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ぼやき大爆発
世捨て旅行者の雑記帳
パソコン雑感2
7年ほど前から使用中の某社プリンタをインストールさせるための四苦八苦の話の続き。

意を決してメーカーに確認したところ、なんとウエブサイトからダウンロードできるということ。

再度、チェックしてみたところ、ありましたありました! 早速、win7(64ビット版)用のドライバーをダウンロードして、プリンタをインストール。

パソコンというのは、こうやって苦労をいくつも重ねながら、いつの間にやら詳しくなっていくわけですな、、、

時間の無駄という気もしますが。
パソコン雑感
第2世代Core i5、4GBメモリという、比較的高スペックの部類に入るPCを使ってみて、やはり感じるのはネット閲覧のサクサク感。パッパッパッパとウエブサイトを切り替えて流し読みできるようになりました。

HD動画など、前の機種だとコマ送り状態になったりすることがありましたが、今度は全画面表示でもスムーズに動きます。

しかし、セキュリティーソフトとか、よくわからないプログラムが常駐しているみたいで、起動に要する時間は1分半くらい。
いくら基本スペックが飛躍的に発達しても、OSがその分複雑になり、余計な常駐ソフトが増えているせいで、パソコンの起動時間は20年くらい経っても全然変わってませんな。
これが家電のように3秒くらいで画面が立ち上がるようになれば、いいんですがね。

また、新しいPCに現用プリンタのドライバがインストールできないことがわかり、これまた困った問題が発生。
メーカーのウエブサイトを見ても、どうやら対応していないらしく、プリンタの購入も迫られております。

そういえば、この20年で陳腐化して用済みとなったPC周辺機器が部屋の奥でたくさん眠っていますが、なんとも無駄なことよ、、、、



野田氏が民主党代表に
最低の代表選挙でしたが、とにかく鳩山と菅よりはマシな総理が誕生しそうですな。

増税を当初から主張していることは支持できませんが、対抗馬となった海江田は知る人ぞ知る親中派。
そして、同じく敗れた前原は中共には嫌われているようですが、外国人献金が次々と明るみに出ているように、根っからの親韓派で、夫人は日本最大の宗教団体の信者。

対外関係に限れば、野田さんは民主党内では最もマトモな考えの持ち主です。

まあ、あまり期待されてはいませんが、前任者2名が最低最悪だっただけに、ちょっとホッとしましたわ。





デルの直販は初心者に不向き
代金を振り込んでからわずか2日で商品が届きました。これは、早いというしか表現がありませんな。

購入したのは、デルinspiron 15Rで、値段は送料込みの51,800円。A4ノートでCorei5、メモリー4Gタイプ。

なぜか、8ギガのUSBメモリーがおまけで付いているんですが、理由はすぐにわかります。


勇んでパッケージを開封しましたが、マニュアルがほとんどなし、、、、

だいたい、ブ厚い操作マニュアルが3冊くらい付いているのが普通だと思ってましたが、簡単なセットアップガイドの小冊子が1部と、あとは直接操作には関係ない、権利義務関係の小冊子が2冊、、、、

要は、「詳しくはウエブサイト上で確認してね」ということで、マニュアル類はデルのサイトに置いてあります。
また、Windows7に関しても、ウエブ上ですべて確認しなければならず、ある意味、購入者は自力で対処しなければなりません。とにかく、ネット環境が前提になっておりますな。
法人契約が主体のデルらしい質素な梱包。ただし、初心者には異常に冷たいですが、、、

長年、Windowsに慣れ親しんだユーザーであれば、セットアップなんかも問題ないのでしょうが、これが初心者なら、はっきり言って顔面蒼白もの。
別途、OSの解説本を購入して自力で頑張るか、知っている人に聞くか、カスタマーサポートのお世話になるかのどれかになるでしょう。

ところが、調べてみると、デルのサポートセンターは中共にあるらしく、シナ人が対応する場合が多いとのこと。まあ、総じて評判は良くありません。
「他社よりも安いなりの理由はある」ということでしょうが、やはり最初の1台目で購入するなら、操作マニュアルの揃った日本メーカーにすべきでしょう。

さて、PCを立ち上げましたが、どうやら初期不良はないような気配。
なんせ、ハードディスクがクラッシュしたばかりなので、カタカタという音が気になって仕方がありません。

オマケに付いていたUSBメモリーは、リカバリーバックアップ用ということがわかり、さっそくバックアップを取りました。
とりあえず、マッカフィーのセキュリティーサービス15ヶ月分が料金に含まれているために、実質、4万円代の非常に安い買い物だとは思いますな。

ただ、正直、デルのカスタマーサポートは全然期待してませんから、何とかアタリが悪くないように祈りながら操作しておりますわ。






テレビのコメンテータよ、今回は「国民不在」の批判は無しかよ!
民主党代表選挙の出馬表明が続いておりますな。

しかし、麻生さんが選ばれたときの自民党総裁選挙の時を覚えてますか?

テレビはこぞって、数合わせだの、政権たらい回しだの、国民不在だの、散々批判しておりました。

ところが、今回の民主代表選挙では打って変わって、小沢グループの票がいくつだの、過半数がいくつだの、競馬の予想ではあるまいに、時期代表の分析に躍起。

そもそも、自民党では「派閥」で、民主党では「グループ」と呼称している違いがよくわかりませんな。

結局のところ、民主党も自民党も徒党を組んで行動するのは同じこと。

民主党に思い入れが強いことはわかりますが、もう政権交代が失敗だったのは証明済みなのに、、、、





日本製品を買いたいけど、、、、
メインで使っていたノートPCのハードディスクがクラッシュ!

