FC2ブログ
ぼやき大爆発
世捨て旅行者の雑記帳
釜山の日本総領事館前に慰安婦少女像設置される
ちょうど昨年末、電撃的に締結された、いわゆる「日韓慰安婦合意」でしたが、当初から「どうせ韓国のことだから、パックネ政権が終われば破棄してくるさ、、、、」と、おそらくすべての韓国ウォッチャーが予想していたはず。

そして、今回の一件をもって、事実上、慰安婦合意は意味のないものとなってしまいましたな。 支払ってしまった10億円が空しい、、、

釜山市の当局は、少し頑張って一度は像を撤去しましたが、世論という圧力と脅迫・非難に負けて、すぐに迎合してしまいました。 まさに法治が機能していない韓国の実状を如実に示した事例であります。

バカ韓国人につける薬なし、、、というところでしょうか。

WHAM!のジョージマイケル死去
クリスマス当日に彼の訃報が飛び込んできましたな。 その日、筆者がBGMとして聞いていた米国のラジオチャンネルでは30分に一回くらいの割合で「ラストクリスマス」が繰り返し流れてました。

私は彼の特別なファンということではありませんが、ワムの初期ヒット曲はカラオケで歌えるくらい何度も聞いていました。 というのも、80年代前半は、私が本格的な英会話の勉強を始めた頃。 教材の限られた当時としては、アメリカンポップソングを暗記するほど繰り返し聞いて、これをヒアリングの訓練としていたわけです。 ですから、マドンナとか、マイケルジャクソンとか、、、チャート上位に入っていた80年代初頭のヒット曲は大抵、そらんじて歌えますよ、、、、、そういえば、この頃からJPOPとは疎遠になってますな。
日本人が考えている以上に凄かった「真珠湾攻撃」
安倍総理が真珠湾攻撃の象徴とも言えるアリゾナ・メモリアルで慰霊を行いましたな。

日本が乾坤一擲の大博打を敢行したハワイ作戦の様相は、映画「トラトラトラ」に克明に描かれておりますが、この映画が世界中にもたらした影響は計り知れない。 ぶっちゃけ、世界には米国が大嫌いな国がたくさんありますが、そういった国々の人々は狂喜乱舞して見ていたはず。 キューバなどいい例で、地理的にも文化的にも遠いこのカリブの島国が親日である理由は、ただこの一点にあるといっても過言ではありません。 その意味では、真珠湾攻撃のおかげで、戦後日本人が時として、実像よりも偉大な存在として受け取られているわけですな。

現在に至っても、当時のルーズベルト大統領が真珠湾攻撃を知っていたが、先に攻撃させるために放置していた、、、、という陰謀論が絶えることはありませんが、(筆者はこの説をとりません、、、)仮にそうだったとしても、太平洋艦隊が壊滅寸前になるまでの被害を受けることまでは、さすがに想定していなかったはず。 当時の常識をもってすれば、浅い真珠湾内で雷撃を受ける可能性はゼロと見積もっていたので、せいぜい、艦艇が軽微な損傷を受ける程度、、、、ぐらいの被害想定だったに違いありません。 米国はこのハワイ作戦によって、日本が片手間で捻り潰せるような相手ではないことを悟り、総力戦に突入せざるを得ない状況になりました。

結果論からすると、山本長官の目論見は外れて、むしろ逆効果となって日本が破滅の方向に転じることになりますが、この真珠湾攻撃が無敵日本人の象徴として世界中で語り継がれていることに、誇りを持ちます。

今年を回顧してみるが、、、、
しかし、今年は本当に早かったような気がしますな。 こんな感覚がこれから続くのだったら、あと10年20年なんてあっと言う間、、、

現状のままでいくと、どうやら天皇陛下の譲位が行われて、平成という治世は30年の区切りで終わりになりそうです。 悠久の日本史的視点から見ると、平成時代は本当に起伏の少ない平和な時代でした。 2度に渡る大震災に見舞われましたが、これとて、日清日露戦役や大東亜戦争、関東大震災なんかに比べれば社会の根幹を揺るがすような出来事ではありません。

SMAPが今年で解散しますが、これとて活動期間が平成時代全般とほぼ重なりますな。 あの、フォーリーブスが10年程度で活動期間を終えたことと比較すると、やはり、両者の背景となる時代に決定的な違いがあることは明らか。 昭和時代は流行の廃りが激しかった。

ジャンプの「こち亀」も終わったし、平成時代の終焉とともに、すべてが区切りをつけていくような動きになっている感覚です。
新千歳空港でシナ人観光客100人が暴動!
以下、読売新聞より転載。

欠航に立腹、中国人乗客ら新千歳職員ともみ合う
2016年12月26日 12時53分
北海道の新千歳空港国際線搭乗待合室で24日夜、大雪による欠航に腹を立てた中国人乗客らが空港職員らともみ合う騒ぎになった。
その際、気分を悪くした乗客2人が救急車で千歳市内の病院に運ばれたが、けが人はなかった。
千歳署によると、同日午後8時頃、搭乗便が欠航になったことで、100人を超える乗客が騒ぎだし、一部が搭乗ゲート内に入ろうとして空港職員や警察官ともみ合ったという。
同空港では22~24日、大雪のため欠航が相次ぎ、足止めされた延べ約1万1600人が空港泊を余儀なくされた。


転載ここまで。

さて、記事ではよくわかりませんが、筆者はシナ人観光客がどんな状態になっていたのかは、だいたい想像できます。 実際の場面は動画がアップされているので、ご覧ください。



シナ人というのは、切れると警察官であろうが、誰であろうが、このように食ってかかりますな。 昨今のシナ人観光客の日本における跋扈ぶりを考えると、こういうシナ人の抗議というのは結構、日常的に空港だけではなく、あちらこちらで発生しているはず。

私は、時折、述べているように、(皮肉ではなくて)こういうシナ人の傍若無人さ、自己主張の強さの一端でも日本人が持っていてくれれば、海外で舐められずに済むと真剣に考えているくらいですが、、、、、、

