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ぼやき大爆発
世捨て旅行者の雑記帳
世界ケンカ旅行(欧州編)6
西ドイツマルクへの両替は空港内の両替屋で行ったが、TCの手数料が高く、3%近く取られてしまった。
ヨーロッパを周遊する旅行者にとっての悩みのタネはこの両替で、現地通貨に交換する度に何らかの手数料を取られる仕組みとなっていたからたまらない。その後、統一通貨ユーロが出現したが、私自身はその利便性の恩恵をまだ受けていない。

空港から中央駅までは「Uバーン」と呼ばれる地下鉄路線で結ばれていたので、さっそく列車に乗り込むことにした。
西ドイツの鉄道駅には日本でいうところの改札口がなく、切符を購入してそのままプラットフォームに向かい、客車に乗り込む方式である。
プラットフォーム周辺には切符にチェックを入れる刻印機があり、乗客自らチェックを入れなければならない。地下鉄を含むコミューター列車でも同じ方式で、一見して乗客の「性善説」に基づいた方式となっているが、タダ乗り抑止策として、私服の「秘密検札員」が不定期に検札することで対応している。
私自身は1ヶ月程度の短い滞在期間中でも西ドイツ国内で数度体験しているから、かなりの頻度で実施していると思われる。やり方は、客車の扉から入ってきて、「切符を拝見します!」と乗客に宣言してから、ひとつの車両を巡回する。その車両が終わると、次の駅で降りて、嵐が去るように消えていくのである。これは、抑止力としては効果的には違いないが、やはり確信犯には通用しないであろう。例えば、朝夕のラッシュ時は物理的に検札自体が難しいから、この時を狙えばタダ乗りは至って簡単となる。

もちろん、罰金は非常に高く、ざっと20回に1度摘発されただけでもタダ乗りした分は吹き飛んでしまう。常にビクビク周囲を警戒していなければならないということもあり、私自身はついぞタダ乗りすることはなかったのである。
世界ケンカ旅行(欧州編)5
クラウとは意気投合し、フランクフルト中央駅までいっしょに行くことになった。

余談であるが、東西ドイツ(旅行の時点では統一前)には「フランクフルト」という地名が2箇所あり、地図上では「マイン(川)沿い」と「オーデル(川)沿い」とに書き分けてある。西ドイツの商都であるフランクフルトは「マイン川」の方となる。
この他にも、良く似た発音の街がかなりあって、ウムラウトというドイツ語特有の発音記号の有無など、英語に慣れている外人には間違えやすい地名に出くわす。
かくいう私も、まったく別の町を目的地と思い込んで、現地に到着してから間違いに気が付いたことがあった(これに関しては後述する)。

さて、西ドイツの入国管理は日本人には非常に甘い。
審査官に、大判で一際目立つ、赤いパスポート(旧式)をちらりと見せるだけで、「通れ」と言わんばかりに手で合図するだけで審査は終了した。しかし、これでは入国した日付も証拠として残らないから、保険の申請とかあればどうなるのか多少不安になる。少し観察していると、やはりパスポートの中を入念にチェックされている人もいることから、欧州人並みに「パスポートも開かないで」入国ができる日本人の特権とも思えた。
そうすると、日本のパスポートをカラーコピーして、ノートに張りつけただけでも、入国可能となるが、一見して日本人と識別できない韓国人あたりなら実際にできそうな不正行為である(この時点では韓国の地位はまだ低く、西ヨーロッパのほとんどの国で入国ビザが必要だった)。

いずれにせよ、ヨーロッパの第一歩は少し拍子抜けしたものとなった。
世界ケンカ旅行(欧州編)4
彼女の名前はクラウという。
西ドイツ中西部の街で、ライン下りの通過点ともなるコブレンツに住んでいて、香港にいる友人に会いに行ってきた帰りだという。年齢は19歳で、工場で働いているのだそうだ。私が自分の年齢を含めて自己紹介すると、驚いた表情をした。私が「高校生」に見えたというのだ。当時、すでに20代の半ばに入ろうかといった私であったが、白人社会では東洋人は実年齢よりも若く見えるらしい。

クラウとは、もちろん英語での会話であったが、ブルーカラーだけあって、ドイツ訛りが強く、洗練されているとは言えない、むしろ私の方が達者なぐらいであった。私は少しドイツ語を勉強していたが、一生懸命にドイツ語で会話をしようとする私に同情してか、彼女は終始好意的に接してくれた。 西ドイツでは英語教育が徹底しているためか、多少ドイツ語ができる程度では、むしろ、英語の方が使い勝手がいいことが日を追うに従って判ってくることになる。

この、初めての欧州旅行では、現地人に必要以上に親切にしてもらうことが多かったが、今にして思えば、私が現地人に「未成年」と見なされ、安心されていた(見下されていた)からであろう。30才を超えてからも何回か欧州を旅行したが、同じような体験は2度となかったのである。

世界ケンカ旅行(欧州編)3
エアランカ機はほぼ定刻通りにフランクフルト国際空港に着地した。現地時間の夕刻であった。

香港からスリランカの首都であるコロンボの空港までの便では、スリランカ人を含む雑多な人種で混んでいたが、コロンボ・フランクフルト間の便は乗客のほとんどがドイツ人主体の白人であった。
乗客は機体が無事着地した直後、申し合わせたように拍手して無事を喜んだ。

