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ぼやき大爆発
世捨て旅行者の雑記帳
世界ケンカ旅行(中共編)
周囲を固められて身動きが取れなかった私にできることは限られていた。

私は右足のかかとを地上30センチほど振り上げて、右脇の男のつま先目がけて全力で蹴り下ろした。

なぜ右の男を狙ったかというと、私の利き足がたまたま右足だったからで、どちらを先に狙おうか考えている精神的余裕はなかった。

ところがこの威力たるや予想外に大きかった。全体重が集中した私の「かかと落とし」の衝撃力は有に100キロは超えていただろう。しかも、私の靴はトレッキング向けの厚底で固かった。

私は自分のかかとにイヤな衝撃を感じた。多分、男の足指の骨は折れているだろう。グニャリと凹むような感覚であった。ただ、この段階で手加減している余裕など到底ない。

男は「アヤー!」と、絞り上げるようなうめき声を上げた。
苦悶の表情で顔が歪んでいる。

私は蹴り下ろしたとほぼ同時に、右の男に回り込むように前方に体をすべらせて、背中に密着していた男から離れた。

あとは、ひたすら逃げるのみであった。

バス亭の群集を全力で突進して押しのけて、現場から逃走した。

我に戻ったのは300メートルほど走りぬいた頃であった。

コートの背面に手をあてて被害を確認すると、やはり、刃物か何かで切られていた。

今回のスリは、複数による計画的犯行に間違いなかった。
しかも、状況から考えて、偶然にバス亭で被害に遭ったとすれば、それはあまりにも偶然すぎる。

おそらく、犯人グループはかなり早い段階で事前に私を見つけて尾行を開始、バスに乗り込むチャンスを虎視眈々と待っていたと考えるのが普通だろう。

もちろん、私がどの時点から尾行されていたのかは全く知らなかった。想像力を働かせるならば、犯行グループには「尾行班」がいて、これまた数人で代わる代わるターゲットを追尾していたのかも知れない。これはこれで別の意味で怖いことである。

まさに「スパイ大作戦」のような手法だが、遭遇が偶然とするならば、市街地のどのバス亭にもスリがいることになってしまうのだ。

私は西安にいた残りの数日間、バスに乗らなかったのはもちろん、不審な奴が後ろを尾行していないか確認しながら歩く癖をつけた。

(こんな街からはオサラバだ!)

私は西安駅で次の訪問地に向かうべく列車に乗り込んだとき、心の中で呟いた。









世界ケンカ旅行(中共編)
私はバスの停留場で辺りを見回して、不審な人物がいないか確認した。

少なくとも外見的に怪しい男はいなかったので、安心して群集の中でバスを待っていた。
バッグは両腕で抱えるようにして胸の前で保持していたから、スリがあれば、防止できるかはともかく、行為自体は把握できる態勢になっていた。

バスが到着すると、降りる客と乗る客が同時に出入り口に殺到した。この光景は中共ではお馴染みである。
ここで「おしくらまんじゅう」が始まるわけだが、この瞬間が危険だった。

人民がバスに殺到するのにともない、私の胴体に人の圧力が容赦なく加わった。
ただ、スリ対策に神経を集中しているから、妙な力の加減をすぐに察知した。私がバスに乗ることだけに懸命だったら意識しなかったはずである。

(両脇が変だ!)

私の左右にいる人民の行動が不自然だった。バスに突進するより、私を押しているような動きであった。

その時である。
私の着ている防寒コートに突起物のようなものが当たるのを微かに感じた。ちょうど腰のあたりか?

(こいつら全部グルだ!)
私は心の中で叫んだ。

犯行の全体像が何となくわかった。
スリは単独ではなく複数で実行されるのだ。

左右で私を押さえつけている男たちを睨みつけると、彼らは私の視線を明らかにそらして、無視を決め込んでいた。外見は30代、普通の工員風でスリには見えなかったが、とんだ食わせ物である。

恐らく、私のコートはナイフで切られているはずである。それを直接感じないのは、後ろにピッタリ付いている犯人が上手いからだろう。

このような状況では、じっと我慢するのが最も懸命な対処法だろう。相手は刃物を持っているのだ。
他者に説教するなら、抵抗しない方法を薦めるに違いない。

だが、こと処世に関しては、十分な時間をかけて熟考できる問題と、即断で数秒以内に決断しなければならないことがある。この場合は、後者にあたる。

(やるしかない!)