最初は、突然、ハードディスクの音がカタカタと異音を立てるようになり、
「こりゃ、はやくバックアップを取っておかないとまずい!」

と思ったとたん、画面全体がフリーズ。 
再起動させても、もはや万事休す。

なんだか、突然襲ってきた脳梗塞のように、7年使ってきたPCが一巻の終わりとなりました。私は特にヘビーユーザーでもなく、平均すると1日1時間程度の使用頻度なのになあ、、、、、経年劣化もあるんでしょう。

まあ仕方がない。

これを機に、WINDOWS7の最新機種でも買おうと、価格COMを調べていて、近年言われている日本メーカーPCの売り上げ低下の原因がよくわかりましたな。

とにかく、台湾・米系の直販に比較して、どんなに安いショップを探しても、基本機能だけに注目して同スペックであれば、日本メーカーが1万円以上高いんですわ。平均的には3万円~5万円の価格差です。

もちろん、手厚いカスタマーサービスとか、バンドルで付いてくるソフトの数とか、いろんな機能とか、高いには高いなりの付加価値は付けているのでしょう。

しかし、初心者ならともかく、買い替え目的の中級者以上に対しては、もうひとつアピールが弱い、、、、

事実、私は「余計なソフト・機能は不要」派ですから、ディスプレーの大きさ、CPU、メモリーくらいを比較して最も安ければそれでいいと思っています。

ということで、候補を絞ると、これがすべて台湾か米国、シナのメーカー。

結局は新聞によく全面広告が出ている某社の直販で5万円前後のノートPCを購入することにしました。

しかし、ひと頃を思い出すと、PCというのはデフレ日本を象徴するような商品ですな。












紳助の「ケツ持ち」は山口組ナンバー3だった!
紳助の突如の芸能界引退会見、本日の朝刊では1面で、前原の出馬会見よりも扱いが大きいのが印象的でしたが、いろいろな情報が出てくるなかで、紳助の裏の一端が明らかになってきましたな。

一応、メールのやり取りウンヌンと交際が矮小化されてますが、紳助も会見で認めている通り、4~5回ほど会っていたという相手は、そこらのヤクザではありません。

山口組の大阪を仕切る若頭補佐で、軍隊で言うと方面軍司令官のような立場。もちろん山口組は広域団体ですから、若頭補佐自身も自分の組を持っています。

つまり、ケツ持ちとしては最強で、紳助が吉本興業でのさばってきた理由もわかろうというもの。

まあ、長い芸能界の歴史でいうと、美空ひばりの後見人は3代目の田岡組長でしたから、これには及びませんが、、、、
しかし、ヤクザ・在日朝鮮人・芸能界というのは、戦後からの癒着トライアングル。芸能人が地方興行する限り、それを仕切るヤクザとの関係は続きます。

結局、吉本興業自体もそういう業界の病根を断ち切れなかったからこそ、コンプライアンスと情報公開が義務となる1部上場という地位を捨てざるを得なかったのでしょう。

紳助も、今後は面倒くさい芸能界から去り、本格的に任侠の世界に進むんでしょうかね?



帯に短し襷にも短し、、、どんぐりの背比べ 民主党代表選挙
なんだか、申し合わせたように朝日の世論調査で前原支持40%の数字が出てきたとたん、出馬表明しましたな。

まあ、なんのかんの言っても、鳩山と菅が憲政史上最低最悪の評価であるだけに、この位置は不動で、誰が次期総理になっても、この亡国二人組よりはマシなことだけは確か。

民主党政権である限り期待はまったくできませんが、この前原という男は結構、脇が甘いというか、偽メール事件とか、外国人献金問題にしても、ちょっとした不手際程度の失態で追求され、割りとあっさり地位を放り投げていますから、どちらかと言えば、叩けば責任を感じてすぐに辞めてしまいそう。菅とは正反対で、細川総理のタイプでしょう。
早期に解散してほしいものですわ。

いずれにせよ、私と同世代の政治家が総理を狙う時代に入ったんですな。



お台場で反フジテレビデモ!6000人以上が参加
本ブログの読者はご存知だとは思いますが、、、、、、

一応、背景を説明すると、最近、フジテレビが韓流のゴリ押しを開始しました。単に音楽番組でイチオシしているとか、バラエティー番組で紹介しているとかのレベルを超えて、もう、あらゆる機会を使ってK-POPやドラマの宣伝をしております。

それだけならまだしも、直接、韓流芸能とは関係のない分野、例えばスポーツやニュース番組においても、韓国の印象を少しでも良くしようとするために、あるいは視聴者に浸透させるために、異常とも言える印象操作や偏向、サブリミナル効果を駆使してきたのですな。

ここに至って、ネット住民の怒りが爆発。

昨日、主催者発表で6000人、参加者の証言の中には1万人はいたのではないかという、この種のデモとしては多数の人々がフジテレビにシュプレヒコールをぶつけました。

現時点で、既存のマスメディアでは東京スポーツを除いてまったく報道されておりません。

まあ、左翼系市民団体のデモは参加者5人くらいでも報道することもありますから、マスメディアがいかに偏向しているかわかりますな。

私も個人的には韓国に10回以上行っており、ハングルの読み書きもできますから、一般的水準からいうと韓国通を自負しております。
ただし、韓国人の悪いところも合わせて理解しての上。

現在のように韓流を盛り上げたいがために、領土問題や歴史認識、在日問題などに及んで商売の道具に利用されてはたまりませんな。





人間の條件(第6部)鑑賞記(ネタバレあり)
第6部は完結編。

梶を始めとする敗残兵の逃避行も命運尽きて、いよいよソ連軍に投降する日がやってきました。

俘虜生活は過酷を極め、強制労働の続く毎日。
梶は意を決して、シベリア送りになる直前に労働キャンプを脱出します。彼は妻のいる町を求めて歩き続けますが、食料もなく、体力は尽き果てて、満州の雪原の中で息絶えるところで映画は終了。