あらためて、日本が「史上初めて成功した社会主義社会」説を考えてみる、、、
産経ウエブより、以下転載します。

中国「相続税」導入へ 全人代で審議入りも 格差深刻化で不満のマグマ

2016.12.25 08:00
【上海=河崎真澄】中国の習近平指導部が貧富の格差是正を目的とした「遺産税(相続税)」導入の検討に入った。早ければ2017年3月の全国人民代表大会(全人代=国会)で法制化に向けた審議を行う。複数の当局者が24日までに明らかにした。
相続税がない中国では、高級官僚など富裕層が親の富を子供がそのまま“世襲”することが可能。富の再配分が行われぬ中、既得権益層の固定化が進んでおり、新税導入には庶民の不満をかわす狙いがある。
法制化の草案では課税対象を主に富裕層に限定。相続額に応じて税率を15~30%に設定する方向で検討が進んでいる。広東省深●(=土へんに川)市など一部の沿岸都市部から実験導入を始め、22年までに全土に広げる見通し。中国では1949年の新中国成立以来、相続税の制度は導入されてこなかった。
中国国家統計局は2015年に、富裕層と貧困層の家庭の所得格差を示すジニ係数を0・462と公表した。ジニ係数は1に近づくほど格差が開き、0・4を超えると社会不安が広がるとされ、公表された統計でも、すでに中国は“危険水域”に分け入っている。
一方、北京大学は14年に中国の国内個人資産の3分の1を上位1%の富裕家庭が握り、実際にはジニ係数は0・73に達したとの独自調査も公表。極端な富の偏在が進行していると警告した。農村部を中心に、貧困層の不満のマグマは暴発寸前との見方も広がる。
相続税に加え、富裕層の富の大半を占める不動産をめぐり、「房地産税(固定資産税)」の本格導入も審議される見通し。すでに11年から上海、重慶の両中央直轄市で実験導入されているが、例外規定が多く、実効性は上がっていない。
習指導部は5年に1度の共産党大会を17年秋に控えて、国内の治安維持に全力を挙げている。格差問題が深刻化する中で、富の再配分に向けた税制の改革を前面に打ち出すことで、社会不安の沈静化を狙うものとみられる。
ただ、共産党幹部に連なる既得権益層からの強硬な反発は必至で、法制化にはなお曲折も予想される。


そうです。 実は中華人民共和国には相続税も固定資産税も存在しなかったんですな。

世界には相続税がある国とない国に分かれており、これは先進国でも分かれております。 少し調べましたが、例えば、北欧諸国では導入されておりません。 こういった高福祉国家では、所得税と間接税でガッポリと徴収しているので、相続税は勘弁ということか?

導入されている先進国の中では、課税率、課税資産の下限、共に日本が最も納税者に厳しい基準で、ぶっちゃけ、富裕層には住みにくい社会と言えますな。 

途上国では、やはりと言うべきか、国家を牛耳っている権力者兼富裕層が自らに都合の悪い税制を導入するはずがありませんので、相続税のない国が多い。 上掲の中国やインド、タイなどが挙げられます。 意外にも、フィリピンには相続税があるのですが、あのデタラメな国のこと、かなり恣意的に徴税されているのでしょう。 マトモに富裕層が税金を納めているとはとても思えませんな。 
最強のリベラル政権となった安倍内閣
この期に及んで、安倍政権を「独裁だ~!」「極右だ~!」などと言っている人々がおりますが、これまでこの政権が行ってきた政策の数々を並べてみると、これは一目瞭然。

だいたい、穏健な中道左派的政策ばかり、、、、、野党が攻めあぐんでいる理由のひとつが、本来は野党が提示していくべきリベラル政策を安倍政権がどんどん実現していってしまうので、現実的な対案を出すことができなくて、結局は揚げ足取りの批判しか有効手段がなくなっていることでしょう。

保守派の不満が溜まっている昨今です。

新潟大火事の出火元である中華料理店は外国人経営だった
中華料理店と聞いて、ひょっとして、、、、、と危惧しておりましたが、やはり華人のようでしたな。 大陸系か台湾系かは不明。
「お葬式」の昨今
高齢化社会を反映してか、筆者の近所でも年に一回は物故者が必ずおりますな。
葬儀の傾向としては、自宅で行われるケースはほとんどなくて、最寄の民営葬儀場で行われるパターンばかり。

私も親の死というものが切実なものとなってきたので、少し調べてみましたが、「直葬」という形式が定着しているようです。 なんと、都市部では3割くらいが直葬とのことで、核家族化が進み、地域の繋がりが希薄になっている時勢を反映しているのでしょう。

気になる予算ですが、火葬までのパッケージで10万円以下というのが相場。 近辺の葬儀社で最も安いのが5万円台でしたな。

これで決まり!
「人口ボーナス理論」に異論を唱える
「人口ボーナス」とは、ごく簡単に言うと、国家において労働力人口がピークを迎えるまでの経済成長期間のことで、このピークを過ぎると、人口は減少に転じて労働力人口も低下し、高齢化社会が進行していく、、、、そして、経済のパイは次第に縮小していくという考え方ですな。

日本は、1990年頃にこの人口ボーナスが終了して、現在の少子高齢化社会に本格的に突入したと言われております。 筆者はこの「人口ボーナス理論」は先進国にのみ適用可能だと考えておりますが、世間では、これをインドとかフィリピンとかの途上国にまで適応していて、ここまでくるとちょっと同意できません。

少し実例を挙げましょう。

中国は2030年に人口ボーナスが終了すると言われておりますが、この時期までに先進国でいうところの多数の中間層が国内に形成されているとは思えません。 ずばり、中共は国民全体が裕福になることなど考えておらず、9千万人の党員とその家族のみが裕福になることが国家目標ですから、その他は二級国民として切り捨てることができます。 これが先進国と決定的に違う国家体制ですな。 すでに、高齢化社会に突入している中国ですが、これに対する処方箋は実に明快。 中国には一部国営企業を除いて国民に広く行き渡る年金制度は皆無、生活保護制度は皆無、医療保障制度は皆無、、、、基本「自力更生」で、親族が面倒を見るのが中国式です。 ということで、日本が苦しんでいる高齢化社会の問題が中国には表向き一切ありません。 

フィリピンは2045年頃に人口ボーナスが終了すると言われておりますが、地方豪族による大土地所有制と財閥による寡占支配が国家の機軸であることを踏まえると、あと30年で労働力人口がピークになるとはとても思えませんな。 また、宗教上の理由で避妊を避ける傾向のある民族性を考えると、この国で少子化が先進国並みに進むとは思えない。 おそらく、50年経っても労働力人口構成はさほど変化はないと思いますよ。 

まあ、挙げたのは一握りの例に過ぎませんが、ことほど左様に普遍的理論など存在しないということがわかります。
社会の「閉塞感」考
安倍政権になってから、就職率や雇用率が改善されて、若者の「閉塞感」というのも払拭されてきたようですな。 

この、若者の「閉塞感」がマスコミで取りざたされる場合は、たいていが大規模なマイナスの社会的要因が発生した直後です。 直近だと、リーマンショック前後の一年毎に総理大臣が交代していた国内政治の混乱期によく言われたもんです。 

しかし、自分史的に振り返ると、昭和47年頃から数年間の「閉塞感」が最も強烈だったように記憶しております。

高度成長期は大阪万博でひとつの区切りとなりますが、このあたりから公害問題が叫ばれ、オイルショックが続きます。 大規模な学生運動は終息して、「しらけ世代」が当時の若者を形容する言葉に。 学生運動の残党は過激派と化して地下に潜り、テロ活動にシフトしました。 「日本沈没」や「ノストラダムスの大予言」が大ベストセラーとなり、若者には閉塞感どころか、この世の終末感が漂っていましたな。 筆者もそうでしたが、1999年に人類が滅亡すると漠然と信じていた人は若者では結構いたと思います(五島勉の罪は重い)。

あの頃の暗澹とした気分に比べれば、今は本当に希望で満ち溢れていると思いますが、、、、







一部で略奪が横行するベネズエラ
南米ベネズエラが凄いことになっているようですな。

直接の原因は、原油安。 国家としてエネルギー産業に頼り切っていたために、たちまち外貨不足に陥りました。 輸入がストップ、物品が極端に不足する事態に陥り、これがハイパーインフレを引き起こしているというもの。

