FC2ブログ
ぼやき大爆発
世捨て旅行者の雑記帳
世界ケンカ旅行(中共編)
我々は再び外に出た。

南京路に入り、しばらく西に歩いた。南京路は車道と歩道が柵で仕切ってあり、歩行者が車道を横切って向かいの歩道に渡れないような仕掛けとなっていた。これはシナ人を統制するにはいいアイデアであった。

交差点付近は、不思議と全員が痰や唾を吐く場所となっていて、通りかかりの人民が申し合わせたように同じ地点でペッペとやっているのには驚いた。そこには痰壺はないから、ドロリとした唾液が何リットルも堆積していた。

我々も、何か縁起でも担ぐかのように、みんなの真似をして唾を吐き捨てた。

上海市中心部に公衆便所は異常とも言えるくらい少ないが、男も女も、その辺の影で用をたすので問題はない。ただ、横丁を覆うアンモニアの臭気が多少気になる。

ゴミはそこらじゅうに落ちているので気にならない。考えてみれば、地上全面がトイレであり、ゴミ箱であり、痰壺なのである。

ここ上海には、路上にも乞食はいた。乞食にも縄張りがあるのだろうか。食堂で残飯を食べることができる乞食よりも、路上の方が悲惨であった。

人民は乞食に無慈悲であった。大多数は乞食を無視するというより、いかにも汚いものを見ているようにふるまう。威勢のいいオバチャンが乞食に説教する、いや、怒っている場面にも遭遇した。
中共のように、社会の内部で対立する不信社会において、乞食まで身を落とす者は我々から見ても悲惨そのものであった。

上海の雑踏を過ぎ、また裏通りに入った。

古参旅行者は「舞庁」の看板のあるビルを目指した。

舞庁とは、ダンスホールのことであるが、我々の目の前には、それこそ30年代の雰囲気をそのまま残したナイトクラブがあった。

6階ほどの租界時代からの建物の1階全フロアーが店舗となっていいるが、店内は薄暗くて健全とは言えない。入り口からは淡い赤い灯が洩れていた。
単独なら、入るのを躊躇するであろう雰囲気であった。

「大丈夫です。入りましょうか」
古参旅行者は私の警戒心を読んでいるかのように声をかけた。

我々は赤い灯に包まれながら、怪しいナイトクラブに入っていった。








恐怖の民主党政権構想が次々と明らかに
いや、何が怖いって、(産経新聞以外の)一般メディアで無視されているがために、国民の大多数が知らないっていうこと。

民主党が政権を取った場合、「次の内閣」では、輿石副総理が内定しておりますが、この人は日教組出身。とにかく、安倍政権で転換した教育行政が改悪し、180度再転換することが「民主党政策インデックス2009」に明記されているとのこと。

まず、教員免許の更新制度を廃止。

教科書検定制度を廃止。

学習指導要領を廃止して、各首長に委ねる、、、、、等々。

要するに、日教組の主張をほぼ100パーセント実現するような文教政策が明記されているんですな。

いったい日本はどうなるの???


世界ケンカ旅行(中共編)
はたして、料理は次々とテーブルに運ばれてきた。

我々は事前に準備してきたトイレットペーパーで小皿やコップを丁寧に拭き取った。

シナ食堂での作法は、店の食器を使用する前に自分で拭いてやることである。使用済の食器類は、何度も使い回しする置き水で洗うのが普通なので、衛生的に問題があった。

古参旅行者氏の薦めるところでは、最低限、自分の箸を持ち歩くことだそうである。

我々は肉類に十分な火が通っているか確認しながら少しずつ食べていった。
食材は新鮮とは言えず、油で誤魔化しているようだ。ご飯は硬くて不味い。商品として成立しないレベルであった。日本の感覚なら、猫マンマ、、、、つまり、残飯レベルの食事と言えるだろう。多分、日本なら刑務所でももっとましな飯を出すに違いない。
ただ、環境が環境なので、実際よりもおいしくいただけるのが不思議だ。

