旅行者の1人が挨拶代わりに聞いた。

「いや、」
青年は恥ずかしそうに前置きして続けた。

「もう、ここには2ヶ月くらいいるんですけど、、、」

全員の視線が集中した。 イスタンブールはエキゾチックで長期滞在しても飽きない魅力を持つが、それにしても物価はインドやタイほど安くないから、金銭的な面で長居する旅行者は珍しい。

「みなさん、お土産でカーペットなんかいかがですか?」

彼がこう唐突に話題を持っていくと、一瞬、場が白けた。 彼もその雰囲気を察知したらしく、言い訳をするように、説明した。

「いやね、近くの絨緞屋を知っているんですけど、もし、お土産とかで欲しければ紹介しますよ、、、」

「ほう、絨緞ですか? まあ、この宿で客を見つけるのは難しいでしょうね」
私は答えた。

ここでようやく青年の意図が読めてきた。

彼は絨緞屋と契約して、歩合制で収入を得ているのである。 押しなべて低姿勢なのは、倹約を美徳とするバックパッカーに何万円(モノによっては何十万円)もの高価な絨緞の購入を期待できないことがわかっていたからであって、顧客としての価値がない相手に対して商売を持ちかけているという負い目のようなものを感じているからであろう。

とりあえず、営業を持ちかけたものの、予想通り絨緞を買いたい旅行者がいないことがわかると、青年はそれ以上、勧誘するのはやめて、商売の話を始めた。

「で、 絨緞のセールスの仕事でもしているの?」
私は聞いた。

「いや、まあ、そんなところかな、、、観光客を紹介して、、、ね」

「へー、いい歩合もらってるんだろうね?」

「まあね、、20パー取ってます」
彼は笑みを見せた。

「20パーて、売り上げの20パーセント?」

「ええ。あれって、実はかなり安く仕入れているんですよ。例えば、30万円の絨緞なら、3万円で仕入れているわけ」

「そんな企業秘密バラしてもいいの?」

「ツアー客が相手ですから、まあ、皆さんとは関係ないということで、、、」

「ほほう」
みんなが興味深く耳を立てた。 彼は続けた。

「まあ、定価30万円を2割引いて、24万円で売ったとしますね? 客は交渉して安くなったと喜びますが、それでも粗利は21万あるわけですよ。 俺が歩合の6万を貰っても、店は15万儲かります」

彼は常に歩合を計算しているのか、なかなか頭の回転が速い。

「月にどれぐらい売るの?」
私は聞いた。

「そうですね、、、平均して150は売りますね、、多いときは300くらいかな」

「なに、え? じゃあ、月収30万は最低ラインてこと?」

「ですね、、、多い月は60くらいありました、、、」
彼は自信たっぷりに話した。

彼は続けた。
「俺って、安い絨緞は売らないんですよ。だいたい、狙い目は30から50の商品、で月に3枚くらい捌くわけです。客に代わって、交渉するフリをする。最初から2割引きが限度と決めているんですが、引く金額も大きいから客からは感謝されますよ」

私は彼が予想以上に稼いでいることに驚いたが、それ以上に、そういう手の内を曝け出していることに彼の優しい人柄を感じた。
彼は以後も、共用スペースで旅行者の雑談に参加していたのである。



世界ケンカ旅行(東欧中東編16)
我々はブカレストからソフィアを経由してイスタンブールに南下していた。

中央駅近くにある「モラ」というゲストハウスを基点に、2人は別行動で観光していた。

イスタンブールは東欧とは全然違ったアラブ的情緒に包まれており、特にグランバザールの中を歩いていると、不思議な気分になってくる。 東欧に比べると物価は高いものの、物資に溢れており、やっと現代社会に戻ったような気がした。