もちろん、旅行者が外貨を使用する場合は、ヤミ両替を通して現地通貨を入手することができるので、比較的安く旅行することができるとのこと。

治安が極端に悪くなっているようですが、立ちんぼが2~3ドルということなので、そちら方面の好事家にとっての穴場になっているようですな。 ちなみにベネズエラでは売春は合法らしい、、、、、
SNS時代の情報収集
トランプ次期大統領は記者会見嫌いですが、彼のツイッターをフォローしていれば、ワシントンポストやニューヨークタイムズの記者と同時刻に重要情報を入手することができます。 我々は、もはや、既存マスコミが報じる以前に重要情報を入手できる環境下にあると言えますな。

筆者もそうですが、この10年くらい、既存マスコミで最初に情報を得るというよりは、「この話題は、この新聞(テレビニュース)ではどれくらいの扱いになっているのだろうか?」と、ネットで得た情報の確認の意味で視聴している人が多いと思います。

例えば、福島県の仏像破壊事件の犯人が韓国人だったとき、我々がテレビや新聞で確認するのは、「新聞テレビはしっかりと報道しているのだろうか?」と、疑念を抱きつつの確認作業をするわけです。

で、犯人が外国人だと判明した途端、ニュースから早々にフェイドアウトしている今般の状況を嘆いているんですわ。

情報をコントロールしたい人々にとっては、大変な時代となりましたな。
いよいよ米中対立時代が到来するのか?
先ほどの日露首脳会談の結果については、賛否両論、保守派からも「露助に経済援助してやるだけじゃないか!」という意見が多く出ておりますな。 領土問題では一歩どころか半歩前進くらいの成果しか出せなかったのですが、背景に軍事力を持たぬ日本の限界なのでしょう。 筆者としては、ロシアは不倶戴天の仮想敵国と思ってますから、結局のところ、北方領土を奪い返すには、こちらが軍事的に占領する以外はありえないとの立場。

しかし、安倍総理や官邸が意識したかどうかは別として、現時点では北方領土問題を抜きにして、ロシアと友好的雰囲気を作っておかなければなりません。

というのも、トランプ次期大統領の発言や閣僚人事構想を見ていると、明らかに親ロシア・反中国を謳っており、今後の少なくとも4年間は米中対立がいっそう鮮明になってきそうだからですな。

当然ながら、日本も米国に倣って親ロシア・反中路線に入っていくわけで、安倍首相とプーチン大統領が仲良く握手する姿を苦々しく傍観していたのは、紛れもなく中国。

いよいよ激動の2017年が近づいて来ましたよ!

マスコミによる情報操作の実例
読者のみなさんも、一度は「日本では格差社会が拡大しているううう!」という言説を耳にしたことがあると思いますな。

以前にも取り上げましたが、筆者の生活実感としては、昭和40年代以前の都市と地方の格差は目に見えて存在しておりましたから、現在の格差社会の捉え方には疑問があります。 ずばり、現代は「世代間の格差」であって、しこたま貯蓄していて、年金も支給されている高齢者と、高度成長が望めない経済状況の中で生きる若者との世代間のギャップという捉え方が実態に近いと思います。

さて、この「格差社会」というものを実態に即して理解しない人々が多いわけですが、これをネタに1本のテレビ番組を作ってしまおうという安易な企画が昨日、放送されました。

「池上彰 緊急スペシャル」という番組内で、日本の格差社会を問題提議しようというコーナー。 番組では、日米の所得格差の推移を比較するチャートが説明に使われました。

まずは、次のチャートをご覧ください。
1481893183068.jpg
少しわかりにくいですが、横軸に80年代以後の推移を示す時系列、縦軸に変化の変動幅を示すグラフで、青色の折れ線が所得上位1%の平均所得、赤色の折れ線が下位90%の平均所得の推移を表します。 1980年を基準として1.0とした場合の30年間に渡る変動割合の推移を示そうとしたチャートで、左側が日本、右側が米国となっております。

まず、これを見て、日米にはどういう傾向の差があることが読み取れますか?

素直に見るなら、下位90%層の平均所得(赤線)の比較において、米国がほぼ横ばいなのに対して、日本は90年代以降、下がり続けているような印象ですね。 これだけだと、あたかも米国よりも日本の方が下位層の所得が減っていく中で格差が広がっているように見えますが、、、

だが、ちょっと待ってほしい!


もう一度、よ~く縦軸と横軸を精査してみてください。

縦軸においては、日本の方は上限が1.4から下限が0.8、米国の方は上限が3.0から下限が0.5、、、、つまり、日本のグラフが縦方向に2倍に拡大されているということがわかります。 
一方、横軸においては、米国が1980年から2015年までの35年間の推移であるのに対して、日本は1980年から2010年までの30年間の推移、つまり、横軸も同基準でプロットされておりません。

ネット民の有志は、このグラフの縦軸と横軸を日米、同一基準にして、再プロットしてくれました。 
それが下のチャート。
GFNaKd6.jpg

これを見れば、一目瞭然、米国の上位1%の平均所得が、この35年で3倍にもなろうかというほどに対して、下位90%層はほぼ横ばい、、、、他方、日本は、確かに格差は広がっているものの、米国の異常な格差拡大と比較すると、誤差の範囲程度とも言えます。

ここからは私の想像ですが、おそらく、この番組のスタッフは、当初から「日本の格差社会」をメインテーマで企画を進めようとしたものの、少し調べてみると、米国があまりにも凄い格差社会を示すデータだったので、日本の格差が目立たなくなることを恐れて、チャートに手を加えて、あたかも米国と同程度の所得格差が広がっているように見せようとした、、、のだと思います。

おそらく、視聴者としては、この細工されたチャートから、事実と異なる印象を持った人がほとんどでしょう。

おそろしい情報操作ですな。
ロシアへのビザ無し渡航はいつ始まる?
日露首脳会談を契機として、日本側が先に、ロシア人に対するビザなし渡航を解禁しましたな。 観光庁が定める目標外人観光客4千万人を達成しようと思えば、遮二無二、入国規制を緩和するしか方策がないわけですが、こうやって、どんどんとビザ免除適用国を増やしていくんでしょう。

これで予想できるのは、ロシアンパブが繁華街で増えること。 なんと言っても、極東ロシアの大都市(ハバロフスク、ウラジオストック)から最も近い先進国は日本ですから、ロシア女の不法残留者が増えるでしょう。 まあ、稼げるとなれば、挙って日本語を勉強するロシア人も増えるはず。

反対に、日本からの旅行がビザなしでできるようになるのも時間の問題かと思われますが、これは旅行好きには朗報でしょう。

もし、ビザなしで簡単に行けるようになれば、とりあえず、ウラジオストックは旅行してみたいですな。
見よ! 「逆神」の大パワーを!
「逆神」という言葉をご存知かと思いますな。

おもに、経済動向分析で、予想が100%外れるエコノミストを呼ぶことが多いです。 つまり、ある人が日経平均株価が下がると予想すれば、実際には上がり、ドル円レートが円高になると予想すれば、実際には円安に振れる、、、そんな、予想することが必ず外れるエコノミストのことを皮肉を込めて「逆の神」、神様の真逆であると呼ぶわけです。

今、日本で最強の逆神と言えば、この人でしょう、、、、

hama.jpg

通称、「紫BBA」こと浜某大先生は、2016年の株価を1万円割れ、円ドルレートを50円と予想していたわけですが、ご存知のように、12月に入ってトランプ相場は絶好調で年内2万円達成もありうるかも、、、、1ドル120円がすぐそこまで、、、、という現状。

まさに逆神のパワー炸裂!