食事が終わり、一同は皆満足であった。サービスの悪さは、この際、気にならない。

服務員を呼び、会計をする。注文する時は服務員を呼ぶこと自体が一苦労だったが、こちらがカネを払う段階では、すんなり来てくれた。そんなものなのだろう。

バックパッカーの仁義としては、食事はワリカン。各人が小札を出し合って服務員に支払った。

身支度をして、我々は食堂を出ようとした。

そのときである。

一同が席を離れるのを虎視眈々と待っていた乞食のオッサンたちが一斉に動いた。

オッサンたちは、我々が座っていた椅子に陣取り、テーブル上にあった残飯を一斉に平らげた。

乞食のオッサンは、残飯処理係だったのだ。

その動きがユーモラスというか、一斉に集結する様が、まことに「ドリフ大爆笑」的で、我々日本人は大笑いした。

「じゃあ、次はナイトクラブでも行きますか?」
古参旅行者が言った。

全員がうなずいた。








世界ケンカ旅行(中共編)
夜の上海は、ネオンサインもなく、薄暗い、共産圏のイメージそのものであった。

しかし、雑踏には人々がうごめいており、昼間と変わらない人の流れである。

我々は最大の繁華街である南京路に入った。さすがに、ここは中共最大の商業拠点だけあって、色とりどりのネオンサインと人々でごったがえしていた。

すでに香港台湾資本による店舗があちらこちらに開店しており、この通りだけは資本主義そのものであった。雰囲気は日本の昭和30年前後の銀座といったところだろうか。街角には、フランク永井の「有楽町で逢いましょう」の歌詞に出てくるような自然レトロ調のティールームがあったりした。

租界時代の上海も、大して変わりはなかっただろう。ただ、当時のシナの下層階級には別世界だったはずである。


我々日本人グループは、南京路の雑踏を避けて脇道に入った。

先導していた古参旅行者氏は、行き付けらしい国営食堂に我々を促した。

「さあ、ここに入りましょうか」

我々は彼の言葉に従って、食堂の中に入った。

30人くらい収容の店舗だったが、例によって客はほとんどいなかった。外資系のレストランは割高にも関わらず、客でいっぱいだったが、誰も国営は使わないのだろうか。

ただ、どう考えても浮浪者にしか見えない、ボロボロの防寒服を着たオッサンが数人ほど、食事もしないで座っていた。乞食のシェルター代わりなのかも知れない。少なくともここなら暖は取れるはずだ。

全員が着席を終えて、壁に張ってあるメニューに目を移した。漢字なので、料理の内容は大体想像できる。これが日本人である利点であろう。

服務員は例によって、我々の存在に気付いているはずだが、奥で知らぬ存ぜぬを決め込んでいた。

古参旅行者は、全員に目で合図すると、

「注文は決まりましたか?じゃあ、服務員を呼びましょう」

私を除いた日本人が、いきなり、テーブルとドンドンと叩きだした。

「オラー!こっち注文取りに来いヤ!ボケ!」
「こっちに来い!」
「注文取りに来い!!」


各人が日本語で思い思いに罵詈雑言を叫びまくった。まるで、ヤミ市の三国人愚連隊がショバ代を拒んでいる食堂でインネンをつけているようであった。ストレス解消としては使える。

すると、服務員が微かに表情を変えた。
その表情は、
「ちっ!客が呼んでやがるぜ、、、、」とでも言いたげな、憎憎しい表情であった。

しかし、服務員は確かに注文を取りにきたのである。

我々は壁のメニューを指差して注文していった。

「メイヨー!メイヨー!メイヨー!」
服務員は我々が注文したすべてに対してメイヨーを連発。服務員は注文を取りにこさせられたからなのか、半分切れかかった様子であった。

まるで、「ドリフ大爆笑」の「もしもこんな店があったら、、、、」で志村けんがやれば立派なコントで通用するようなやりとりである。

そこで我々は間髪いれず、
「こら!嘘つくな!持ってこんかい!ボケ!」
「注文しとるんじゃ!」
「持ってこいや!」


それぞれが、機敏に反応して、怒鳴りまくった。

すると、迫力に圧倒されたのか、服務員は注文のメモを取り始めて厨房に連絡しに戻った。

とにかく、大声を出して、机をドンドンと叩くのが効果があるようだ。

これが、80年代当時、中共の国営食堂でスムーズに食事を注文する方法だったのである。


















世界ケンカ旅行(中共編)
実際に上海の街で観察したことから、導き出される結論は一つしかなかった。

とにかく、社会主義経済の中核理論である、計画経済が完全に破綻していたということ。

常に立錐の余地がない満員バスは、もはや、利用者の数に合わせて運行を増やすとか、バスの製造を増やすというような計画が不可能であることを示していた。逆に、客がまったくいない開店休業状態の国営食堂が維持されていることは、状況に応じて食堂の数を調整する程度のこともできないことを証明していた。

もうひとつの悪要因は、シナ人の民族性に起因する非合理性であった。
公務を徹底的に隠避し、徹底的に利己主義に走る。事実上、サボタージュと同じことをやっているシナ人労働者が原因で、生産性はまったく上がらないし、むしろ、後退させている状況であった。