数日経って、一通りの観光を終えた頃である。

イスタンブールの観光名所である、アヤソフィアから歩いて数分の場所に古風なトルコ風カフェがあった。

ここは、私が泊まっていた日本人宿からも近く、雰囲気が良かったので1日のうちのいずれかの時間帯は必ずここに来て紅茶を飲んでいた。

このカフェは椅子に座る形式ではなく、客は靴を脱いでカーペットの上に座って、ちゃぶ台に置かれたカップをちびちびとすするのである。 背もたれがフカフカなので気持ちよい姿勢で長時間座っていられるのでありがたい。
店内は非常に狭く、6人も座れば満席となる。 四角い部屋の壁にもたれるような座席配置となっているために、正面に別の客が陣取れば、否応なく目が合ってしまうのが欠点ではあった。

この日、私がカフェを訪れたとき、客は私のほかに、中年の男女が2人いた。 入り口から入ると、目がちらりと合ってしまい、少し気まずくなる。
ここ数日の常連客であった私は、マスターに軽く目配せすると、彼は部屋の隅の座布団に案内した。

室内は、オスマン帝国時代を思わせるような古式の調度品で飾られていて、スルタンにでもなった気分になる。 
お茶が運ばれてきて、文庫本をパラパラとめくった頃、しばらく押し黙っていたカップルが会話を始めた。

2人のうち、どちらかが外国人であることは、会話が訛りの強い英語で行われていたことですぐにわかった。
最初は私を気にしてか、小声でのヒソヒソ話だったが、私が東洋人の観光客らしいということで、次第に声が大きくなっていった。

私は文庫本に集中しようとしたが、話の内容がだいたいわかるので、どうしても聞き耳を立ててしまう。
一通り、話を聞いて判明したのは、双方とも、40歳くらいだが、女はドイツ人。 観光旅行でトルコに来ているようだ。 男は現地人で、なぜかスーツにネクタイ姿で、浅黒い美男子である。

男は話が進むにつれて、女の肩になれなれしく手を回した。 彼女は取り立てて美人というわけではなく、肥満体で子供がいるような外見である。 どこかで見たような光景だと思ったら、昭和40年代のホストクラブのイメージがこんな感じなのだろう。 プレーボーイ風の男は、甘い言葉を耳元で囁くのだが、往年のアランドロンを思わせる。

女もまんざらではなさそうで、男が服の上からベタベタと触り始めても拒絶するでもなく、ニタニタしながら受け入れている。

しばらくすると、男が女の手の甲にキスし始めた。

2人とも、最初は私の存在を気に留めているようであったが、日本からの観光客であることは一目瞭然なので、どうでもよくなっていたのであろう。
ちなみに、トルコを旅行する東洋人と言えば、この頃は日本人か香港人のどちらかで、数は圧倒的に日本人の方が多かった。

気になっていたのは私の方で、読書がまったく手に付かない。

すると、男がだんだん大胆になってきて、抱擁を始めたと思ったら、2人は熱いキスを交わし始めた。
男は興奮してきたのか、女の服を脱がしにかかった。 大胆な行動である。

周辺を見渡すと、カフェのマスターも横から覗いていた。 彼の目が真剣なので思わず笑ってしまう。 

私の前面で繰り広げられる光景が、アメリカの3流ポルノ映画を観ているようで、性的興奮というよりは、笑いを誘う。 女優がデブのおばさんでは仕方がない。

結局のところ、最終的にはセックスに至るその手前で情事は終了した。

身なりを整えて、2人はカフェを後にするが、その時、トルコ人ホスト男と私の視線が合った。 

心なしか、男の表情は誇らしげであった。
世界ケンカ旅行(東欧中東編15)
その夜、我々はブカレストでも一流と思われるレストランでフルコースディナーを堪能した。
前菜からデザート・コーヒーまで付いて、総額は1人当たり3ドル程度。 

チャウシェスク大統領が処刑されて、社会が大混乱となっている最中である。 ある意味、ドサクサの状況ではあるが、外貨の価値が実態以上に強いのは旅行者にとってはいいことずくめには違いない。 しかも、インフレは隣のユーゴに比べれば無いに等しく、レートを日々気にかける必要もない。