この人はアベノミクスを「アホノミクス」とこき下ろし、マスコミでは単純に希望的観測だけで、経済予測を開陳しているわけですが、こんな逆神を重宝して使い続けるマスコミもどうかしてますな。


韓国が鳥インフルエンザの封じ込めに失敗、 全土に拡大、、、、日本への波及も
パックネ大統領が弾劾手続き中で国政は停滞、サムスンのスマホが爆発で大規模リコール、海運大手が破綻、サード配備の報復として中国では韓流コンテンツがメディアから排除、、、、などなど、、、韓国がすべてにおいて崩れだしておりますな。

そして、比較的地味ではありますが、現在、全土で鳥インフルエンザが猛威を振るっております。 感染が拡大した理由は、養鶏業者や流通業者が目先の利益だけを考えて、感染している疑いのある鶏もこっそりと出荷していたらしいこと。 まあ、韓国人ならやりそうなことです。 ともあれ、すでに韓国全土で発症していることから、辛抱強く待つしかありません。

韓国がどうなろうが知ったこっちゃありませんが、日本がとばっちりを受けるんで困ったもんですわ。
なんで今頃発覚する?
以下は、産経ウエブからの転載。

ニセ警官、金塊盗む
―6億円分、百数十キロ 運搬中に声かけ、アタッシェケース点検するふりして
…JR博多駅付近


福岡市博多区のJR博多駅付近の路上で今年春ごろ、運搬中の数億円相当の金塊が、警察官を装う複数の男に盗まれていたことが14日、捜査関係者への取材で分かった。福岡県警は窃盗などの疑いで捜査している。
捜査関係者によると、複数の男性が金塊の入ったアタッシェケースを運んでいたところ、警察官に扮した男らに声を掛けられた。偽警官の男らはアタッシェケースを点検するふりをし、男性らが目を離した隙にアタッシェケースを持ったまま逃げた。
捜査関係者によると、男らに盗まれた金塊は約6億円相当で、重さは百数十㌔。


転載ここまで。

百キロを越える金塊をハンドキャリーしていたということで、記事から想像しても、運搬していた人数は5人以上(?)、というのも、旅行で使うようなキャスター付の大型ケースなら100キロあたりまでなら1人で運べますが、記事にあるように「アタッシュケース」が本当だとすれば、あれに入る金塊なんてせいぜい、20キロくらいでしょう。 いずれにせよ、1人でキャリーするとなると、体力的にケース一個が適当で、そうなると、少なくとも5人は必要ではないかと考えるわけですな。

で、それが偽警官に盗まれた? 何とも不可解な事件。 そもそも、金塊自体が実在したのか?

報道ベースでは何が何やらわかりません。

犯人は朝鮮人の男か? (大阪JR新今宮駅ホーム突き落とし事件)
以下、時事ドットコムより転載。

線路突き落とし、28歳男逮捕=殺人未遂、容疑を否認
-大阪府警


大阪市浪速区のJR新今宮駅のホームで、女性2人が後ろから男に押され、うち1人が線路に転落した事件で、大阪府警は13日、殺人未遂容疑で、朝鮮籍の無職裴晃大容疑者(28)=大津市南志賀=を逮捕した。容疑を否認しているという。

府警によると、裴容疑者には軽度の知的障害があり、刑事責任能力の有無を慎重に調べる。
逮捕容疑は11日午後5時5分ごろ、浪速区恵美須西のJR新今宮駅ホームで、電車待ちをしていた高校3年の女子生徒(18)と主婦(63)を背後から押し、殺害しようとした疑い。

主婦は線路上に転落し、直後に難波発王寺行きの快速電車がホームに進入したが、約7メートル手前で緊急停止し、接触はなかった。女子生徒は踏みとどまったという。(2016/12/13-09:57)
 転載ここまで。

注目点は、マスコミが容疑者の国籍や本名を正しく記載するかどうか。

容疑者が外国人と判明した場合は、どんな凶悪犯罪でも、すぐにフェードアウトしてしまうわけですが、こういう犯罪は実名でしっかりと報道してもらいたいものです。
日本もこれくらいやれや
少し古いニュースですが、以下、転載です。

フィリピン、不法就労容疑の中国人1300人を拘束
2016年11月29日 23:46


【11月29日 AFP】フィリピンで先週末に行われた違法カジノの摘発で、中国人1300人以上が、不法就労の疑いで身柄を拘束されていたことが分かった。フィリピン入国管理局が29日、発表した。中国政府はフィリピン政府に対し、拘束された中国人への「人道的な扱い」を保証するよう求めている。

フィリピン入国管理局の報道官によると、同国北部にあるカジノとホテルの複合施設で24日に行われた家宅捜索で、入国法違反の疑いにより拘束された中国人1318人の多くは、無許可のオンラインカジノ事業で働いていた。報道官は、不法滞在とみなされた場合は中国へ強制送還されるが、全員の滞在許可証など関連書類を調べるには時間がかかると語った。

中国外務省の耿爽(Geng Shuang)報道官は29日、「フィリピン側がこれほど多数の中国人を拘束したことを強く憂慮している」と述べ、フィリピン政府に対し今回の件を「公平に」扱い、合法的に滞在している者は即時釈放するよう求めた。さらにフィリピン当局は「関与している者全員に対する安全で人道的な処置を保証すべきだ」とも述べた。

フィリピンのロドリゴ・デュテルテ大統領は、南シナ海(South China Sea)の領有権をめぐり悪化していた中国との関係を修復するために10月、中国を公式訪問している。


日本には、今年の7月1日時点で、63,492人の不法在留外国人がいることが法務省の調べで判明しております。 
トップは韓国人の13,180人、2位は中国人の8,592人、そして、3位は意外やタイ人で、6287人。 以下、フィリピン、ベトナム、台湾、、と続いておりますな。 近年の傾向としては、ベトナムとタイの不法在留者が急増していることです。

韓国人がトップなのは頷けるところで、経済的に自立した在日韓国人(帰化済みも含む)がすでに本邦には100万人レベルでいますから、親族のツテなどを頼って来日、そのまま居座るパターンが多いのでしょう。 容易に仕事が見つかるはずです。

筆者が懸念しているのは、やはり、シナ人とベトナム人。 
フィリピン人とタイ人は国民性として、おとなしく身分をわきまえながら生活していけるイメージですが、シナ人とベトナム人は凶悪犯罪を組織的に行うことに躊躇しません。 もちろん、これは一般論に過ぎませんが、、、

日本もデュテルテに倣え!





