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ぼやき大爆発
世捨て旅行者の雑記帳
世界ケンカ旅行(米国編)7
一応、生活の主軸となるのは語学の勉強ではあったが、私が選んだ大学の短期集中講座は、比較的裕福な中東系留学生や貧困階層の黒人・ヒスパニック系など、雑多な人種と国籍構成で、それ自体は興味深い。 
日本人留学生も若干数はいて固まってはいたが、私との交流はあまりなかった。 

学校の次はガンクラブの選定である。

アメリカは国民の「自衛のための武装」する権利を憲法で保障している銃の本場であるから、ガンクラブはどこにでもあった。 
しかし、比較的大きなクラブやシューティングレンジ~射場~はほとんどが郊外にあり、通うことができない。

私が選んだのは、「ビバリーヒルズガンクラブ」という室内射場を持つ小さなクラブであった。
実際、ビバリーヒルズからは10キロ以上離れてはいたが、この有名な高級住宅街の周辺にガンクラブはなかったから、アメリカの距離感覚から言うと、あながち誇大なネーミングではないだろう。
ただし、その名前とは裏腹にビバリーヒルズの富裕層が通っているようには見えなかった。

私はサンタモニカから出ているバスに乗って、クラブ近くのバス亭で下車、そこから1キロほど歩いて通っていた。
世界ケンカ旅行(米国編)6
私がサンタモニカを在米生活の拠点にした理由は、取りあえず、アメリカ西海岸の玄関口であったロサンゼルス国際空港(LAX)から直通で路線バスが出ていて交通の便が非常にいいこと、アメリカにしては珍しい、密集した地区にホテル、ショッピングモール、大学、そして射撃クラブがあったことである。
要するに、自動車がなくても生活できる環境にあったことが大きかった。

また、サンタモニカは治安が「比較的」良いらしく、ロサンゼルス(以下、LA)のダウンタウンと比べれば、「戦場」と「非武装地帯」ほどの治安の差があるという。
それでも、真夜中に海岸沿いの通りを歩いていると、銃声が近くで聞こえたりするが、、、、

宿泊するホテルは、欧州旅行でもお世話になった「レッツゴーヨーロッパ」の姉妹編である「レッツゴーUSA」に載っていた一泊25ドルの安ホテルを使うことにした。
築後30年ほど、5階立てのホテルは壁のペンキがあちらこちらで剥げ落ち、まともなツーリストは到底寄り付きそうもない。
一応は100人ほど収容できそうだが、宿泊者のほとんどが年金生活者のような老人とか失業者風のオッサン連中で、東洋人の若者は私一人しかいない。
シングルルームは極端に狭く、ベッド一つしか置いてない殺風景なドヤホテルであったが、なぜか黒人やヒスパニック系は1人もいなかった。

米軍基地内でも黒人と白人が自然と別グループに分かれてプライベートタイムを過ごしているのに驚いたが、一般のアメリカ社会でも、建前はともかく、この国は人種別で完全に分離している社会であることを改めて確認させられたのである。
世界ケンカ旅行(米国編)5
いよいよ仕事を辞めることになり、私は基地内の書店でアメリカ本土に留学することも視野に入れながら資料を探していた。 

結局、辿り着いた結論は、とりあえず現地の語学学校にでも行きながら、「拳銃射撃」の修行でもしようかということになった。射撃は私の仕事の性質上(自衛隊員)、多少の経験はあったが、あくまで最低限「撃つことができる」技量を維持するレベルであった。

退職後も引き続いてアメリカンセンターで現地情報を収集すると同時に、ビザの申請も始めた。
正式な就学ビザではなく、手続きの簡単な観光ビザの取得であるが、それでも当時は不法就労を防ぐためか、銀行の残高証明書を申請書類に添付しなければならなかった。

さて、候補となっていた大学の語学コースや語学学校の入学資料が次々と国際郵便で送られてきたが、実情を知らないまま長期のカリキュラムを選択し、後で後悔することがないように、最初は一ヶ月単位で選べる短期コースを選択、日本からの玄関口であったロスアンジェルス近辺の学校を選んだ。
結局は、将来的にすべての可能性を否定せず、大学の本科に進学できる含みも残したのである。

電子メールが普及していない時代、学校との調整は国際郵便を使ってのゆっくりしたペースで進んだ。

世界ケンカ旅行(米国編)4
私は基地内に開設されていた大学講座を聴講したり、小学校で開設されていた軍人の配偶者向けの英会話教室に参加して英語力を磨く努力をしていた。
米軍は地球規模で展開しているから、行きずり現地女性と結婚した将兵は多く、まったく英語が話せない軍属も珍しくはない。
映画館(当然ある)では、本国と同時期に最新作が公開されるから、日本公開よりも半年早く観れる場合があり、何よりも、入場料は6ドルぐらいで、アメリカ本国と同等の価格であった。

基地内の書店では、米ドルで書籍を購入することも可能だったが、当時、日本の業者が正規輸入した洋書は丸善あたりでも現地価格の2倍はしたから、大変重宝したものである。
ただし、食料品は米軍の身分証がないと購入できない仕組みになっていた。
その昔、基地で働いていた日本人が、安い非課税の米産牛肉などの「横流し」をしていたために食料品の購入は厳しくなったという噂であったが真偽のほどはわからない。
ただ、もし日本人の購入を黙認すれば、大挙して買出しにくるのは明らかであった。