私は反撃する決心をした。




















世界ケンカ旅行(中共編)
西安観光における名所の代表格は兵馬俑であろう。
ここは秦の始皇帝の強大な権力の一端が確認できる唯一の場所であるが、西安の城砦内からはバスで移動するしかない郊外にあると知って、私は訪れるのをやめた。

ここは最近になって偶然発見されたという遺跡だが、秘密裏に始皇帝が埋葬されていなければ間違いなく後世の為政者に破壊されたか盗掘で空っぽになったかだろう。それを防ぐために、造成に関わった人夫は完成後に抹殺された、、、おおよそ、そんなところだと思う。

私にとっては、西安の荒んだ街並を歩きながら見物することによって、この国の歴史に思い巡らすことで十分であった。

西安の中心部は南北2~3キロ程度で、健脚であれば徒歩で動き回ることができる。
市内のバスは例によってスシ詰め状態が多く、乗るのを躊躇させるが、私がここでバスに乗らなかったのは、別の理由からだった。

城砦内のバスには「間違いなく」スリがいて、日本人旅行者でバスに乗ったら、確実に被害に遭うというのだ。実際は、バス内にスリが常駐していると言うよりは、「これ」と睨んだ旅行者を巧妙に尾行しながら犯行に及ぶのだろう。
バスに乗る際にこれを防ぐには、シナ人に変装するのが有力な対抗策だった。男性なら、解放軍用で布団のようなカーキ色の外套を着るという手もあったが、スリの目を誤魔化すのは難しいだろう。


さて、健脚を自負する私も遂にバスに乗るときがやってきた。疲れ果てた末に、数キロ先のホテルに帰る際のことであった。

どのような街でも、一日中歩いていると、2日目からは油断してしまうものである。しかも、いくら治安が悪い西安と言っても、路上強盗があちらこちらで頻発するようなことはなく、先進国の基準でいうとむしろ治安はいい部類なのだ。

私が伝え聞いたところによると、スリの手口は刃物でバッグ・衣服を切り裂いて、荷物を抜き取るパターンであった。抵抗しなければ危害は加えないだろうし、私のバッグには貴重品は入ってない。パスポート等はマネーベルト式の腹巻に隠してある。

私は意を決して、夕暮れの路線バスに乗るべく雑踏の中の停留所で待っていた。










世界ケンカ旅行(中共編)
鉄道で車中泊すること3夜。何キロあるか知らないが、ウルムチから東に戻り、西安に到着した。
ざっくり言って、中華人民共和国の広大な版図の西の端から真ん中過ぎあたりまで戻ってきたことになる。

その昔、「帰り道は遠かった」というGS歌謡曲があったが、歌の文句じゃないが、同じ長距離の鉄道旅行でも、やはり「帰り道」の方が「来た時」より「遠い」し、数段「苦痛」である。

もし、これが逆で、散々漢民族圏をグルグル回ったあとに、ウルムチに行くとなると、高い目的意識がないと精神的にきついだろう。

中共最長の鉄道路線に乗って体感することは、この国の半分以上の面積に漢人以外の土着民族が居住していて、しかも、その土地は極めて不毛に近い砂漠スレスレであるということである。


さて、西安は、紛れもなく漢民族の都市であり、中国史をよく知らない私でも、ここがかつての長安であり、中国古代史の中心的役割を果たした大都市であるくらいは知っている。
奈良や京都の都市計画のモデルになったのも当時の国際都市・長安であったという。

だが、古代中国史好きの、ある種のロマンを求める思い入れの強い「歴史おじさん」がこの街を訪れたら必ず幻滅するに違いない。

とにかく、古代・中世の建造物が何一つない。すべて破壊されているのである。ここには、日本で語られるような情感たっぷりの歴史話が存在しないことが一目瞭然なのである。
中国の歴史は、新しい支配者が前の支配者に取って代わった時、壮大な破壊と絶滅が行われる全否定の歴史なのだ。

司馬遼「街道をゆく」風に言うと、、、西安の街を見ていると、処刑される何万もの敗残兵の姿、何百人もの兵士に輪姦されて殺される女たちの怨霊が目の前に蘇ってくるんです、、、てな具合だろう。