やはり、韓国人が犯人だと大マスコミは報道しないらしい、、、
今のところ、サンスポ.comでしか、記事を確認できません。 
以下転載。

韓国籍の男が稲荷神社でキツネ像壊す
…100体近くの被害届とも関連調査へ


福島県警白河署は10日、同県泉崎村の神社でキツネの石像などを壊したとして、器物損壊と建造物侵入の疑いで、住所不定、韓国籍の無職チョンスンホ容疑者(35)を逮捕した。
福島県では今月に入り、泉崎村の北側に位置する須賀川市、郡山市、福島市の寺や神社などから、仏像や地蔵像が壊されたとの被害届が相次ぎ、損壊数は少なくとも100体近くに上っている。白河署は関連を調べる方針。
逮捕容疑は、9日夜、同県泉崎村の稲荷神社でキツネの石像2体を壊し、さらに本殿に侵入してキツネの木像などを壊した疑い。
署には10日、稲荷神社とは別の寺と神社から石仏が倒されたり、ご神体が壊されたりしたとの届けがあり、署員が白河市内で容疑者を職務質問。犯行を認めたため逮捕したという。
2016.12.11 00:17


転載ここまで。

ネットでは、偶像崇拝を否定するムスリム原理主義者か、反日韓国人の犯行ではないかと予想されておりましたが、どうやら、やはり、韓国人だったようですな。

しかし、こういう犯罪で、犯人が外国人だったことが判明すると、急激に報道がなくなる、、、、要は、情報を遮断することによって、国民に知らせない、、、などという大マスコミの思い上がりは本当に情けない。
いつの間にか12月だ
早すぎるよ~
世界ケンカ旅行(カンボジア番外編)最終回
私はスピードボートでシェムリアップからプノンペンに戻った。

あとは、バンコクに戻るまでの日々を過ごすだけであったが、単調な生活の繰り返しであった。
朝10時くらいに起床、1階のキャピトルレストランで朝食を取る。 ここで降りてきた平山さんや、他の日本人との朝の雑談が始まり、昼食は近くの屋台で済ます。

午後は、適当に市内を散策。 154通りの置屋で時間を潰す。 ホテルに帰ってからは、昼寝の時間。 
夜は、平山さんと食事、少し高いレストランに行くことが多かった(と言っても、単価3ドル程度)。 その後は例によって、キャピトルレストランで雑談夜の部。 9時にレストランが閉まった後はマティーニに行く。 
なんとも怠惰な生活であったが楽しい毎日であった。
このあと、2週間ほどの滞在期間を終えて、プノンペンを去ることになる。

しかし、ほどなくして舞い戻ってくるとは、この時点では思いもよらなかったのである。 

(完結)
世界ケンカ旅行 (カンボジア番外編)13
翌日、さっそくアンコール観光に出かけることにした。

アンコール遺跡群は、最も有名なアンコールワットやバイヨンなどをメインとして、数キロ四方の広いエリアに散らばっている。 個別の遺跡ごとに入場料を支払うのではなく、全体で通しの入場券を購入することによって徴収するしくみである。 このアンコール遺跡の入場券というのが曲者で、委託販売で出回っているものの大半が偽物なのだそうだ。 チケット額面は20ドルだから、プノンペン労働者の月収(30~60ドル程度)を考えると、偽物商売に走るのも無理はない。 ゲストハウスで見せてもらうと、印刷技術も低く、偽造対策も講じられていないことがわかる。 バイタクの運転手が売り歩いている偽チケットと比較しても、外見上はまったく判別がつかない。 

アンコールワットの入場券は、シェムリアップ中心部から通じる道路のチェックポイントで確認するだけらしい。 係員が出勤する前の早朝に出かければ事実上のノーチェックということなので、私は夜明けのアンコールワットを見るために暗いうちからバイタクで出かけた。 ちなみに、バイタクとは半日の貸切を3ドルで契約した。

アンコールワットとアンコールトム、バイヨンは別として、その他の遺跡は保存状態が非常に悪い。 というか、すっかり放置されていた。 しかも、周辺に誰もいないので、こっそりとレリーフを削り取って持ち帰っても目撃されることはない。 実際、何者かによって盗掘されたとみられる跡がそこここに見受けられた。 ここで盗まれた遺跡の一部がタイを経由して世界中に密売されていると言う話も、あながち嘘ではないのだろう。 ポト派の資金源の一部はこういった盗掘で賄われていたのだそうだ。
また、後年、貸切バイタクドライバーに強姦される女性観光客も多発したが、遺跡群を巡る間、まったく誰にも遭遇しなかったことを考えると、これはうなずける話である。


アンコール遺跡の観光が終わった夜、ゲストハウスでいっしょになった旅行者たちと夜のシェムリアップを歩いた。

世界でも有数の遺跡がある町としては、小さく地味な印象は拭えない。 いかんせん、内戦が一段落して独立国家として産声を上げてからまだ数年しか経っていない。 観光客はまだまだ少ない。

ゲストハウス近くの横丁からは、例の赤い灯が漏れている。 近づいてみると、やはりそこは置屋で、3件ほど並んでいた。 冷やかしで値段を聞いて見ると、言い値は10ドルである。 多分、交渉すればプノンペンと同じ1万リエル(4ドル)まではすぐに落ちるはずである。
中心部の目抜き通りを歩くと、ここでは唯一と思われる夜総会(ナイトクラブ)があった。 我々は男三匹だったので、躊躇なく覗いてみることになった。
収容人数は30人くらい、店内は暗く、生バンドではなく、クメール歌謡のテープが流れていた。 ボーイの案内でテーブルに着くと、我々と同じ人数の3人の女の子が呼ばれて横に座る。 マティーニの女の子はフリーの娼婦だったが、ここは専属のホステルが付いてくれる。 3人ともベトナム人で年齢は18歳から20歳くらい。
料金もリーズナブルで、ビールやコーラは1ドル、食事も一品1ドルから2ドル程度である。 テーブルチャージ5ドル以外のサービスチャージの類はなく、この種の飲食店としては非常に安い。 何より、バンコクのゴーゴーみたいに、女の子に飲ませてやる必要がないのが嬉しい。 我々はビールやコーラを思い思いに注文した。
女の子は、すぐに営業活動を始め、「テンダラー、ホテル、ボンボン」と身振り手振りを交えながら訴えてきた。 我々は健全なゲストハウスにいたので、連れ出すつもりは毛頭ない。 女の子は皆若く、かわいい容姿で、洋服でドレスアップしていた。 ベトナム式パジャマ姿で客引きしていた置屋の娘に比べて光って見える。 

私は女の子と上手くコミュニケーションが取れないことに、幾ばくのもどかしさを感じた。 
ベトナム語習得の必要性を感じた夜である。
世界ケンカ旅行 (カンボジア番外編) 12
私の乗った中型のターボプロップ機はカンボジア北部、アンコールワットの街であるシェムリアップに到着した。

ポチェントン空港と同様、最近作られたようで、観光都市の玄関口としては合格の出来である。 シェムリアップの空港は、市内中心部から7キロほど離れている。 私は交渉の末、バイタクに1000リエル払って、市内に向かった。 
目的地の宿はすでに決まっていた。

市内中心部に差し掛かる手前に、260番(後のチェンラ)ゲストハウスがある。 私はここに3日ほど滞在することにしたが、居心地がすこぶる良い。 ここでは、他の日本人宿にはないユニークな宿泊者の記念写真集が目を引いた。 このアルバムには、オーナーが撮影した、過去に滞在した日本人の近影が収められている。 パラパラとページをめくっていくと、私が世界各地で出会った懐かしい旅行者が数名ほどいた。 なんとも懐かしい気持ちにさせてくれる。