世界ケンカ旅行(米国編)3
このような施設の受益者はアメリカ人に限られず、基地インフラの管理保守をしていた日本人労働者や、自衛隊関係者など、通行証を持って基地内に入れる日本人であれば、一部を除いて同様に利用することができた。

若い兵士の士気を維持するためか、休日前の夜などは町で拾った日本人女を基地内に連れ込んで遊ぶことも黙認されており、それ目的の日本人女がゲート近くで米兵待ちしている光景も珍しくないが、彼らアメリカ人から見れば、場末の娼婦にしか見えなかったであろう。

三沢基地内の慰安施設である軍人クラブは週末には最大級のディスコに様変わりし、とても東北の片田舎とは思えない週末が過ごせるから、米兵にぶらさがる女の気持ちもわからないではない。
世界ケンカ旅行(米国編)2
私はカリフォルニア・サンタモニカ地区の安ホテルに居を構えて、昼は近くのガンクラブで拳銃射撃三昧、夜は大学の短期語学コースで英語の勉強をするという生活をしていた。
1992年、春の頃であった。

話はこの半年前に遡る。

私は、それまで在日米軍基地内で仕事をしていたこともあり、アメリカの生活が何たるかを大体は理解していた。
そして、旅に出るとすれば「次はアメリカ」という考えを持っていた。

ところで、いわゆる在日米軍基地と言っても、所詮は「日本」ではないかという疑問も当然あろうから、少し説明が必要かと思う。

米軍基地内はアメリカ国内と同様の生活ができるようにすべての施設とサービスが整えられており、軍人軍属が生活面で不自由することはない。
この「すべて」は、銀行からショッピングセンター、学校、チャペルはもちろん、ゴルフ場、ボーリング場などの娯楽施設に至るまで、文字通り「すべて」なのである(私のいた北国の三沢基地にはスキー用のリフトもあった)。もちろん、基地内では米ドルが貨幣として流通し、すべてがアメリカの法律・規則・基準に基づいている治外法権の世界である。 敢えて違いを指摘するなら、米軍の完全管理下ということで治安はアメリカ本国どころか、日本と比べても格段に良く、ある意味、理想郷とも言えるであろう。
世界ケンカ旅行(米国編)1
ロサンゼルスの片隅でひっそりと運営されていた室内射場は拳銃射撃専用に特化したものであった。
広さは一般家庭にある車のガレージを一回り大きくしたほどに過ぎなかった。
そんな狭い室内射場に激発音が轟いた。 
防音壁に囲まれた射場に響く銃声は近くに落ちた雷鳴のように振動が肌に伝わった。

私は、イヤプロテクタ~密閉型の音楽用ヘッドホンに似た防音用耳あて~を少し汗ばんだ頭部から外すと、両手で保持しているリボルバー~回転式拳銃~を少し照準線から下げて、30フィート先にあるターゲットを覗いた。
銃口の先からはスポットライトに照らされた白煙がゆらいでいた。 
咽かえるような硝煙の匂いが辺りに充満する。
固定ラッチを右手の親指で引き、6発の357マグナム弾が収まったシリンダーを倒して、銃口を上に向けた。
シリンダー先端の棒を左手の掌で叩くように軽く押さえると、6個のケース~薬きょう~は床に落ちて、カラカラと転がった。
安全対策のため、私はシリンダーを開放したまま、台にコルトパイソン6インチモデルを置いた。
そして手元のスイッチを押して、電動式のターゲットホルダーを引き寄せた。
眩しいスポットライトに照らされた紙製の標的は、微かに揺れながら私に近づいてきた。
発射した6発の弾頭とも、中心圏内に入っていることを確認すると、私は弾痕の穴に上からテープを張った。
次の射撃に使い回しするためである、、、、、



とまあ、大藪春彦風にアメリカ編は始まったが、今回は前編までの観光旅行とは趣がまったく違い、拳銃射撃が話の本筋となる。
帰国しました
いやあ、久しぶりのエントリーです。

日本はすっかり暖かくなっておりますな。

さて、旅先で書き溜めた「世界ケンカ旅行」の続編を次回から連日アップしていきますので乞うご期待。

このペースで掲載が進むと最終章まで、あと最低でも5年はかかりそう、、、、、まあ、時間がかかっても何とか終わらせますので、どうか長~い目で見てやってください。
生存確認
中越国境から。
こちらは熱いですな。
もうすぐ、大陸内陸に移動。
中越国境の町にて
ご存知、中共ではネット規制のためにFC2ブログが閲覧できません。
ということで、ベトナムの電波を拾ってアップ。

生存確認でした。
ハノイ日記
本日は晴れ時々曇。

昨日とはうって変わって、とても暑い。

12時のチェックアウトぎりぎりにホテルを引き払い、いきつけのぶっかけメシ屋で朝食兼昼食を取る。
その後、近くのカフェで本エントリーを投稿中。

今夜、8時半発の夜行まで時間を潰さなければならないが、ネット将棋30番勝負にでもチャレンジしてみるか、、、


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ハノイのぶっかけメシは量がやたら多い。これで25000ドン(100円ちょっと)

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ハノイ旧市街には、洒落たカフェが山ほどあるのが嬉しい。ちょっとしたところは、ほとんどWIFI対応している。
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