この、負の相乗作用によって、中共の市民社会は停滞し、破綻したのである。これに、文化大革命のような権力闘争が起きれば、社会は完全に破壊されるに違いない。

この現実が、日本国内ではまったく知られていなかったのである。正確に記すと、一部の中共との交流を画策する人々は実態を知っていたにも関わらず、それが一般に知れ渡ると、大規模な反シナ感情が醸成されると予想し、巧妙に隠蔽していたのである。

特に、国交正常化以後は、「日中友好」が題目のように繰り返し唱えられるだけで、戦後生まれの日本人には、正しいシナ人の理解が防げられてきた。

日本人より遥かに劣るシナ人の公共マナーの悪さとか、平気で嘘をつく性向など、戦前の大陸を経験した年寄りがシナ人を馬鹿にすれば、「差別」のレッテルが貼られた。そして、真実を知る者は次第に口をつぐんで話さなくなったのである。

シナ人の大衆を見ていると、なぜ遣唐使が廃止され、千数百年もシナ大陸と鎖国してきたか理解できる。


さて、私はホテルに帰り、経験したことを部屋の日本人と語り合った。

ある意味、80年代の中共旅行の楽しみは、経験したイヤなことを旅行者同士がぶちまけて発散させることにあったのかも知れない。

「じゃあ、今晩、いっしょにメシにでも行きますか?」部屋の古参旅行者は言った。

年齢は30くらい、物静かな印象で、長髪に無精ヒゲという、いかにも旅慣れている風貌だった古参旅行者は、私の経験談をニヤニヤしながら聞き終えると、部屋の日本人を食事に誘った。

この人は、1ヶ月間、プージャン飯店に投宿しているそうであった。中共未経験者の旅行指南役を引き受けており、鑑真号で到着した旅行者にこの国での「旅行の作法」を教える立場でもあった。

ソウルの安宿にもこんな旅のベテランがいたが、私がこういう旅行者から影響を受けたことが、その後の人生を棒に振ってしまった一因であることは言うまでもない。

彼は、中共旅行を数回ほど経験済みで、最初はネパールからチベットに入り、大陸各地を移動しながら全地域を旅行したという。今回は上海だけで、他の都市には行かなかったとのこと。
書籍をどっさりと買い込んで、全部、鑑真号で持ち帰るという。ちなみに、中共で売られている書籍は、装丁は貧弱だったが、値段は安く、一冊50円程度で入手できた。



日も暮れる頃となり、我々5名ほどの日本人は厚着をして、上海の夜に繰り出した。
冬の上海は寒かった。












世界ケンカ旅行(中共編)
上海唯一のデパートである第一百貨店に入ってみた。

なんと言っても、一番の驚きは外から見えるトイレであろう。中の様子が見えるという意味である。

さすがに、少し奥に隠れるような場所にあったが、用便のためにしゃがんでいる光景が外部から見える位置に便座があり、ここにも目隠し用のついたてや壁はない。しかも、男女両方とも同様で、外からオバチャンがオシッコするところが好むと好まざるとに関わらず、見えてしまう。しかもトイレが異常に臭い。

公衆便所にも言えることだが、上海の便所は、ウンコとアンモニアの強烈な臭いがする。当たり前だと思うかも知れないが、かつての日本のボットン便所は、蝿と蛆を寄せ付けないために強力な殺虫剤を撒いていたから、化学薬品の臭いの方が強烈だったものだ。つまり、上海の便所では殺虫剤を使用していないことになる。冬はいいが、夏は、、、、、、想像するのもおぞましいことだ。

こんなトイレを提供する百貨店も凄いが、それで平気な人民の感覚は逆に関心してしまう。公共の場で恥ずかしいとか、照れるというような都市住民のデリカシーが女性にもないということは驚愕すべき事実であった。こんなところにシナ人の精神的な強さを感じる。人類が滅亡してもネズミとシナ人は生き残ると揶揄されているのも嘘ではなさそうである。

さて、よく観察すると、このデパートは不思議だった。客で混雑しているにも関わらず、服務員が雑誌とか新聞を読んでいて、まったく仕事をしていない。
つまり、客のほぼ全員がウインドーショッピングをしているだけなのだ。

試しに、外国商品コーナーで陳列されている商品を手に取って見せてもらうことにした。

「ちょっと、それ見せてくれ」

「メイヨー!」
服務員の決まり文句が返ってきた。

「没有」とは、辞書的には「ない」という意味である。しかし、商品は実際に、そこに存在するのをお互いが知っている。
事実として存在するものを、存在しないと言い張る服務員。

とにかく、食堂の服務員にしてもそうだが、客と目を合わそうともしない。仕事もしないで必死になって雑誌を読んでいた。言い方もぶっきらぼうで、憎憎しい。
というより、実際のところは、必死になって雑誌を読んでいるフリをして、客を寄せ付けない見えない防衛線のオーラを張り巡らしているといった方が正解であろう。