「写真ですか? 誰か知ってる人がいますか?」
私がユースの共用スペースで宿泊者アルバムを丹念に眺めていると、日本人女性が横から声を掛けてきた。 一見、女子大生風に見えるが、経験則でいうと女性の場合は見た目と実年齢に大きな差があることが多い。 真っ黒に日焼けしているので、アジア周辺でよく見かけるバックパッカーであろう。 その女性は優しい笑みを見せた。

「あ、どうぞ」
私はアルバムを閉じて、女性に手渡した。 私がアルバムを長時間独占していたから、おそらく、私を促す意味で声を掛けてくれたのだと邪推した。

「いえいえ、私は結構ですよ」
その女性は手を振ってアルバムの受け取りを拒んだ。
以後は、お決まりのバックパッカー同士の会話となるはずが、私が旅行の道程を訊いてみると、予想外の返答が返ってきたのである。

「NGOの仕事でカンボジアに来てます。 ここでは、日本からの援助物資の配布の準備のために2週間ほど滞在してるんですよ」
その女性は自分の仕事を自慢するかのごとく堂々と自己紹介した。 彼女は旅行者ではなかったのだ。 

私は途上国で活動する慈善事業の類には、心情的にまったく賛同していなかったから、こういう世間知らず、かつ自意識の強そうなボランティアとは話が合わないことは先刻承知である。 
差し支えない建前の話題で会話を続けていたが、生来のアマノジャク気質は如何ともし難く、挑発的な質問をしてしまった。

「プノンペンでは、援助物資の横流しが横行してるの知ってますか? 援助品のラベルが付いたものが商品として堂々と売られています。 援助する場合は、直接、対象者に物資を手渡ししなければだめですよ。 あいだに、1人でも噛ませると、間違いなく横流ししますからね」
私は言った。

「実は、団体の現地スタッフが何人かいるんですが、どうも会計が合わなくて困ってまして、、、援助品もかなりなくなってます。 スタッフが抜いている疑いが濃厚ですが、、、まあ、この国の中で流通しているなら、それはそれでいいという考え方でして、深く追求はしてませんね、、、、」
彼女は少し顔を歪めた。 
所詮は利潤を追求しない組織なので、そういう甘さが許されるのだろう。

「スタッフの働きぶりはどうですか?」

「そうですね、、、スタッフに仕事をやらせると、日本人が30分でできる作業に丸1日はかかりますね、、、こちらの人が言うことには、ポルポト時代に教師とか医師とか、インテリ層はすべて死んでしまって、残った国民はバカしかいないのだと、、、それ、かなり当たっていると思いますよ」

優秀な遺伝子を持った国民をすべて抹殺してしまったポルポト政権の罪は深い。

その日は、NGOの女性との歓談とともに暮れていった。

世界ケンカ旅行 (カンボジア番外編) 11
翌日から本格的な市内観光が始まったが、プノンペンにはこれと言った観光の目玉のようなものがないのが難点である。

王宮、ワットプノム、ツールスレン収容所跡、博物館、そして、少し足を伸ばして「キリングフィールド」くらいが関の山、二日間ですべて見学してみるも、あまりの小粒さに拍子抜けの感は否めない。
次の目的地はシェムリアップであったが、私は様々な国内事情から飛行機を使うと決めていた。 

ここで95年現在の交通事情を改めて振り返ってみたい。
まずは空路で、これは国内線でシェムリアップに向かうルートである。 もっとも安全で楽な移動となる。 陸路では、プノンペンから車両で向かう方法と、船舶でトンレサップ川を辿り、シェムリアップ南方のトンレサップ湖畔に向かう方法があった。
プノンペンから車両でシェムリアップに向かうには、バッタンバンとシソポンを経由しなければならないが、この地域の治安は確保されておらず、夜間の通行は不可能、昼間においてもポト派の襲撃が時折発生していた。 もとより、整備されていない軟土地盤を踏破しなければならず、雨期にはオフロード用車両でやっと通れる程度であった。
これに比べると、トンレサップ川を行き来するスピードボートは乗り心地も格段によく、所要時間も短くなるが、強盗被害があって必ずしも安全とは言えなかった。
私は往路は飛行機で、復路にスピードボートを使うことにした。
プノンペン市内にあるロイヤルカンボジア航空のオフィースに直接、航空券を買いに行くが、片道55ドルで予想よりも安価である。

さて、市内観光では、キャピトルレストラン前を縄張りとするバイタク運転手諸君に世話になっていたが、中でも、チョムという名の中年ドライバーには重宝させてもらった。 彼が優れていたのは、どこで学んだのか、しっかりした英語が話せることであった。
一通りの観光が終わった頃、レストランの入り口でチョムが私に話しを持ちかけてきた。

「スモール・ガールはいらないか?」
彼はニヤリと笑った。 女を紹介すると言いたいらしい。

「ガールだと? そんなもん、そこら辺にいくらでもいるだろ。 興味ないね」
私は答えた。

「違う、違う、スモール・ガールだよ! 小さい子供だ。 街にはいないが、少し離れたところにいるんだ」

彼はプノンペン郊外の「スウァイ・パ」と呼ばれている置屋が密集する村の話をしていた。 情報ノートで存在自体は知っていたが、さすがに市内には、置屋があちこちに散在し、ホテルのマッサージ、立ちんぼ、夜総会(ナイトクラブ)、、、などなど、プレイスポットは掃いて捨てるほどあったから、わざわざ郊外に足を伸ばす意味はない。

「往復1ドルでいいよ。 どうだ?」
チョムのいいところは、現地人料金を最初から提示してくるところである。 

「そうか、暇だし、行ってみようか」
私はそう返答すると、バイクの後ろにまたがり、キャピレスを発った。 
バイクはフランス大使館を過ぎ、ロータリーを右折、日本の援助で建設したという通称「日本橋」の手前で左折して、一路、北に向かう。 川沿いの道を進むと、モスクがあったりするなど、カンボジアの違った一面も垣間見ることができる。 
20分ほど走ると、チョムは突然、左折して集落に入った。 

そこは、カンボジアやベトナムの農村に、どこにでもあるような集落である。 鶏がそこらじゅうで飼われていて鳴き声が少々煩わしい。 小路では子供たちが走り回って遊んでいる、ごく普通の情景である。 
チョムはバイクから降りて、私を案内した。 
集落の裏側まで入り込んでいき、彼はベトナム人の中年女と何やら話しをしている。 

「5ドルで話はついたぞ。 好きなのを選べ」
チョムはそう私に告げて、ベトナム人女に合図をすると、彼女は小路で遊んでいる子供に向かって、呼びつけた。

すると、そこらで遊んでいた女の子が3人ほど私の前に整列した。 女は指差しながら好きなのを選べと合図した。
女の子の年齢は7歳から10歳くらいに見えた。 もちろん、私にしてみればまったくの性的対象外である。
私は即座に手を振って断ると、ベトナム女はたちまち不満の表情を露にした。 チョムに小言を吐いているようで、彼は少しバツが悪そうであった。 我々は、表側にある普通の置屋を少し歩いて見て回ったあと、すぐに立ち去った。