しかも、中共で最も治安の悪い街、、、という悪名名だたる西安であった。

この小説のタイトル「世界ケンカ旅行」の名に相応しい事件が起こったのは到着して二日目のことであった。















世界ケンカ旅行(中共編)
私と遠藤さんが交互に行った射撃は30分程度で終了した。

我々は代金を将校に払うと、解放軍ジープで駅まで送ってもらった。

遠藤さんは当初、ホテルで私を誘った時点での内容と、事の顛末が全然違っていたことから、申し訳なさそうな表情をしたまま、帰還のジープの中では言葉少なめであった。


さて、遠藤さんとはその後のウルムチでの3日間、毎度の食事をいっしょに取る仲となった。
彼からは必然的に、主として地方の旅行情報を聞いたが、非解放都市まで進んで行く気にはなれなかった。
遠藤さんはウルムチを起点としてシルクロードの小都市をいくつか周るという。

私は彼よりも一足早くウルムチから移動することにして、次の中継地点である西安に向かった。






世界ケンカ旅行(中共編)
解放軍の射撃場は長さ300メートルほど、20名程度が一度に射撃できるスペースがあった。ただ、野晒しのため、雨天時は地面がドロドロになるだろう。雑草はそのままになっていて放置されていた。

ジープは射場に横付けされ、私と遠藤さんを含む4名が車を降りた。すでに射場には一台のトラックが駐車していて、作業員が荷台に座ってタバコを吸っていた。

この国にしては用意周到で射場の端にはすでに木製テーブルが置かれ、その上には銃器が並んでいた。事前に連絡していたのだろう。

遠藤さんはメモ帳とボールペンをデイパックから取り出して、筆談で料金交渉を始めた。料金がよくわからないのは彼も同様なのだろう。貧乏旅行者の思考は同じである。
ここは遠藤さんが最初に話を持ちかけてきたということで、すべて彼に任せることにした。ただ、料金が法外に高い場合は射撃をしない選択肢も残っている。もっとも、厳密に言うと軍で外国人に射撃をさせること自体が法外ではあるはずである。

テーブルの上には解放軍が現用で装備している小銃、機関銃が5丁程度並んでいた。最も目を引いたのは、携帯型対戦車ロケット砲、ソ連のRPG7タイプであった。

値段を最終確認した遠藤さんが私に説明した。

「このロケット砲だけ、一発500元、残りの機関銃は100発で200元です」
「種類に関係なく?」
「だと思いますね」

この値段が高いか安いかの判断は難しい。
どうせ、元手にカネはかかってないはずだから、サービス料だけとなる。とするとこの国の平均賃金を考えると暴利を取っていることになる。

ただ、同じ射撃をアメリカでするとなると、もっと高いだろうから、先進国の物価と比較するなら安い。第一、軍用銃を撃つ機会など滅多にないから、これは「お徳」だろう。

2人は射撃をすることに決めた。

私は100発のうち、小銃に60発、残りの40発を機関銃に割り当てることにした。さすがにロケット砲は棄権した。

小銃はいわゆるカラシニコフ銃、ソ連のAK47タイプで、中共製の56式小銃であった。

テーブルの上では解放軍の兵士が黒く汚れた実弾を一発ずつバナナ型弾倉に詰めていった。弾薬庫の中で寝ていた期限切れの弾といった外観で、代金を取って撃てば在庫処分と小遣い稼ぎの1石2鳥といったところだろう。

まず、一つ目の弾倉が銃本体に装填され、私に手渡された。弾倉1本につき本来は30発入るが、スプリングが強すぎて手込めが面倒になるため、20発3弾倉の計60発である。

解放軍兵士が横でピタリと付き添って監視していたが、実弾射撃を一見の外人にさせるのであるから、神経質になるのも仕方がない。私が変な動きをすると、瞬時に銃を押さえてサポートしてくれた。

射場には一応の的もあったが、私はむしろ射撃の感覚を楽しむように撃った。

単発、連発と切り替えながら自由に撃ちまくる。2本目の弾倉を消化した頃には、摩擦熱で銃全体が熱くなっていた。銃身付近はヤケドしそうで触ることもできない。

3本の弾倉をあっと言う間に撃ちつくすと、次は機関銃射撃であった。






世界ケンカ旅行(中共編)
私と遠藤さんを後部座席に乗せた解放軍のジープはウルムチの中心地から郊外に向かって走っていた。

助手席に乗った将校とは、身振り手振りと、簡単な英単語の羅列だけでコミュニケーションを図っていた。
遠藤さんは列車内では筆談で会話していたらしいが、とても込み入った意思疎通はできそうにない。