不思議なのは、梶にとっての最後の望みは愛する妻に会うことだけで、全編を通して妻との愛情物語に終始した感がありますな。

で、本編には梶の両親とか兄弟に対する思いは描かれておりません。元より、日本に対する望郷の念もなし。
命がけの逃避行を続ける中、妻のことしか眼中にないというのも不自然ではあります。

ということで、このシリーズの総括をしてみましょう。


第1部と第2部は偏向甚だしく、嘘とプロパガンダに満ちていて、観る価値はなし。多少、話の伏線がわかりにくくなりますが、この映画は第3部から観ればよろしいでしょう。
また、歴史の勉強も含めて、回想記や戦記など、満州に関する事前の学習をしてから観れば面白さは増大します。


この映画、本来なら左翼陣営が宣伝に飛びつきそうな材料ですが、ソ連軍の暴虐も少しは描き、社会主義の矛盾にも触れている内容なので、宣伝に利用することはできなかったのでしょう。

もちろん、保守派にとっては噴飯ものですから、結局のところ、政治的にこの映画は埋もれてしまったのだと思いますな。






人間の條件(第5部)鑑賞記(ネタバレあり)
敗残兵となった梶は、同じく生き残りの兵隊と共に、妻の住む町目指して歩き続けます。

満州の大地は広く、歩いても歩いても目的地には遠くとどきません。

やがて、同じく脱出を試みる避難民や敗残兵の日本人と多数出会いますが、食料の確保は困難を極め、体力的に劣る女子供、老人は力尽きて行き倒れのまま死んでしまいます。
梶たちは、満人の農家から食料を収奪したり、軍の残置した糧食を分け合いながらギリギリの生存を強いられます。

生存への闘いが続く中、梶たちは、日本人婦女子の一団と遭遇、そこで、ソ連兵の悪逆非道ぶりを知ります。

ソ連軍は町を占領するやいなや、日本人の女は手当たりしだいに輪姦しているという事実を聞かされ、共産主義に幻想を持っていた梶は少なからずのショックを受けるのでした、、、、、


さて、第5部では初めて、ソ連兵による悪逆非道な行為が明らかにされました。

ただし、日本人が行ってきた「悪いこと」が丹念に、具体的に、描かれているのに対して、ソ連兵の手当たりしだいの輪姦は、かなり婉曲に表現されております。 「強姦された」「犯された」「辱めを受けた」等の直接的表現はセリフにまったくありあません。これは明らかな偏向。

公開当時の観客なら言わずと察するでしょうが、現代人が何の予備知識もなく観た場合、カンの悪い人なら背景を想像することすらできないでしょう。

結局、敗残兵の中の不良が婦女子を強姦するというエピソードがこの話の直後に加えられることにより、「ソ連兵も日本兵も同じ」だということを植えつけるための、極めて恣意的な物語展開となっております。

ソ連軍の非道を少し描いたことは評価しますが、後味の悪い第5部でした。


人間の條件(第4部)鑑賞記(ネタバレあり)
昭和も20年となり、戦況は悪化していきます。
精鋭を誇った関東軍も逐次、南方に引き抜かれて満州防衛は骨抜き状態となりつつありました。
(ここらの全般的背景の説明は劇中、一切ありませんが、、、、)

主人公の梶は、病院に入院中、原隊が南方に動員されたため、別の部隊に転属。そこは国境付近に作られた重砲陣地ですが、野戦砲は南方に全部移動しており、防備は歩兵部隊が実施しておりました。

ある日、梶の所属する中隊に新しく赴任してきた少尉は、第1部に登場した、梶と同じ会社の同僚でした。梶よりも1年先に応召したあと、幹部候補生に進み、少尉に任官していたのです。

梶は、元同僚の少尉から、新たに着任する補充兵の教育係を命じられました。

補充兵は若い「現役」だけではなく、よほど人間が足りないのか、中年のオッサンを含む、兵隊としては使い物にならない「第二国民兵」も含まれておりました。梶は古参兵によるイジメを警戒して、補充兵を別班として彼の直属にさせてほしいと申し出ます。

梶の案は実行されますが、彼はまたもや、苦しい立場に追い込まれていきます、、、、、


さて、第4部の前半は日本陸軍の実態をある程度知らないと、物語の展開が何が何やら意味不明でまったくわからなくなってしまうでしょう。セリフも軍隊用語のオンパレードで、見ている者が軍隊を知っていようがいまいが、妥協は一切ありません。

驚いたのは、軍人役でおなじみの藤田進が、オッサン2等兵の役で出演していること。

彼の当たり役はもちろん、将官、しかも司令官クラスで、数ある戦争映画・怪獣映画で彼が2等兵の役で登場したのはこれが初めてではないでしょうか?

ちなみに、第二国民兵というのは、徴兵検査丙種合格組で、早い話が病気とか身体上の理由で、召集を免れたまま社会人としての生活を送ってきた男子です。多少の訓練は受けますが、本格的な軍隊経験はありません。


さて、後半では、いよいよソ連軍が国境を突破して進撃を開始します。

梶の部隊は大混乱、ようやく防衛ラインの配備につきますが、いかんせん、敵の戦車部隊には小銃では歯が立ちません。

この、ソ連戦車部隊との死闘は、日本戦争映画史上に特筆すべき大迫力!
それもそのはずで、当時の自衛隊主力戦車だった米軍貸与のM4シャーマン戦車がスクリーンで大暴れします。
T34でないのが少し不満ですが、それは仕方のないこと。99式小銃も多分、本物で、空砲を使用していますから、銃撃戦はハリウッド映画を観ているよう。
これが、硫黄島やサイパン・沖縄を舞台にした映画だったら、、、、と無念に思いますな。

戦争映画として、この第4部は最高の出来栄えと断言します。


話に戻ると、当然の結果ながら日本軍は無残に敗退し、幸運にも梶は激戦を生き残る運命に。

敗残兵として満州の大地を彷徨う梶の運命やいかに???