カンボジアの貧困の一端を垣間見た出来事である。

その数日後、私はシェムリアップに発った。 
世界ケンカ旅行 (カンボジア番外編) 10
1978年公開のマイケル・チミノ監督、ロバートデニーロ主演作品で「ディアハンター」という映画があった。 米国アカデミー賞作品賞を受賞しているので、ご記憶の方も多いだろう。
映画の中では、ベトナム戦争中、サイゴンの闇ギャンブル場で行われていたロシアンルーレット賭博が物語の重要なギミックとして使われていた。 このシーン自体はアメリカ人から見たベトナム人観というか、引いては東洋人に対する偏見が強く感じられるが、この地下賭博場の雰囲気がそのままマティーニの雰囲気に当てはまると想像していただきたい。

入り口近辺では物乞いが座り込んで、入店客が通りかかると汚れた手を伸ばし、いくばくかのリエル紙幣を要求している。 しかし、実際に施している客はほとんどいない。 
店舗敷地内は武器の持ち込みは禁止で、入り口で預けなければならないが、タグが付いた拳銃の山がレセプションの奥に山と積み上げられていた。 この光景から、夜間を移動する際はかなりの現地人が拳銃で武装していることが窺えた。

マティーニは、30人程度で満員になりそうな、比較的狭い室内デイスコと、屋外のビアガーデンに分かれていて、ビールやコーラが1ドルぐらいで供されていた。 屋台もあって食事を注文することができる。 
すでにテーブルの半分くらいに客が陣取っていたが、一瞥して台湾人の現地駐在員、欧米NGOの職員風情のオッサンたちが客層のようである。 

「あ、ここにいる女は全員、娼婦だから」
平岡さんは、私が思いあぐねていた疑問を見透かすように、あっさりと解答してくれた。

「凄い数ですね、、、、」
私は周辺を見渡して言った。

屋外露天スペースには、20台ほどの4人掛けテーブルが並んでいた。 すでにテーブルの半数以上が客で埋まっていて、若い女性がホステス然とした格好で大抵の客の横に座っている。 ただし、特別なサービスをしているかというと、そうでもなく、憮然として同伴しているだけの女も多い。 これらの女は、すべてフリーの娼婦で、今宵の客を捕まえようと媚びを売っているのであった。
我々が店内を歩いていると、娼婦たちが次々とこちらに視線を向けてくる。 その数は20人くらいだろうか。 年齢的には20代から30代がもっとも多く、置屋の少女たちよりも年齢は一回り高い。

平岡さんはコーラを飲みながらビアガーデンの後ろに陣取って、店内をどこともなく眺めていた。
私はディスコに入ってみた。
中央のステージは精々10人程度が踊れるスペースしかなく、大音響の中、実際に踊っているのは娼婦が3人ほどである。 大半の客はステージを取り囲むようにセッティングされたバーでビールなどを飲んでいるだけであった。
私と平岡さんは別行動で店内をうろうろと徘徊しながら、すれ違う女たちの表情を見ていた。

1時間ほど経って、平岡さんが先に帰ると言ったので私も一緒にホテルに戻ることにした。

店外に出ると、たちまちバイタクのドライバーが群がってくる。 「キャピトル、ワンダラー! ワンダラー!」と口々に言ってくるが、見事に我々の風体だけで宿泊先を見抜いているのは流石である。

平岡さんは「ノー!1000リエル!」と告げて適当にあしらう。
2人はバイタクの群れから逃げるように離れる。 すると、「OK!」と妥協してくるドライバーが出てきて、スーパーカブの後部座席部分をパンパンと叩いて乗るように促してくる。

我々は改めて運賃を確認してから、バイクの後部にまたがって敷地の一角から出た。

夜の10時を過ぎた頃になると、交通量は皆無に近い。 我々の乗った2台のバイク以外は時折、対抗車線から向かってくるバイクとすれ違う程度であった。 街灯もなく、店舗もすべて閉まっているのでヘッドライト以外の光源はない。 これは非常に心細い。

マティーニからキャピトルゲストハウスに向かう途上に、オリンピックスタジアムの脇で待ち構える検問に再度遭遇した。
今度はジャンダムリ(軍憲兵)による夜間検問である。

バイクは検問所で停止した。 平岡さんは「OK,ジャパン!ジャパン!」と何回も繰り返した。

兵士は「テンダラー! テンダラー!」と、手を差し出して、これまた脈絡もなく繰り返す。 我々が不審な荷物を持っていないのは一目瞭然で、要するに、連中は通行料を要求しているだけなのだ。

平岡さんは運転手の肩を叩いて、早く行くように促した。 我々日本人はそれほどでもないが、地元のバイタク運転手は少しビビッているようであった。 
噛み合わぬ問答が数分ほど続いたのちに、他のバイクが検問所に接近してきたので兵士たちは我々にかまっていることができなくなった。

兵士の注意が分散した隙に、我々のバイクは検問所を逃げるように走り去った。 さすが、平岡さんは対応に慣れていて、無駄なワイロを払わずに済んだが、普通の旅行者なら恐怖にかられて少しばかりの現金を渡してしまうかも知れない。 

この夜間検問という名の「官憲によるカツアゲ」はマティーニからの帰宅で避けて通れない関門であった。
世界ケンカ旅行 (カンボジア番外編) 9
「女の子たちは、サイゴンあたりから来ているんですか?」
私は平岡さんに訊いてみた。

「いや、プノンペンに近いメコンデルタの農村あたりからほとんど来てる。 国境なんかあってないようなものだからね」
彼は言った。

平岡さんによると、こういう事情らしい。
ベトナム人の中間業者が貧農を回って、若い生娘をリクルートしてプノンペンの置屋に売り込むのだが、1人1000ドル程度の前金を親に置いていく。借金を背負って売られてきた少女たちは、置屋でそれを返済していき、完済した時点で晴れて年季明けとなり自由の身となるのである。 
こういう人身売買のビジネスモデルというのは、国や時代を問わずよく似ているから不思議である。
ベトナムが社会主義国家で性風俗産業が公に存在しないことになっているために、自然の流れとして、無秩序が支配するカンボジアに職を求めて殺到してくることになるのだ。
おそらく、新生カンボジアには憲法典くらいしか系統立った法令は整備されておらず、厳密には管理売春に関する規定はないのだろう。 もし、何らかの規定があったとしても、公務員に順法精神が希薄なのは明らかで、プノンペン市内にある置屋は警察公認で、定期的に地元の警察がショバ代を集めて回っているという。 警察とヤクザが兼職になっているのは途上国では普通のことだ。
いずれにせよ、背景には救いようのない農村部での貧困という問題があるわけで、表面だけを見て人身売買を否定しても問題は何も解決しない。 (ちなみに、この頃のプノンペン置屋事情は年を追って激変していく。 154と63の置屋街は97年初頭に一斉に閉鎖となるが、これには市内中心地から見栄えの悪い醜業を一掃しようという政治力が働いたことは明らかであった。 他方、市内の北端に位置した70番通りや郊外のスワァイ・パといった置屋群は2000年代初頭まで紆余曲折を経ながらも存続している)