全体の雰囲気から、この解放軍将校は「何らかの取引」を我々としたいらしいことがわかった。

ホテルで遠藤さんから聞いたような「友好的招待」とは若干違うような語調であった。

そのうち、将校は小銃を構えて撃つ格好をした。
「FEC200元、、、」
将校の言葉から値段交渉らしき数字が出たとき、何となくこの男の目的がわかった。

「遠藤さん、我々に射撃を勧めているようですね」
私は言った。
「う~ん」
遠藤さんは押し黙った。

と言ってみても、すでにジープは郊外の解放軍駐屯地の近くまで来ていたのである。
正直、ウルムチのどこにいるのか皆目わからない。

遠藤さんは楽天的な性格らしい。将校との会話を都合よく「意訳」していたのであろう。目の前にいるのは威厳高き軍人と言うよりは、商売人と呼ぶのがむしろ相応しい。
観光客に射撃させて、その代金をポケットに入れようという魂胆らしい。

考えてみれば、この国の公務員は誰しも、それぞれの立場に応じた権限を利用して私腹を肥やすのが常識なのであるから、切符売場の駅員が切符を横流しして差益を得るように、軍人も燃料を市中に横流ししたり、射撃をさせて代金を取ることも不思議ではない。どうせ、弾薬は訓練で消費してしまうから、帳簿上バレることもないのだろう。

ジープは、広大な駐屯地の正門から堂々と敷地内に入っていく。ドライバーは営門の横で車を一時停止させた。
助手席の将校は門前に立つ衛兵に手を振ると、小銃を持った衛兵は軍人らしいキビキビした動作で返礼した。

私はかなり不安だったが、遠藤さんは衛兵の持つ小銃を興味深そうに注視していた。常人にはとても楽しめる状況ではなかったが、この好奇心こそが彼の奔放な行動の原動力なのだろう。

人民解放軍の駐屯地内には、2階建ての兵舎らしき建物と資材庫のような窓のない建物が合わせて20棟ほど並んでいた。兵士たちは、空き地に植えられた作物の手入れをしている様子であった。確かに、この地では市中で食料を調達するより軍用地で自給自足した方が供給が安定している。第一、ウイグル人と漢民族では食事も根本的に違うはずである。
ジープから見る限り、兵士の中にウイグル人はいない。辺境警備と同時に、現地ウイグル人を抑えるのがこの部隊の任務なのだろう。

ジープは、農園から少し離れた射撃場に到着した。

私は、まだ料金の交渉が済んでいないまま事が進むことに不安が増した。200元ならいいが、全所持金を取り上げられたら旅行は中断となる。









世界ケンカ旅行(中共編)
「遠藤と言います。香港から入って、広州を皮切りに各都市を周った末にここに着きました」
男性は自己紹介した。
この遠藤さんは年齢にして30歳くらい、頬がこけて無精ひげを顎に蓄えた典型的な放浪型貧乏旅行者である。

初対面旅行者同士の仁義として、例によってお互いの辿ってきた旅行ルートの簡単な説明をしたあと、シナ人のトンデモ話をしながら情報交換をした。
この国ではシナ人の悪口を言うだけで会話のネタが延々と続く。

さて、遠藤さんも、プージャン飯店の達人に負けず劣らずの旅人であることがわかった。特に、彼は非解放都市、すなわち、旅行者の立ち入りが禁じられている小都市にもローカルバスで入り込んでいく冒険野郎であった。
しかも、現地語が達者なわけではなく、簡単な北京語だけで外国人が泊まることのできない宿に滞在したというのだ。

話をきくと、彼も数時間前にウルムチ駅に到着したという。

「解放軍の軍人と列車で知り合いましてね、、、」
彼は続けた。

「たまたま軟座しか空いてなくて、いい席に乗っていたんですが、隣の人が軍服を着ていて、、、」

話を総合すると、その軍人はウルムチ近郊に駐屯する人民解放軍の将校、しかも佐官クラスらしい。
地方では珍しい日本人旅行者と出会って、車内で会話が弾んだ末、駐屯地に遠藤さんを招待したのだ。
といっても、さすがの冒険野郎・遠藤さんも一人では不安なので私を誘ってくれたという次第である。

「で、その駐屯地の場所は知っているんですか?」
私は訊いた。

「それは大丈夫です。今、駅で待ってくれてますから、、、買い物をしてから帰るそうなんで大丈夫ですよ」
「え、、、?」

何と、遠藤さんは解放軍の将校を駅で待たせていたのである。
「じゃあ、すぐに行った方がいいんじゃないですか?」

私は遠藤さんを促すと、再びホテルを飛び出した。

はたして、駅に到着すると、雑踏に混じって1トンくらいありそうな濃緑色の軍用車両が駐車してあった。見るからに解放軍の車であった。

「あのジープがそうなんじゃないですか?」
私は指差して言った。
周辺のウイグル人は我々をジロジロ見ながら通り過ぎていく。日本人はちょっと見、漢民族と同じだが、服装が人民と全然違っていたから非常に目立つ。