人間の條件(第3部)鑑賞記(ネタバレあり)
昭和20年代から昭和40年代初期あたりの日本映画には、「軍隊モノ」というジャンルがありました。ここでは、敢えてドンパチ主体の「戦争映画」とは区別しておきます。

戦前の陸軍歩兵連隊あたりを舞台に、中隊内での厳しい内務班生活を通して、あるときは軍隊の非人間性を描き、あるときは、戦友同士の友情をテーマとする、涙と笑いの物語であったり、切り口は様々ですな。

こういうジャンルが成立するのは当然で、昭和30年代を取ってみると、映画館を訪れる観客のうち、男性の少なくとも半数以上は応召・志願を問わず陸海軍どちらかの軍隊経験者でしたから、国民の、ある種の共通体験としての軍隊は十分に映画の舞台になり得たわけです。
そして、世間から軍隊経験者が減っていくとともに、このジャンルが消えていくのも自然の成り行きでしょうな。


前置きが長くなりましたが、第3部は、紛れもなく「軍隊モノ」で、第1部、第2部の流れからいっても、当然ながら「軍隊の非人間性」に主体を置いた物語となっております。

好感が持てるのは、中隊の内務班生活を実情に近いリアリティーを持って再現していることで、意図的に兵隊の1日をまんべんなく紹介するように構成されていることがわかります。

起床ラッパ、行軍、射撃訓練、銃剣術、靴磨き、洗濯、立哨勤務、営門勤務、、、、そして就寝ラッパ。

礼式は完璧で、射撃要領や突撃要領などを紹介するなど、軍隊生活のガイドにもなり得るほど忠実に再現されておりますな。

防火用水を煙缶がわりに使ったことを週番に注意され、ビンタの制裁を加えられるシーンなど、軍隊にいた人間なら誰しも、それに近い経験を持っているはずです。
この時代は、監督を始め、スタッフや役者にも軍隊経験者が多かったはずですから、演出に苦労することはなかったのでしょう。

さて、物語ですが、主人公の梶は関東軍の歩兵部隊に配属され、満ソ国境警備の任に当たります。

もとより、梶は大卒、当時としてはエリートで体力もあったので、射撃も銃剣も優秀、中隊で1番の初年兵となります。ただ、入隊前に憲兵隊に逮捕されたことが理由で、共産主義者の疑いを持たれておりました。

同じ内務班に、これまた共産主義者で哨所勤務中、ソ連に逃亡する者、軍隊生活について行けず自殺する者、オカマっぽい古参兵がいるなど、ちょっと、ご都合主義的な部分もありますが、この基本フォーマットがその後の軍隊映画に影響を与えたことは、似たようなシーンが「兵隊やくざ」「与太郎戦記」にも散見されることからわかりますな。

さて、いよいよ大河ドラマは佳境に入ります。






人間の條件(第2部)鑑賞記(ネタバレあり)
昨日に引き続き第2部。

作者の、シナ人は善、日本人は悪、という自虐路線はますます増長。シナ人の本当の民族性に触れるようなこと、例えば、嘘を平気でつくとか、盗みを平然と行うとかは伏せて、ありえないほど理性的なシナ人ばかりが登場。

物語はシナ人の囚人作業員の脱走事件が紆余曲折を経て、憲兵隊に知られるところとなり、脱走者の公開処刑へと進みます。

作者の軍人への怒りはよくわかりますが、たかだか下士官の軍曹ごときが、絶大な権力を振るうなど、軍隊を悪者にするためには何でもアリの、事実とは異なる歪んだ演出が続きます。

結局、処刑を妨害した主人公の梶は憲兵隊の軍曹によって逮捕、拷問の憂き目に遭うわけですが、さすがに法治国家満州国で在留邦人を令状なしで逮捕するなど、鬼の憲兵隊でも実際にはできません。

ただ、この一連の憲兵隊による公開処刑と拷問のシーンは、後の日本戦争映画、引いては、現在、中共で放送されている抗日ドラマにかなりの影響を与えていることに気付きましたな。

また、現在、「昔は日本も中国で悪いことしたんじゃ」などと、したり顔で回顧する老人などは、年齢的に戦時中は子供で、当時の状況をリアルタイムで知るはずはなく、この映画を昔、見たまま盲信して、映画の中のフィクションを事実と思い込んでいる可能性があります。

いろんな意味で罪作りな問題作ですが、不思議なのは、これだけ会社の方針に反抗している主人公・梶が、会社を退職して別の道に進もうと思わないのが素朴に変。私なら退職願いを出してバイバイですが、、、、

結局、梶には召集令状が届き、いよいよ物語は軍隊編に突入。





人間の條件(第1部)鑑賞記(ネタバレあり)
今週、BSで「人間の條件」全6部作が連夜一挙放映。

昨日はその第1部でした。今回、初めて見ましたが、その感想を、、、、

この映画、昭和34年の作品で仲代達矢の代表作のひとつとして知られていますが、長すぎるせいか、CSでもなかなか放送されませんな。名作とされながらも、幻と化している作品でもあります。

結論からいうと、かなり「問題あり」ですが、傑作の名に恥じない、おもしろい作品でありました。

注意点はひとつ。この映画、半世紀以上前に製作されたもので、当時の日本人には常識である事象に関して、特に劇中で説明はしていません。したがって、21世紀に生きる現代人が見る場合、ある程度の予備知識を要求する敷居の異常に高い映画ではあります。
物語は仲代達矢扮する主人公の「梶」が満州にて繰り広げる大河ドラマですが、当時の国際情勢など時代背景を知らなければ、話の土台自体チンプンカンプンです。