「絶対に接客なんかするもんか、、、、、、接客をしたら負け、、、、」そう言いたげな、こんな、服務員の逆ド根性さえ垣間見ることができた。

彼女たちの仕事は、その場所に存在して時間を過ごすだけ、単に商品が盗まれないように見張りをしているだけ、少なくとも彼女たちはそう思っているに違いなかった。

私は百貨店でウインドショッピングをしたのちに、ホテルに帰った。














世界ケンカ旅行(中共編)
上海の街は喧騒で満ち溢れていたが、とにかくシナ人は気が短いらしく、通りでの口ゲンカをよく見かけた。人間の数がこれほど多いと仕方がないかも知れない。

中心部の通りでは、対向してくる通行人を避けるという面倒なことはしない。お互い同士の肩が当たっても、人民は「我が道を行く」で、ブチかましながら平気で前進する。いちいち、人を避けながら歩いていてはキリがないと思っているのだろうか。

郷に入れば、、、の格言通り、私も他人の肩が当たろうが構うことなく直線で前進した。やがて、小柄の女性と正面で衝突し、その女性は倒れそうになった。女は何やら私を罵倒する言葉を二つ三つ吐き捨てて、すぐにその場を立ち去った。

シナ人の「公共道徳の欠如」とは、こういうことなのである。究極の利己主義とでもいうか、他人を思いやる気持ちがまったくない。日本なら、それが朝鮮人ヤクザであろうが、チンピラであろうが、街を一人で歩けば、知らず知らずのうちに順応している社会規範の基本中の基本がこの民族には根本から欠けていた。


私は裏通りを歩きながら、適当な食堂を探していた。上海が予想以上にエキサイティングで、昼食をとるのをすっかり忘れていたのである。

中共では、食券を入手して国営食堂で使用するのが普通だったが、人民元を使用できるところが多かった。また、上海のような大都会では外国資本である香港・台湾系のレストランもすでに進出していた。

私は適当な食堂に1人で入った。

女性の服務員は2人いて、店の奥でペチャクチャと話し込んでいた。客は誰もいなかった。
私の存在を気づいた1人がこちらをチラリと見るが、すぐに会話に戻った。

国営食堂の服務員が「仕事をしない」ことは、鑑真の日本人から聞かされていたから、驚きはしなかった。

「すいません!」
私は声を上げて注文を取りにくるように促した。

2人は確信犯的に私を無視して、敢えて会話を続けた。

「すいません!」
今度は声量を倍にして呼んだ。だが、服務員は知らんふりをしたまま、あくまで客を無視して雑談に耽る。

しかし、サービス業の体を成していない現状に不思議と怒りは込み上げてこない。

すでに私は、中共社会の「異常な日常」に神経を麻痺させられていたのかも知れない。

私は10分くらい食堂の椅子に座ったまま考えた挙句に、食事をするのを諦めて店を出た。

私は屋台の饅頭で空腹をしのいだが、この異常社会で生きていくには私はまだ、甘すぎた。
















世界ケンカ旅行(中共編)
上海の旧租界区域は、離れて見ると古い街並みが美しく、よく保存されていると感心させられる。

ただし、実態としては、まったく手付かずに放置されているだけで、細かい部分で補修が成されておらず、近くに寄って見ると、ただの廃墟を便宜上使っているだけのようである。

鑑真号の中でも体験したように、シナ人にはゴミ箱にゴミを捨てるという習慣がないので、上海の街もゴミ屑が道路わきに放置されていた。これは見苦しく、衛生上もよろしくない。

街角で発見した公衆便所に入ってみた。

入り口で幾ばくかの小銭を集金係に渡して進むと、狭い入り口からは中の壮絶な様子が目に飛び込んできた。

便所は、大便用と小便用に分かれており、小便用は立ち台に並んで壁に向かって放出する形式。大便用は「流しそうめん」方式で、床に長さ5メートル程度、幅20センチくらいの溝が掘られており、溝にまたがって用便をする形式であった。

なにが凄いかというと、仕切用の壁とか板が存在しない。小便用ではなく大便用の話である。

つまり、ここに入ると、他人がウンコをしている様子をイヤでも見なくてはならないのである。

そして、逆に言うと、自分が排便している光景を他人に容赦なく見られることになる。

私が入ったときには、1人のオッサンが用便の最中だった。

さらに、自動水洗式ではなく、服務員が水バケツを使って溝を洗い流す方式なため、溝の中には100人分くらいのウンコが山となって溜まっていた。多分、服務員は自分の勤務時間の終わりにまとめて清掃して帰るのだろう。