食事を終えた我々は、ホテルへの帰路を急いだ。
表通りから裏通りに入り、少し薄暗くなった。 私は周囲を警戒して、暴漢が潜んでいないか確かめながら歩いた。

ホテルの前の通りは、夜陰の中にも街娼の数が昼間よりも増えていることが分かった。 およそ100メートルの通りに20~30名の女性が手持ちぶさたに佇んでいる。
しかし、一見すれば市内バスを待っているOLのように見えるほど商売っ気がまるでない。 いわゆる、「寄ってらっしゃい、オニイサン」的な勧誘は一切しないのも不思議である。 官憲を警戒してのことか? ただ、接近すると視線を合わせるだけであった。

木村さんが冷やかし程度に20代後半くらいの街娼に交渉を持ちかけた。

すると、ショートで10ドルという返答である。 

「へえ、安いなあ、、、」
私は言った。

ホテルのシングルルームが6ドル、フルコースディナーが3ドルという物価から推定すると、ショートで10ドルは相場と言える値段である。
ここに立っている女性たちは、ロシア人のように色白の美人とはいかないまでも、白人である。 しかも、娼婦特有のケバケバした化粧が無い分、素人っぽくて好感が持てた。

「いやあ、もう我慢できないっす、、、」
木村さんは腹を固めたようである。

我々は通りを行き来して、それぞれの娼婦の容姿を確認した。
しばらくして、木村さんが好みの女性をピックアップしてホテルに連れて行った。

部屋に帰ったあと、私は木村さんを案じながら身支度していると、木村さんがバックパックを脇に抱えて部屋に入ってきた。

「女が帰るまで、荷物預かってもらえませんか?」
娼婦が金品を盗むのを避けるため、私に託そうということである。

「今、部屋にいるの?」

「今、シャワー浴びさせてます」
2人は顔を見合わせて笑った。













世界ケンカ旅行(東欧中東編14)
我々はブカレストの中心地に位置していた、ホテル・カルパチにチェックインした。
トイレシャワーは共同で、部屋にはシングルベッドと机がひとつ置いてあるだけの殺風景な狭い部屋ではあった。 
一泊6ドルという値段だったが、東欧の1つ星クラスのホテルは総じて10ドル以下のようである。 

3階の窓からはホテルの正面を横切る通りに立っている娼婦たちが上から見下ろせた。 
昼間だというのに、この窓からでも10人以上は立っているのがわかる。

彼女たちは、地味な普段着姿で、ホテル入り口に来るまでに何人かとすれ違うまで、娼婦であるかどうかを判別できなかった。
ただ、娼婦独特の目線というのがあって、一度男と目が合うと、じっと視線を外さないで追い続けるのであるが、この点で素人女性との区別は案外簡単につく。

「昼間から凄い人数ですね」

「ああ、多分、この辺りは立ちんぼの巣窟なんだろう、、」
私は少し、夜の治安が気になった。

事実、駅から歩いてホテルに辿りつくまでに見たブカレストの風景は、ワルシャワやブダペストが美しい街並みを維持しているのに比べて、荒んでいるように見える。
どんな荒廃ぶりなのかを説明するのは難しい。
その荒み具合というのは、スプレーによる落書きだらけのベルリンとも全然違うし、内戦による疲弊感漂うベオグラードとも違っていた。

敢えて言うなら、中央駅近辺とか、繁華街で見かける浮浪者の数が東欧としては異常に多いレベルであった。
駅周辺では、既述のホームレス少年グループ、ジプシー、そして高齢者の乞食と、福祉の保護から外れた人々が挙って集まっているような印象である。
そして、裏通りに入れば、奢侈品が不足しているのか、化粧もまったくしていない街娼が普段着姿で立っているのである。 おそらく、そこいらの主婦が食い詰めての窮余の手段だと思われる。 
若い女は最後の最後で自分の体で勝負できるだけマシというもので、いつの時代も男は潰しがまったく利かないから救いがない。

我々は日が暮れるまでそれぞれの部屋で休息を取り、満を持して夕食のために外出することになった。

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