また、この映画、異常とも言えるほどの「自虐思想」「反軍思想」を物語の主軸にしていて、意図的に日本人を悪者に描いておりますから、ある程度、咀嚼することができない人にとっては、自虐史観を植え付ける材料にもなり、要注意であります。

第1部は、かねてからリベラル思想を持っていた梶が、鉄鋼会社の社員として満州の鉱山採掘現場に赴任するところからスタート。

鉱山では劣悪な労働環境の中、シナ人が働いていたが、梶は持ち前のリベラル思想から、労働者の待遇を良くして能率を上げるという「太陽政策」を主張して、現地社員や所長と対立する、、、、という展開。

梶の役どころは、24歳、新婚、気鋭のサラリーマンですから、私としては、むしろ鉱山の所長や同僚社員に感情移入します。
私のようにシナ人というものを理解している日本人なら、「家畜のように」扱う以外、シナ人を動かす方法はないことを知っていますから、むしろ、非人間性の象徴として描かれている非情な日本人のやり方がベストだと納得がいきますな。

やたら威張り散らす憲兵隊の将校も、旧軍のステレオタイプに過ぎません。このあたりの演出も反軍思想に満ち溢れております。

ただし、朝鮮人が小悪党として登場したり、よくできた慰安所の雰囲気など、一定のリアリティーを持った説得力ある作品となっております。

第1部では、北支から送られてきた囚人労働者が脱走を企てるという展開に。

責任者である梶はどうする?








世界ケンカ旅行(欧州編)最終回
モスクワを発ってから8時間ほど経過していた。
この頃、ようやくIL62の窓から見える風景が変わりつつあった。

眼下に延々と広がっていたシベリアの針葉樹林が途切れ、清清しい日の出と共に、人の住む集落が点々と増えてきた。 遠くに海が見えてきたが、これは日本海であろう。

およそ2ヶ月半に渡る欧州の旅行が終わりを迎えようとしていた。

結局、倹約に倹約を重ねた結果、旅の総費用は40万円以内で十分に収まった。

百万円も持参してきたのがバカみたいだが、初めての欧州だし、無事に帰国できたことでよしとする。
余ったTCは、円が安くなったら換金すればいい。

とりあえず、旅行道楽は今回で終了である、、、、と、私は自分に何度も言い聞かせた。


(未完)



世界ケンカ旅行(欧州編)76
モスクワのシェレメチェボ空港ロビーは照明が最小限に抑えられて、足元も見えないくらい暗い。
国情を映すような雰囲気に呑まれつつ、乗り換えの乗客は黒い影の一団となって通路を進み、トランジットカウンターに並んだ。

ソ連の審査官は、軍人と同じような制服を着ていて、両肩の階級章も軍隊と同じである。

薄暗いカウンターで一人一人、搭乗券とパスポートを確認している情景は、クリントイーストウッド出演の「ファイアーフォックス」の一シーンと同じであった。


当時はゴルバチョフがソ連邦始まって以来の大改革(ペレストロイカとグラスノスチ)を行っていたが、一般のイメージとしては「悪の帝国」「収容所国家」がほぼ定着していた。

いつ逮捕されても不思議ではないような異様な感覚に襲われるが、チェックは簡単に終わり、乗り継ぎ便の待合ロビーに向かう。

さすがに、成田行きの便はほとんどが日本人で占められており、ロビーの人々の顔ぶれを見ると安心する。

日本人乗客たちは不安を払拭するためか、普通は他の乗客を見向きもしない国際線ロビーにしては珍しく、乗り合わせた乗客同士が積極的に会話して賑やかであった。

私も隣りの椅子に座っていた日本人のおばさんと搭乗時間までの数時間、仲良く会話をしていたのである。





世界ケンカ旅行(欧州編)75
いよいよ、帰国の日がやってきた。
私はヒースロー空港で出国手続きを無事終えて、搭乗ロビーで待つこと1時間余、定刻通り搭乗は始まった。

私が搭乗するのは、アエロフロートのIL62、モスクワで成田行きに乗り換える。

このソ連製旅客機、噂通り乗り心地は悪い。

キャビン内が西側の旅客機よりも一回り小さい印象で、狭い印象を受ける。座席前後左右間の幅も狭く、短い私の足でも全身を背伸びすると膝が前席につかえて、窮屈に感じる。座席はバスか列車レベルの品質で、背もたれは硬い。

これで長時間のフライトは我慢大会の様相であろう。

加えて、エンジニアリングの水準が明らかに西側よりも低く、キャビンのメンテナンスもいい加減で、薄汚い印象を受ける。
軍隊出身のパイロットの操縦は荒く、急激なバンクを頻繁に行いつつ、機体は上空に辿り着いた。

初めて搭乗する客の脳裏には、事故の2文字がよぎるが、逆に、事故に対する恐怖心が、多少の乗り心地の悪さを相殺してしまうから、乗ってしまうとあまり気にならなくなる。
こんな印象なら、無事着陸した際は拍手もしたくなろうというものである。

スチュワーデスは、少し太った金髪のおばさんが担当していたが、サービス態度もぶっきらぼうなソ連流であった。

機内食も噂通りの犬の餌レベル。乾いてパリパリになった黒パンをかじりつつ、シベリヤに抑留された日本将兵たちの境遇に思わず同情してしまう。

いずれにせよ、やはり「安い」理由はある。




世界ケンカ旅行(欧州編)74
ロンドン滞在も数日を残す頃となっていた。

ロンドンの印象は、旧式にしか見えない黒塗りのタクシーが象徴するように、経済的には停滞を続けている「終わった」大都市である。

私はキオスクで「ロンドン・ストリートファインダー」という街路地図本を買って、街中を散策した。
とにかく、ここは曲がりくねった迷路のような小路が多いが、街路地図を常に持っていれば、わずか20メートルほどの長さしかない脇道にさえも、ちゃんとした名前が付いているから、どんな住所でも探し当てて行くことができるのである。この本は重宝した。
 