日本の「ボットン便所」のように深い堀の中に落とすのではなく、たかだか深さ20センチくらいの溝にウンコをするので、腰を低くすると盛り上がった他人のウンコがズボンに付着しそうになる。

露出趣味のある方、ウンコマニアのホモは狂喜乱舞するだろうが、マトモな文明人には耐えられない作りであった。

不思議なのは、一応は公衆便所が男女別に分かれていることだろう。ここまでするなら、いっそのこと、男女混合の公衆便所にしてくれれば、ある意味、納得する。

こんな所でカネを払って用をたすなら、むしろ野グソの方がましであろうが、よくよく観察すると、上海の街角にはあちこち人糞が放置してあるので、この点、人間の考えることは同じなのだろう。

中共とウンコ話。

私は旅行期間中、ウンコに悩まされ続けることになる。











世界ケンカ旅行(中共編)
シナ人の公共マナーの悪さ、いや、文明人の定義するところのマナーという範ちゅうを通り越して、動物的本能に忠実な行動様態については、鑑真号の船中でも目撃したところであったが、観察するに及び、上海の人民はそれをはるかに凌駕していた。

とにかく、いくら自動車の煤煙で空気が悪いといっても、路上に唾を手当たりしだいに吐く人民の姿には妙な錯覚さえ覚えるほどであった。

上海の中心部を歩く人々は、さも息をするかのごとく、唾をペッペと路上に吐く。
どうやら、生理現象として口内から湧き出る唾を飲み込むことをしないようであった。

ある程度、口に唾が溜まった頃、一気に吐き出すようである。そして、これは男女関係ない。当然の生活習慣として、唾を吐いている。

唾だけではなく、鼻水を器用に路上に吹き捨てている物も見受けられる。親指で軽く片方の鼻の穴を塞ぎ、もう片方の鼻の穴からチンと勢いよく出すやり方である。


日本人なら、幼児期に躾を受ける基本レベルにおいて、シナ人は老人から若き女性まで、全員が失格。

かつての租界地の入り口に掲げられた張り紙、「犬とシナ人は入るべからず」は、別に人種差別でもシナ人を蔑視したのでもなく、ヨーロッパ人から見て、有りのままのシナ人の行動様式が事実として「犬畜生」と同じレベルだったことを表現したまでにすぎなかったのだ。

そして、私の眼前には、半世紀前と、おそらく同じ程度のレベルのシナ人が歩いていたのである。

こういう感想を日本国内で、しかもシナ人の実態を知らない人に打ち明けるのは勇気がいる。まず、「シナ人が犬と同レベル」という印象を口に出そうものなら人種差別主義者のレッテルを貼られ、人格を疑われること間違いなし。

しかし、ここにいる烏合の人民に比べれば、訓練を受けた盲導犬なんかの方が、よっぽど礼儀を知っていると断言できる。


私はシナ人を観察しながら、街をグルグル歩いた。

そこで、偶然見つけた公衆便所では、またしても想像を絶する光景が展開されていたのである。













世界ケンカ旅行(中共編)
上海の中心部には人民が溢れていた。

とにかく、何かに対して殺気立っているような、人を寄せ付けないオーラを発しながら人民は歩く。

人々は足早に進み、立ち止まって風景を見るような余裕のある者はいない。

車道にはトロリーバス、市内バス、トラックが歩道からはみ出た人民を跳ね飛ばすかの勢いで猛進していた。

圧巻は、歩道に設けられた路線バスの停留場であった。

シナ人は何かを待つ場合に「列」を作らないと聞いてはいたが、それが嘘偽りのない事実であることを知った。
バスストップとおぼしき場所には、バスを待つ人民が団子状態で10人程度が押し合っていた。
それは、例えるなら、ラグビーのフォアードがスクラムを組んで前進しようとしている状況に似ていた。言うまでもなく、自分が人を押しのけて最前列のポジションを確保するためである。

そこに、バスが到着する。バスは停留所からずれて停車した。

すると、降車しようとする客がいるにも関わらず、乗車しようとする客たちがドアに殺到する。誇張ではなくて文字通り「殺到」するのである。

そこで、降車する客と乗車する客同士の押し合いが始まる。人民は、客を降ろしてから乗り込むという、日本なら聖徳太子の時代には確立していたような生活の知恵・礼儀を知らない。

もとより、バスは朝夕の山手線ラッシュ状態で、ひどい寿司詰め。慢性的にバスが足りないようである。乗る方も必死なら降りるほうも必死。
結果として、上海のバス乗り場では日常的に、「戦場から脱出する難民」の如き光景が繰り広げられるのだ。