ジープにはドライバーらしい若い兵士と、くだんの将校らしい中年太りで腹の出た見るからに偉そうな軍帽を被った男が暇そうに座っていた。

「あ、あの人ですよ!」
遠藤さんは言った。

我々はジープに近づいた。

(以下続く)











世界ケンカ旅行(中共編)続編スタート
(前回までのあらすじ)
1980年代後半、第二の渡航先である中華人民共和国に入国した。上海では、それまで日本国内ではまったく教えられていなかった、日本人とは対極にあるシナ人の民族性、社会主義の致命的欠陥を知る驚愕の体験をすることになる。上海での体験を踏まえて、主人公はシンチャンウイグル自治区のウルムチに向かった。




私はホテルを出てウルムチの中心地を散策してみた。
上海では、南京路周辺で暗躍するイカサマ闇両替屋として旅行者には名高い、掘の深いアラブ系の顔をした人々が普通の生活をしていた。
街のたたずまいは無機質なビル群が連なる、コンクリートの塊といった情景で、上海を小さくしたような雰囲気であったが、通り行く人々が決定的に違っていた。
やはり漢民族とは違っていて、上海中心部で目撃した人々のギスギス感、人間相互不信に満ちた人民の群集とは離れた、人間が人間らしい営みをしている情緒さが強烈に感じられた。

いわゆるエキゾチックなアラブ的雰囲気であり、シルクロードを意識せずにはいられない。
私はようやくここに至って、「旅」をしていると実感した。

一時間ほど歩いて、ホテルに戻った。

レセプションにいる服務員によると、ドミトリーに他の宿泊客がいて、部屋の鍵はその人が持っているという。
私はそのまま階段を上って、未だ見ぬ宿泊客に期待を寄せながら自分の部屋に入った。

部屋には到着して間もないと見受けられた日本人とおぼしき男性がバックパックを解いていた。
彼は生活品をベッドの上に並べて宿泊準備の最中であった。

「こんにちは」
彼から最初に声をかけてきた。

(以下続く)














不思議な金賢姫来日
鳩山私邸に宿泊していること、強引とも言える政治主導で来日を実現させていることから、民主党が何らかの思惑を持っていることは確かでしょうが、タイミング的には微妙なところですな。

正直、彼女の来日に政府がチャーター機を出すなど、無駄もいいところ。って、こちらの関係者が韓国に赴いて直接話しをすれば十分でしょう。連れてきたところに政治的臭いがプンプンします。

これって、実は選挙前に来日させる計画が後ろ倒しになったなんていう笑い話ではないでしょうね、、、

いずれにせよ、この件でワイドショーも含めてマスコミが一斉に報道しているのは過熱しすぎ。

何かあるぞ。



暑中お見舞い申し上げます
いやあ、暑い日々が続いておりますなあ、、、

何だか久々の猛暑が到来したような今年の夏。

体調崩さないようにしましょう。
終戦記念日にむけて菅左翼政権内の不穏な動き
どうも、村山談話・河野談話のように歴史に名(悪名)を残したいようですな。この男は、、、

朝鮮併合100周年にあたる今年、当時の国際法上も、国際通念上もなんら問題のなかった領土拡大に対して、「お詫び」の談話を検討しているとのこと。

例えば、イギリス・フランスなどアフリカ大陸とかアジアに広大な植民地を持っていた、かつての欧州列強国が謝罪したなどとは寡聞にして聞いたことがありません。

しかも、朝鮮半島に対しては搾取どころか当時の内地を上回る公共投資により近代化を進めたんですな。

「おしん」でも描かれていた東北地方など、日本国内辺境の貧困は放置されたまま、京城には帝国大学が設立され(名古屋帝大よりも先んじて!)街が整備されていったんです。
昭和40年代頃まで、東北の山岳地帯なんかは「日本のチベット」と呼ばれていたのをご記憶でしょうか?辺境開発が加速度的に進んだのは田中角栄の時代以後なんですね!!

悲しいかな、当の韓国では徹底した捏造偏向歴史教育と嘘報道により、国民大多数がこのような事実はほとんど知りません。

で、韓国の捏造された歴史を信じている日本人も少なくない現状。それを引っ張る日本の左翼。

いったい、どんな「菅談話」が飛び出してくるのやら???