ごちゃごちゃした街並みは、東京の下町にも通じるところがあり、歩いていると常に新たな発見がある。治安にさえ気を付ければ、しばらくは飽きない生活が送れるに違いない。

ここでの典型的な外食は、良く言えば質素であり、味覚を楽しむというよりは、ただエネルギー源を摂取する作業をしているように感じる。
下ごしらえや、隠し味とか、見た目とかには無縁で、典型的なのは「フィッシュアンドチップス」に代表される、単に揚げた素材を皿に載せて提供するというだけという料理であろう。こういう、そこらの屋台レベルの料理が一流レストランでも出てくるから、たまらない。

ただし、これに関しては、他民族都市の利点をフルに活用して、チャイナタウンやアラブ人街、インド人街を周遊すれば、充実した食生活は可能であろう。






世界ケンカ旅行(欧州編)73
さて、ここで小説から少し離れるが、本稿を記述している時点で、ロンドンは大変な状況になっている。

若者の暴動による放火略奪は拡大し、すでに1000人以上が逮捕されるという事態に発展しているとのことだが、今回の暴動は、特に統一した政治的主張は前面にはなく、単に徘徊する若者が暴徒と化して略奪しているに過ぎないように見える。
日本のテレビ新聞は事態の背景をほとんど説明していない。正確に言うなら、意図的に説明を避けているのであろう。
今般の暴動の背景には、移民・民族問題が絡んでいるだけに、日本の「多文化共生化」を是としている大マスコミには、極めて都合が悪いからと勘ぐりたくもなる。
今日のロンドンの惨状は明日の東京かも知れない。

ただ、英国の状況は、北欧やドイツとは違い、かつての大英帝国の負の遺産の意味もあるから、大陸の移民事情とは同列に語れないであろう。

ロンドンの移民事情は日本人から見ると、狂気の沙汰に近い。

かつての大英帝国範図下からやってきた人々、例えば、インド人(各宗派)、パキスタン人、バングラデッシュ人、イラク人、クルド人、エジプト人、ヨルダン人、カリブ系黒人、ネパール人等々、、、その他、大陸からの移民であるギリシャ人、ポーランド人、最近では旧東欧ソ連邦からの移民等々、、、、、そして、当然、シナ人。

これらの民族が、ほぼ固まったエリアで○○人街を形成して、ロンドン市内に散在するのである。

アメリカやカナダのように広大な土地に移民が国作りをしてきたようなケースではなく、すでに長い歴史を持つロンドンがこれら異文化の民族を受け入れることには最初から無理があったのだ。

90年代以降では治安の悪化に対応するため、市内に百万台(!)以上の監視カメラを設置するなど、プライバシーの保護だの何だのと、綺麗ごとなど言ってられない事態にまでなってしまったのである。

今回の暴動で、暴徒の若者たちが顔を隠していたのは、カメラから特定されることを恐れてのことなのだ。

多分、最悪のロンドンほどではないが、北欧なども近い将来は同じ惨状になるであろう。

東京の各地で同時多発的にシナ人が暴動を始める、、、、、こんな悪夢が起こってからでは遅い!

移民1000万人を受け入れようなどというキチガイがあなたの町にもいないか?


話を小説に戻そう。











世界ケンカ旅行(欧州編)72
ロンドン郊外のゲストハウスに滞在しながら、観光を続けて3日ほどが過ぎていた。

大英博物館、帝国戦争博物館、マダムタッソーなどの観光名所も一通り見終わり、あとは日本に帰国する日を待つのみである。

すでに帰国用の片道航空券はロンドンに着いた翌日に購入していた。

かなりマニアックなガイドブック、「レッツゴーヨーロッパ」推奨の旅行代理店は、これまたロンドン中心部から外れたインド人街のど真ん中にあった。

小さな店舗で対応してくれた男性店員は、例のターバンを頭に巻いたシーク教徒だったが、この時はそんなことは知らない。単にインドの民族衣装を着ていたぐらいにしか思わなかった。

店の客は全員がインド系で、香港の重慶マンションを思い出すような雰囲気であった。

肝心の航空券だが、アエロフロートの成田片道フィックスで約5万円程度。ガイドブックで紹介されているだけに格安で、発券はその場で行われた。
店員は、IATAの正式な航空券にボールペン手書きで空欄に名前などのデータをサラサラと書き込んで私に手渡してくれたが、当時、こういうチケットは、航空会社がタイプで打ち込むと思っていたから、かなり心配であった。インド人経営の店だったということもあるが、、、、

その日は、買ったばかりのチケットを持って、すぐにピカデリーサーカスにあったアエロフロートのオフィースに確認したが、問題ないとの返答を得て、胸を撫で下ろした。

とにもかくにも、あと1週間程度で帰国するのである。





世界ケンカ旅行(欧州編)71
北フランスの旅が終わり、いよいよ大陸を離れて英国に入る時がやってきた。

当たり前だが、初めて英語が公用語として通じる外国に入ることになる。その意味で、安堵の気持ちで一杯となり、何だか旅行自体が終わったような気分である。

この英国だが、ロンドンヒースロー空港からの入国は日本人バックパッカーにとってすこぶる評判が悪かった。
入国審査で長時間留めれらたりするだけでなく、往復航空券を所持していても実際に入国を拒否されることもあるという。
海路はそれほど厳格ではないというが、身なりは誰が見ても貧乏旅行者だから、覚悟だけはしておかなければならなかった。