これを見て、私は上海の路線バスに乗る気力を失い、その後、市中の移動はすべて徒歩にすると心に誓った。このような無駄なエネルギーを使うのは馬鹿馬鹿しい。

しかし、中共に来たからには、日常の「人民闘争」に参加しないわけにはいかなかった。











民主党政権誕生は不可避か?
総選挙の前哨戦はすべて自民の敗北、、、、

再三、当ブログでも主張してきておりますが、あの下劣な安倍バッシングに続く参院選の敗北からの一連の流れということでしょう。

もっとも、マスメディアによって操作された論調にバカ国民が乗せられているだけですが、、、

とにかく、麻生内閣の補正予算などは、現在においては極めて妥当で、賛否あるとしても、まあ評価する意見もあっていいはずですが、そんなのはマスコミが封殺している状況。この強力な偏向報道の前には正論は通じないんでしょう。

逆に鳩山兄の故人献金問題が異常に過小評価されております。(朝日新聞の名誉のために付け加えると、)この件では珍しく朝日が一番力が入っていたようですが。

民主党政権になった場合、経済政策ではたかが知れているし、官僚主導をぶち壊すと威勢がいいものの、実は日本の官僚機構の能力は世界一で、このシステムを変えるとなると、日本の国益をかなりそこなうことになります。実は。

少なくとも、現在の民主党の人材では、舵取りの難しい経済金融政策は不可能。

逆に、「外国人地方参政権」「人権擁護法」等の手の付けやすい社会政策を推進していくことになるでしょう。これらは売国政策です。

対外的には、村山談話を一歩進めて、「従軍慰安婦賠償」などを行います。実際に準備中とのこと。

民主党の売国政策・法案に関しては、現在のところ主要メディアでは報道されておらず、新聞テレビしか見ない国民は関知しないところ。

もう、日本は終わったア!












東映チャンネルはバカ映画の宝庫だった
今週から始まる「どっこい大作」を観るために契約した東映チャンネルですが、このチャンネルならではというか、東映C級映画を毎日やっていますな。

「ルパング島の奇跡 陸軍中野学校」を観ましたが、中野学校の教官役が文太アニイ、、、って、シュールなキャスティング。あと、陸軍少尉役で千葉真一、、、、もちろん空手アクションもあります。


しかし、実録ヤクザ映画のオールスターキャストで戦争映画作られてもなあ、、、



世界ケンカ旅行(中共編)
声を掛けてきたウイグル人は二人一組で行動しているようであった。

私が立ち止まって両替に興味があるような素振りをすると、一人はあたりを見回して警戒した。
「ポリス、ポリス」と呟いて、私をビルの谷間に誘う。警察に見られると困るから隠れたいらしい。

闇両替は一応、非合法ということで警戒しているようだが、プージャン飯店の前ではオバチャンたちが堂々と商売していたから、少し大袈裟なような気もする。

「レートは幾らか?」私はウイグル人の一人に訊いた。

「150だ」両替屋は答えた。

私は、つい先ほどに180で替えたばかりだったから、当然、納得できない。

「190にしろ」
「だめだ。150だ」
「190しか替えない」

男はしばらく考えて
「わかった」
と答えた。

交渉はあっさりと成立した。どうせ男たちは抜き取るハラなのだから、交渉は意味のない行為とも思えるが、彼らにしてみれば、ある程度、演出した方が後々効果があると思っているのだろう。

男はポケットから10元紙幣の札束を出すと、二つ折りにして1枚ずつめくって数えた。

「ワン、ツー、スリー、、、、」1枚ずつ丁寧にカウントしながら数えていく。

19枚を数え終わると、「OK?」と私に確認をとってきた。

確かに、率直な印象としては10元札が19枚あった。

男は100元札をくれと、手振りで示す。周辺を警戒しながら私を促してきた。

どうやら、警察を恐れるフリをして、急かすのがコツらしい。

私は
「1枚ずつ俺の手に置いてくれ」
と言って、手のひらを差し出した。

男は少し躊躇しながらも、1枚ずつバラバラに数えながら私の掌に載せていった。

「ワン、ツー、スリー、、、、、、」

10枚目が置かれたところで、男はカウントをストップした。
私は、まだ合計100元しか貰っていなかった。

「さあ、受け取れ!」男は言った。

「おい、190だろ!あと9枚くれ」

「お前何を言っている?100元で終わりだ!」

ウイグル人は完全に開き直っていた。噂通り、インチキ両替屋だった。

こんな連中と交渉しても無駄である。

私は10元札を男に返すと、その場を立ち去った。









世界ケンカ旅行(中共編)
プージャン飯店の入り口には常に数名の闇両替屋がいて、宿泊客の外貨幣(ワイホイピー)を人民幣(レンミンピー)に交換していた。

当時の闇レートはワイピー100元に対してレンピー180から190元ぐらいが相場であった。

ホテルや外貨ショップでは、ワイピーしか使用できなかったが、市中では両方使用できた。もちろん、実質的価値が2倍違うため、外国人はレンピーに闇で交換してから使用するのが普通であった。