メシのウマいことよ、、、
思えば3年前、期待していた安倍政権下での参院選挙での惨敗以来、歯車が狂ったかの如く日本が転落していく様子を目の当たりに見て、絶望に打ちのめされ続けてきた日々、、、

ようやく最後の最後、破滅への道の一歩手前で踏みとどまった今回の選挙結果でしたな。

昨日から、久しぶりにテレビの全国ニュースを続けて見ております。苦悩する民主党の幹部連中の報道を何度も見てニヤニヤ、、、

いやあ、メシがうまいのなんの、、、





これで日本は助かった!悪の法相・千葉景子が落選
神奈川選挙区は最後まで接戦だったようで、千葉の落選が確実となったのは菅の敗戦会見の最中でしたな。

内閣改造となれば、重要ポストである法相の交替は間違いなし。ま、次に誰がなろうとも、彼女よりはマシです。

日本解体3法案も当面はお蔵入りだろうし。


しばらくメシの旨い日々が続きそうですわ、、、
民主党政権が安定過半数になれば日本は崩壊する!!!
いよいよです。
日本が70年代の英国病のような骨抜き経済になり、街中に生活保護を受けて遊んでいるシナ人が闊歩する社会になるかどうかの瀬戸際です!
さあ、投票だ!地方区は「自民党」候補に、比例区は「たちあがれ日本」に!
とにかく、最低でも民主の単独過半数は阻止しましょう!!!
あの(自称)新聞が民主党の機関紙になった!
夕方、駅のキオスクで夕刊紙の見出しをサラリと眺めると、東スポでニヤリと笑い、その隣の日刊ゲンダイで不愉快になる、、、こんなサラリーマンの方も多いでしょう。

ここ数日の日刊ゲンダイの一面は、あからさまな民主党支持、、、というより、党の選挙広報になっておりますな。

ざっとこんな具合、、、


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一応説明しておきますが、日刊ゲンダイは日刊現代社の発行で、似たような名前の週刊現代(講談社)とは一切関係ないそうです。ちなみに、こと政治に関しては両紙の主張は180度違いますな。


まあ、これって選挙違反にはならないそうなんですが、日刊ゲンダイってえのは、偉そうに主張している割には、紙面はギャンブルありエロ風俗あり、、、内容的にはそこらのスポーツ紙と大差ありません。

正直、自民党支持者が見たら反吐が出るような見出しですが、こうやって読者を減らしてもいいんですかね、、、


面倒くさいことはやめろ!
サヨ菅の言うこともブレブレで将来の税制の実態もわかりませんが、もし、消費税アップした際に、低所得層への還付をするというなら、実務的には、物品購入時のレシートを収集整理して還付申告する、、、要は、レシート・領収書を全部保管することになるわけで、毎日の生活が面倒なことになりますな。

それでなくても、最近はポイント制とか、電子マネーとか、場末のコンビニでもワケのわからんシステムが横行しているのになあ、、、もうね、行く先々で「ポイントカード」の提示を確認されるので、これなんとかならないか?

そのポイントも、家電系みたいに貯め甲斐があるならまだしも、ほとんどが「100円で1ポイント」なので、要は購入価格の1%程度がバックされる程度。

その昔、初めて消費税が導入されたとき、それまで注目されることのなかった1円玉が生活になくてはならな通貨になったように、次の増税ではレシートの収集整理が日課になるんだろうか???

こっちも面倒だが、税務署もタマランだろうな、、、

郵便局に見る不条理
政権交代で、社会が変わった、、、そんなことを実感させることがありました。

本日、所用で近くの郵便局に行ったところ、部屋の奥で睨みを利かせていた防犯カメラが、180度反転していて、壁を向いていたんですな。防犯用としては見た目にも要を成しておりません。

「ああ、そうか、、、」
私は最近見た記事を思い出しました。

参照:この記事

「こいつらバカじゃないか???」 心の中で呟く私。

巷では、本物の防犯カメラをコスト面の理由から導入できないので、ダミーの防犯カメラを設置して犯罪抑止にしている民間店舗もあるぐらいのご時世に、まあ、贅沢なことですわ。同じ使わなくても、スイッチを切っておけば済むだけの話。ある程度の抑止力にはなるでしょう。

それを、誰の指示か知りませんが、客から見える形でカメラを後ろ向きにするなんぞ、警察でなくとも愚行を指摘したくなります。

これが政権交代の成果かよ!


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