ドーバー海峡のフランス側であるカレーからフェリーに乗り、対岸のフォークストンに到着する間、私は初めての欧州旅行が無事に終わりつつあることに、ある種の感慨を覚えながら大陸を眺めていた。

あっという間に船は到着し、いよいよ入国審査となる。

私の順番がやってきたが、審査はパスポートを提示するだけで終了した。
最低でも出国チケットの所持は調べるだろうと思っていたが拍子抜けである。

全TCを予め胸のポケットに移して、すぐに取り出せるようにしておいた作業が無駄になったが、もはやそんなことはどうでもいい。
英国入国を果した後、私は当面の両替分を残して、TCをマネーベルトに戻した。

これまた当たり前だが、すべての表示が英語だから、両替も切符の購入も迷うことはない。

特に期待することもなく、私はロンドン行きの列車の乗った。






世界ケンカ旅行(欧州編)70
車はさらに西に進んだ。

映画でも使われたレンジャー部隊の攻略した崖を見てみようというわけだ。

車を降りて、実際に戦闘が繰り広げられたドイツ軍の守備陣地を見て回る。陣地の方は崖から少ししか離れておらず、実戦では凄まじい戦闘があったことが推察された。

崖も上から覗き込むと、思ったよりも高いことがわかる。守るほうも怖いが、これを攻め落とした米軍レンジャーの敢闘精神にも敬服せざるをえない。


我々のツアーは一通り終わり、バイユーへの帰途についたが、締めくくりとして米軍墓地に寄ることになった。

米軍墓地はアメリカがフランスから買収した正式なアメリカの領土なのだという。

私はゲストハウスの主人を車で待たせたまま、1人で墓地の敷地に入った。

しばらく歩くと、一面に広がる、無数の、鮮やかな白い十字架の墓石が目に飛び込んできた。これは荘厳であり、圧巻であった。そこに戦没者が眠っていると考えるだけで足が震えてくる。

私はクリスチャンでもないのに、勇者たちに祈りを捧げた。
巷で霊能者と称する人物が、霊的なエネルギーを感じる、、、、なるほど、そういうものなのかと理解した。



ツアーは終了し、我々はゲストハウスに戻った。







世界ケンカ旅行(欧州編)69
我々は、しばし車を止め、海岸道路のすぐ脇に残されたドイツ軍の掩体壕跡に入ってみた。

ここからドーバー海峡に向かって海を眺めていると、時空を超越して、1944年6月6日の早朝に監視哨任務に就いていたドイツ軍兵士になった気分である。

水平線の向こうから次々と現われてくる連合軍の艦艇群を見て、彼らは何を思ったのであろうか?

常人であれば、おおよそ何十倍の敵に対して戦おうなどという気力は失せて、一目散に逃げるだろう。実際、イタリア軍や国民党軍の将兵は、多勢の敵に遭遇した場合、武器を捨てて逃走したというが、人間性という観点からすると、それが当たり前なのだろう。

ところが、日本軍やドイツ軍将兵は、このような絶望的状況に直面しても、勇敢に武器を取って任務を遂行したのである。日本においては、極度の精神主義が批判の対象となってきたが、やはり、最後は精神力が勝負を決するのが戦争の常なのだ。

そんな考えが脳裏をかすめると、思わず目頭が熱くなる。

海岸遠くに、小高い丘が見えた。

「史上最大の作戦」でも描かれた、最初の激戦地だが、実際はそれほど高い丘ではなく、10メートルから15メートルくらいであろうか。

私の妄想脳が最大限に働きだして、目の前に一大パノラマのスケールで戦闘が繰り広げられる。

海岸線に押し寄せる上陸用舟艇、迎え撃つドイツ軍の機銃掃射、海辺に倒れる将兵たち、、、、、、
迎え撃つドイツ軍も凄いが、上陸第一波の米軍将兵も凄い。

興奮冷めやらぬまま、我々は車に戻った。



世界ケンカ旅行(欧州編)68
連合軍は作戦立案上、便宜的にノルマンディーの海岸線を区切って、いくつかの名前を付けた。
地図上の西から東に向かって、各国の上陸担当正面をユタ、オマハ、ゴールド、ジュノー、ソードの5区域に分けた。
この中で、比較的一般にも有名なのは、米軍が担当したオマハ海岸であろう。
懐かしのテレビドラマ、「コンバット」の冒頭にも紹介されていたし、後の戦争映画「プライベートライアン」では、ここでの上陸戦闘からドラマが始まっている。

我々は、最も東寄りの正面であるソードから海岸沿いに車を走らせた。

ゲストハウスの主人は、作戦の概要をこと細かく解説してくれたから、非常に助かった。そうでなければ、ただの平凡な海岸線を車で走っているにすぎない。

途中、イギリス軍担当ゴールド海岸沿いのアロマンシュというところに博物館があり、そこで休憩も兼ねて見学することになった。
ここは連合軍の補給拠点だったところで、博物館は主として、連合軍の兵站物資の陸揚げ輸送を中心に展示されていた。非常に通好みの博物館である。


休憩後、車はさらに西進した。

いよいよ、作戦中、最大の激戦地となったオマハ海岸が目前に現れた。






世界ケンカ旅行(欧州編)67
バイユーは落ち着いた雰囲気のするフランスの平均的な田舎町であった。

私は駅から歩いてほど近い、バックパッカー向けのゲストハウスに泊まることにした。

町の観光の目玉は、ノルマンディー上陸作戦(オーバーロード作戦)の戦跡以外にはなかったから、ゲストハウスの掲示板に有料ツアーの案内があるのは当然のことであった。

荷物を置いて、さっそく、ゲストハウス主催の戦跡巡りツアーに参加を申し込んだ。

何のことはない、そのツアーは、要するにゲストハウスの主人の車で海岸線を周遊するだけのことと知ったが、それ以外に効率よく回る方法がなかったから、仕方なくツアー代金を支払った。