私は手持ちのワイピーの一部を両替して市内中心部に向かった。

上海マンションを横目に、ガーデンブリッジを渡り南京路に向かっていると、シナ人とは異質の顔立ちを持った男が「チェンジマネー?」と声をかけてくる。東洋系というよりは、中央アジア系であった。

これが船内で噂に聞いたウイグル人との初遭遇であった。

中共は国共内戦に勝利し、中華人民共和国を建国したあと、チベットや東トルキスタンに侵攻して領土を拡大した。中共に征服された東トルキスタンはシンチャン・ウイグル自治区として中共に編入されるが、ここに住んでいた土着の民族がウイグル人であった。

中共には移動の自由はなく、上海に出稼ぎに来たウイグル人は闇で底辺労働に従事していた。そして、一部は犯罪グループを結成していたのである。

外国人に悪名が知れ渡っていたのは、上海の中心部でウイグル人が外国人に対して行っていた闇両替であった。彼らは、巧妙な手品を使い、ワイピーを両替するフリをして紙幣を抜き取るということをしていた。
例えば、彼らにワイピー100元札の両替を持ちかけると、レンピー10元札を差し出して枚数を数える。レンピー19枚(190元)を数えて、確認したのちに、実際に手にとって受け取った紙幣を数えてみると10枚くらいしかない。ウイグル人が同じ札を重複して数えるのか、あるいは、手渡す直前に札束をすり替えるのか、手品のトリックは不明であった。その手捌きが華麗なことから、日本人旅行者はこれを「ウイグルマジック」と呼んで、お互い注意喚起していたのである。

私は、よせばいいのに、その「ウイグルマジック」とやらを実際に見たいという衝動にかられた。













「平和」「人権」「男女共同参画」、、、この甘い言葉に気をつけろ!
わが町の掲示板に、「平和講演会」と銘打って、某有名タレントの無料講演会が開催されるとのポスターを発見、、、、、主催は私の住む某市人権課。そう、市役所には人権課なるセクションがあって、いつも、有名人を招聘しては無駄な予算を使っておりますな。まあ、毎度のことですが。

みなさんの住む町にもそんなセクションありますか?

私の住む某市は、やたらと左翼勢力が強くて、「非核都市宣言」なんていうことも採択しております。

さて、その講演会、入場は無料ですが、言うまでもなく、そのタレントに支払われる講演代は税金から支払われます。で、少し予算編成を調べてみると、なんと、人権広報「講演費」の名目で350万円もの予算が当初から組まれており、要は、毎年毎年、その手の左翼向け講演会を繰り返すための金銭的裏づけが保障されているわけです。

我々の税金から、有名タレントの「余禄」として、一回につき推定50万円から100万円ほどの無駄ガネが流出しているのに、文句を言っているのは私だけ???

今、地方分権が取りざたされてますが、東京のような大都会には保守派の勢力も根強くあり、チェック機能は果たせますが、地方の現状は左翼の天下。解同や民潭、総連の支部は市内にもあって、組織的に陳情しておりますわ。

もし、地方に予算決定権がさらに委譲するようになれば、ことほど左様に、無駄ガネを特定勢力のポケットに流入させるような政策が実施されるようになります。

ちなみに市立図書館には、「世界」「部落解放」「週刊金曜日」のような左翼系雑誌は常備しているのに、私が10年以上前からリクエストしても「サピオ」「正論」「諸君!(休刊になりましたが)」は一向に置く気配はありません、、、、無視しているのは明らか。

みなさんの町にも目を向けてみませんか?

世界ケンカ旅行(中共編)
フェリーターミナルの出口では、フリーの闇両替屋がたむろして人民元への両替を申し出てきたが、我々の引率役でもあった経験者氏によると、ホテルの入り口にいる両替屋が確実でレートも高いという。

我々一行はフェリー埠頭から徒歩でプージャン飯店に辿り着いた。上海の通りには、自転車だけではなく、市内バスやトラックも激しく往来していた。トラックは博物館から出てきたような旧式で、一見すると日支事変以前となんら変わりない街の風景である。ちなみに、街行く人々の中に中山服を着る人はほとんど見かけなかった。

プージャン飯店のレセプションでの手続きは極めてスムーズであった。さすが、外国人慣れしているというか、鑑真号のクルーと同様、最小限の「仕事」はしてくれた。服務員のサービスの「格差」というのは、その服務員の所属する場所が国営か民営かによって天と地の開きがあることは、のちのち思い知らされることになるが、プージャンが民営なのかどうかは知らない。