コロンボでは1日間だけストップオーバーしたが、ここでは小額のドル紙幣が非常に役に立った。残念ながら心はすでに「欧州にあり」で、スリランカを堪能しようという気は起こらず、むしろ、その暑さに辟易してしまい、途中降機したことを後悔したほどであった。その場合、空港で夜を明かさなければならなかったが、エアコンのある空港で横になっていた方がよっぽどよかったと思った。
コロンボ自体は海岸沿いの都市で、レストラン街はヘドが出るような香辛料の匂いがプンプンする。インドの一部と言われても違和感がないエキゾチックな雰囲気である。

単なる偶然で訪問したスリランカよりも、むしろ、コロンボ・フランクフルト間の機上の方が退屈なく、かつ有意義であった。

3列ある窓側客席の真ん中をひとつ開けた両脇に私と、もうひとり、若い白人女性が座る格好となっていたが、窓際に座っていた私がトイレに立つのをきっかけに簡単な挨拶から2人の会話は始まった。
世界ケンカ旅行(欧州編)2
当時の香港では、ヨーロッパまでの片道航空券が6万円前後で買うことができたから、それにシャンハイまでの鑑真号の片道が2万円、中共のビザ代が1万円、香港までの鉄道代が5千円として、合計10万円以下で済む計算となる。
一方、ロンドン発券で日本行き片道がこれまた5~6万円らしいという情報も入手していたから、結局はアエロフロート使用で日本から出発するのと変わらないという試算となった。
帰国便を現地で購入することによって、日程に縛られることもないし、予定変更も自在である。結局はそれが決め手となり、ロンドンでチケット購入する案を採用するに至った。
ヨーロッパの域内移動は鉄道が主体で、ユーレールパスも香港で購入する。ただし、こちらは日本との価格差はなかった。

さて、本旅行の最大の目的だが、当然、一般的な観光となるものの、個人的にはさらなる別の関心事があった。この目的のためにすべての時間的・金銭的努力を傾注することになるのであるが、これは追って明らかになるはずである。
旅行の総予算は、約100万円。大部分をドルのTCと小額のキャッシュで持ち歩く。期間は3ヶ月くらいを想定しているが、旅行保険は4ヶ月間で加入した。
準備の段階では「貧乏旅行」とは言い難いが、予算の3分の1は予備費と考えて、これを使い切るつもりはなかったのである。



世界ケンカ旅行 第2部 堂々のスタート!(欧州編)1 
私の搭乗していたエアランカ(現スリランカ航空)機はドイツ・フランクフルト国際空港に着陸する態勢に入っていた。1987年冬のことであった。

初めての欧州旅行をどのようなものにするか、、、、「地球の歩き方」ヨーロッパ編を読みながら夢をふくらませてきたが、ある程度まとまった資金の目途がついた頃を見計らい、遂に実現の運びとなったのである。

時、おりしもバブル絶頂期。NTT株が市中に売り出され乱高下する様がニュースとなり、そこらの普通の人々が「数百万」儲けた、、だの、損した、、だの、景気のいい話がそこらじゅうで聞かれた時代であった。

ルートは自分なりにいろいろ考えた末、アエロフロートでフランクフルトから入り、ロンドンから日本に帰着する、いわゆるオープンジョーのチケットを利用する案と、香港まで船と陸路で行き、そこでフランクフルト行きの片道を購入、帰国はロンドンで日本行きの片道を購入するという案のどちらかにすることにした。
後者がいささか複雑なのには説明を要するが、前回の旅行で香港に寄った際、ここで発券されるチケットが日本の旅行社で購入するよりも2分の1以下の値段だったことを知ったからであった。
80年代後半には、すでに日本でも格安チケット専門の小規模旅行会社はあったが、ヨーロッパ往復で最も安いアエロフロートでも14万から16万円くらいした。その他の航空会社でも、25万円程度するのは普通であった。
もちろん、JTBなどの大手代理店で格安航空券が販売されるようになるには、あと10年近く待たなければならない。

ちなみに、これを記述している時点(2011年)では、欧州一流のキャリアでさえ、10万円でおつりがくる。規制緩和とデフレ・円高の恩恵を最も受けているのが、海外旅行者層であることは確かである。

余談ではあるが、当時は、まだ限られたマニアの趣味であったパソコンも、香港では格安で手に入れることができた。日本では60万円はした新品デスクトップだが、パーツを香港の電気街で購入して組み立てると20万円ほどで揃えることができたのである。

80年代の香港はいい時代であった。
帰国しました
シャンハイから到着。
大阪から更新中です。

いやあ、しばらく日本を離れているあいだに原発事故は収拾がつかなくなっておりますなあ、、、、、

まあ、なんとか政府とマスコミが誤魔化してるんで、パニックにはなっていないようですが。

メルトダウンした燃料棒は回収不能ですから、現在の状態が10年以上は続くということですな。
しかも汚染水は垂れ流しのままで、、、、、、


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