ツアーを申し込んでから、わずかに10分後、私は主人の私有車に乗り込んでゲストハウスを出発した。もちろん、参加者は私ひとりだけであった。


ゲストハウスの主人は年齢にして40の半ばくらい、最初はあまりパッとしない印象だったが、運転しだすと、訛の強い英語で、上陸作戦が実施されるまでの小史を細かく説明してくれた。

さすが、ガイド慣れしていて事前の説明がうまい。実際に海岸線に躍り出る頃には、こちらも何だかワクワクしてくる。

ただ、こちらも戦史は良く知っているから、間違えがあれば正してやろうと思いつつ解説を聞いていたのである。






世界ケンカ旅行(欧州編)66
フランス北部にあるカーン市は、ノルマンディー上陸作戦直後、ドイツ軍と連合軍の壮絶な戦いで街が瓦礫と化した所である。

その印象から、大きな博物館があるに違いないと考えて、駅から降りて探してみた。

ほどなく、駅から歩いて行けるところに、ノルマンディー戦闘記念博物館があったが、展示物はパネル写真が中心で、どちらかと言えば、博物館のテーマが戦闘自体よりも、カーンの郷土史が主体に扱われていた。
いかにカーンが戦闘で廃墟と化したかはわかったが、肝心の戦闘については扱いも少なかったのである。

博物館に置いてあったチラシ類を眺めていると、カーンのすぐ近くにあるバイユーという町には、かなり本格的な博物館があることがわかり、むしろそちらの方が軍事に特化した博物館としての位置付けのようであった。

私はすぐさま駅に戻ってローカル列車に乗り、隣町であるバイユーに向かった。



世界ケンカ旅行(欧州編)65
とりあえず、パリ観光の目玉と言われる名所は2日で、ほどなく歩き終えた。

ユーレールパスも、残り3日程度で期限が切れる頃となっていた。期限切れの最終日にドーバー海峡の手前まで進んで、イギリスに渡ることで大陸での旅程は終了となる。
ちなみに、ユーレールパスはイギリスでは使用できない。

残りの数日をどうやってパリで過ごすか考えながら、ホテルの屋根裏部屋で地図を眺めていると、ふと、思い出したような地名にぶち当たった。

フランスの北部ノルマンディー地方である。

当初の予定にはなかったが、イギリスに渡るついでに、あの「史上最大の作戦」の戦跡に寄ってみたくなった。

そうと決心すれば、居ても立ってもいられない。

翌日早朝、私はホテルをチェックアウトして、列車でパリからわずか2時間ほどの北部都市、カーンに赴いた。



世界ケンカ旅行(欧州編)64
パリ観光と言えば、ルーブル美術館が目玉のひとつに挙げられる名所であろう。

軍事マニアを自称し、芸術には無知な私であるが、さすがにルーブルともなると、所蔵作品の数点は挙げられるほどである。
もちろん、パリ市内には壮大な軍事博物館はあるが、第二次大戦でドイツにボロ負けしたフランス軍関連にこの戦争での見るべき所蔵品はない。
ナポレオン以前の戦争には興味はそれほどなかったから、第一の訪問先としてルーブルを選んだのも自然なことであった。

私がルーブルを訪れたときは、改修工事の真っ最中で、入り口は外側にあった。 展示作品を歩きながら見ていくと、誰の作品か知らないが、学校の美術室に置いてあるデッサン用の石膏像の現物が並んでいた。 
中では入場客の他に、美術を志すと思われる人々が思い思いにイーゼルを立てて模写をしている。
 
丹念に見れば1週間はかかると言われているが、私はモナリザを見て以後はどうでもよくなり、2時間程度で見学は終了した。
私は急いでルーブルを出るとメトロに乗り、仕事をこなすかの如く次の美術館に向かった。

結局、美術館・博物館巡りは、それだけで丸1日を使った。

世界ケンカ旅行(欧州編)63
私が宿泊したのは、俗に日本人宿と呼ばれる、客の大部分が日本人で占められている安宿であった。 
「地球の歩き方」に載っていたホテルのひとつで、1泊2千円程度で個室に泊まることができた。 
パリのいいところは、このレベルのホテルが多数あり、西ドイツではユースのドミにしか泊まれない貧乏旅行者でも個室でゆっくりできることであろう。ただ、周辺の治安が不安だったりするので、注意する必要はある。
 
ホテルのレセプションには過去の宿泊者が書いたと思われる日本語の注意書きや近辺のレストラン地図などが張り出してあり、久しぶりに日本の雰囲気に戻ることができた。 
共用スペースの本棚には、旅行者の置いていった日本語の文庫本などが積まれていて、暇つぶしには事欠かない。長期滞在するには居心地のいい環境である。 
  
私の部屋は屋根裏部屋で、壁が大きく傾斜していた。 トイレは別で、部屋にはベッド一つと本棚、そして洗面台があった。 小さい出窓が一つあり、唯一の採光源となっていた。
非常に古い木造の部屋で、歩くと床がギシギシと音を立てる。 なんだか100年ほどタイムスリップしてパリで修行中の芸術家にでもなった気分であった。 
本棚を見ると、ここにも日本人が置いていった書籍がそのまま放置されていた。 書籍のひとつに、柘植久慶の「フランス外人部隊」があり、元の所有者の現在の消息に思いを巡らせた。 
ちなみに、私も外人部隊には非常に興味はあったが、さすがに入隊する気は起きなかった。 
 
ここを拠点にして、私のパリ観光は始まったのである。
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