プージャン飯店は租界地時代からの古い建物を改装したホテルで、メンテナンスをしっかりすれば一流ホテルとしても通用する素地があった。ただ、いかんせん、中共のもとではどうしようもなく、ただ古ぼけたホテルにすぎなかった。

我々は全員がドミトリーに落ち着くことになり、ホテルの3階と4階に分かれることになった。私の部屋は4階のもっとも階段に近い部屋だった。ドミトリーは広く、天井が高い。15人分ほどのベッドがゆったりとした間隔で配置されていた。この部屋の宿泊客の8割程度が日本人であった。

ドミトリーの窓際には、大きなテーブルがあり格好の雑談スペースとなっていた。私は荷を解くと、テーブルに座っている先住者たちに挨拶した。

プージャンのような大都市のドミトリーには、人が集まり、情報交換の場となる。口コミがガイドブックに載っていない最新の旅行事情を入手する唯一の方法であった。

私は、ホテル周辺の状況を少し教えてもらい、さっそく上海の街に飛び出すことにした。

そして、本当のシナ人の洗礼を受けることになる。





世界ケンカ旅行(中共編)
上海のフェリー埠頭は長江の支流である細い川を入ったところにあった。
我々は上陸地点を目前にして、ゆっくりと進む船のデッキから中共の街並みを眺めながら最後の時を過ごした。

2泊3日の船旅は快適とは言えなかった。瀬戸内海を抜けた頃から波が高くなり、2日目は船酔いで立っていられないほどであった。3日目の朝、船が大陸に接近する頃になって、ようやく波は収まる。

船旅最後の日に、ビザの押されたパスポートは返却され、いよいよ上海上陸の準備は整った。

船内では、通貨の両替も行っていた。

中共で流通している貨幣は二本立て、すなわち、「人民元」と「外貨券」とに分かれていた。

人民元は文字通り、中共国内に限って一般に使用できる通貨であり国際通貨としては認められていない。外貨券は外貨との交換が可能な紙幣である。単位はどちらも「元」「角」等の種類があり、建前は1対1の等価交換比率となっているが、闇レートでは2倍程度の差が付いていた。

今回は米ドルのトラベラーズチェックと日本円の現金という組み合わせで持ってきたが、さっそく、1万円を船内で両替した。すでに旅行経験のある同室の日本人によると、レートは市中の中国銀行と大差はないとのことであった。

下船が近づくにつれて、シナ人乗客達が出口付近に大量の荷物を置いて、自分の場所を確保する準備を始めた。話に聞いた通り、列を作るようなことはしない。ただ単に群がっているように見えた。

我々日本人も「郷に入れば、、、」の格言通り、シナ人と同様にバックパックを床に置いて下船を待った。

フェリーが埠頭に横付けされる作業の間、窓から上海の風景を眺めていると、自分が昭和初期にでもタイムスリップしたような錯覚に襲われる。

街並みは白黒写真で見た上海の風景と寸分違わぬように見受けられた。ただ、経済特区に指定されていることもあるのだろうが、建設中の高層ビルも見えた。

下船が始まり、乗客は入国手続きのために事務室に歩いた。
入国審査は韓国よりも楽で、荷物はフリーパス同様であった。

同室だった6名ほどの日本人はいっしょにホテルに向かうことになり、経験者に引率されてフェリー埠頭から歩いて20分ほどにある「浦江(プージャン)飯店」を目指した。









「トランスフォーマー リベンジ」鑑賞記(ネタバレなし)
「ターミネーター4」にするか迷いましたが、こちらの方の評価が圧倒的に高いのでトランスフォーマーに決定。

最近のアクション映画はテンポが速くて、CGも極限の域に達した感もありますが、正に、その究極のような作品でしたな。

話は至って子供騙しで、乗り物に化ける宇宙金属生命体が正義と悪に分かれてバトルを繰り広げるという、ともすると陳腐になりかねないテーマですが、もうね、なんちゅーか、そんな理屈なんかどうでもいいほど展開が速い速い。

一作目のコンセプトをすべて受け継いだ内容で、米軍が陸に海に空に展開してロボット軍団と壮絶な戦いをするんですが、迫力満点のなんの、、、、、戦争映画としても凄い!

一方では、家族愛や恋愛のエキスも注入しており、疲れ目を癒すに適度な息抜き場面もあります。

2時間半と尺は長めですが、文字通り、時間を忘れさせてくれる作品でした。

copyright © 2005 ぼやき大爆発 all rights reserved.
Powered by FC2ブログ.
★付属掲示板へはココをクリック★