さて、平岡さんと9時頃まで置屋で時間を潰したあと、ナイトクラブに遊びに行くことになった。

店から出て、舗道で流しのバイタクを2台拾う。
平岡さんは、1000リエルで「マティーニ」ナイトクラブまで向かうように交渉した。 主要な市内間の移動であれば、1000リエルで足りる。

2人は一路、オリンピックスタジアム方向に走った。

夜のプノンペンは不気味で、歩行者は誰もいない。 しかも、主要道路以外はめっきり交通が少なくなる。 途中、警察による検問があり、そこで停まると、警官が持ち物を物色するように見回して、手で合図して我々に対して行けと促した。

さらに進んで、工事中の大きな施設(後のインターコンチネンタルホテル)の脇道に入って50メートルほど行くと、少し広い敷地の中に、数件のレストランのような建物が見えた。 店の前にはバイクが並んで駐車していて、入り口付近ではバイタクが客待ちしていた。
我々は入り口の前でバイクから降りた。

プノンペンで最も有名なナイトクラブだという「マティーニ」は、闇市の掘建て小屋という表現がぴったりであった。
世界ケンカ旅行 (カンボジア番外編) 8
「ジュースでも飲んでいこうか?」
平岡さんは、私の返事を待つまでもなく、早足で置屋街の中ほどにある一軒に向かった。 店には特別な看板や装飾があるわけではなく、ごく普通の長屋の一階に飲食店風に店舗を構えているだけである。

彼は、入り口に座って客引きしている遣り手のママさんらしい中年女性に軽く挨拶すると、常連らしい素振りで中に入った。 多分、普段から贔屓にしている店なのだろう。

我々は、4人がけのテーブルに向かい合って陣取った。 2人とも缶コーラを注文したが、1本1000リエルで、特別に高い料金を取るわけではない。 そこらの屋台と変わらない値段である。

「ネーチャンたちに奢らなくていいから」
平岡さんが一言忠告をしてくれた。 

2人が着席すると、さっそく、女の子たちが私にまとわり付いてくる。 私の隣に勝手に座り込んだ娘は、腕を掴んで、「ボンボン!ボンボン!」と言いながら、個室に行こうと引っ張ってくる。 積極的で、いかにもベトナム人らしい。 ちなみに、「ボンボン」は本番の意味であるが、語源はよくわからない。

とりあえず、私にその気はないので、まとわりついてくる女の子の手を振り払う。 すると、軽い癇癪を起こした少女は、私の短パンの袖から手を突っ込んできて、股間を鷲掴みしてきた。 私は反射的に彼女の手を掴んで短パンから引き離した。 置屋にいるというより、やんちゃな女子高生たちと遊んでいるような雰囲気で、まったくもって変な空間がそこに存在していた。

平岡さんは、そんなやり取りをニヤニヤしながら眺めていた。 彼の周辺には女の子はまとわり付いていないので、やはり、常連には積極的なアプローチはしないのだろう。

「よく来るんですか?」
私は訊いた。

「ああ、ここの娘はみんな愛想がいいんだよね」
彼は答えた。

そうこうしていると、見知らぬ日本人らしい客が入店してきた。 その中年日本人は平岡さんと目が合うと、互いに軽く挨拶していたので、彼もこの置屋の常連のようであった。 
男は、入ってくるなり、目当てらしい女の子を呼んで、2人で奥の個室にそそくさと消えていった。 彼が指名したのは、いかにも日本人好み、昭和アイドル風の、目のパッチリ大きい色白の美少女であった。 

「こりゃ、ハマりますね」
私は言った。

「今日は、キミの人生の転機になったかも知れんよ、、、」
何気ない平岡さんの言葉であったが、見事に私の行く末を占っていたのである。
世界ケンカ旅行 (カンボジア番外編) 7
プノンペンの市街が整然とした区画に分かれていることは先に触れたが、もう少し説明を加えねば街の概観はわかりにくい。

95年の時点で、人口はおよそ80万人と言われており、一国の首都としてはかなり小ぶりである。 市街地は南北5キロ、東西3キロのエリアに大体収まる程度で、イメージとしては隣国タイ北部のチェンマイと同程度の都市である。 幅が数百メートルはあろうかという、トンレサップ川西岸に位置し、街の北辺には大きなボエンカク湖がある。
大通りは過去の有力王室から命名され、「ノロドム通り」とか「アチャミン通り」の由来となっている。 その他、 「スターリン通り」とか「毛沢東通り」と言った、共産革命の遺物のような名前の大通りもあった。 それ以外の中小の道路については、北から南、そして東から西に順じて連番で数字が付与されていた。

154番通りと言うのは、プノンペンの中心部であり、近辺には警察拘置所や日本大使館もあった。 決して場末のような土地柄ではない。 何に驚いたかと言うと、そんな場所に置屋街が堂々と存在しているということである。

私は数件並んだ店の前を素通りしたが、その間、少女たちが一様に「アーイ、アーイ」と手招きして呼び込んでくる。 中には、私の腕を両手で掴んで店内に引き込もうとする者もいる。 私は手を払って逃げるようにその場を離れた。 この強引さは、ベトナム人の民族性をよく表している。
途上国にある同種の赤線地帯はずいぶんと見てきたつもりだが、屈託のない笑顔で何ら暗い影を見せない娼婦たちに遭遇したのは初めてである。
ここの少女たちも化粧をまったくしていないが、これは単にそういった化粧品が市中にあまり出回っていないのだろうと気がついた。ただ、それが逆に功を奏して少女たちの初々しさが強調されているのである。
私はこの後、街を散策しつつキャピトルゲストハウスに戻った。


その夜、キャピトルレストランで平岡さんと食事をしていたときの話題は、もちろん、街の中心部に点在するベトナム人置屋のことである。

「で、結局、63番通りはいかなかったの?」
平岡さんは私に訊いた。

「いや、アチャミンからセントラルマーケットに向かったんで、そこはまだ通ってませんね」
私は63番通りにも置屋街があることは情報ノートで知っていた。

「じゃあ、今から行ってみない?」
平岡さんが笑いながら誘ってくる。

「行きますか」
私は応じた。

キャピトルレストランから激しい交通を縫ってアチャミン通りを渡る。 もちろん、市内には信号がまだ一台も設置されていないから、車両と接触しないように充分注意して道路を渡らなければならない。
路地に入ると、両側にフランス文化センターが見える。 200メートルほど歩いて、63番通りに辿りつき、左折する。 しばらく歩くと、前方に赤い灯が連なっているのが見えた。
これは万国共通、赤線地帯のシンボルである。 ざっと数えてみると、通りの両側にそれぞれ6~7軒の置屋があり、中から淡く赤い電灯の光が拡散していた。
それぞれの店では、ベトナム人が座っていたり、雑談していたり、思い思いの時間を過ごしていたが、我々が前を通ると、手招きしてくる。
昼間に見る印象とは、やはり、まったく違う。 

「これで1万リエルってえのは安すぎますね」
私は平岡さんに言った。

情報ノートによると、これらの置屋はショートで1万リエル、この頃のレートで4ドル、日本円でいうと、400円強である。 
世界ケンカ旅行 (カンボジア番外編) 6
特に目的地を定めることもなく、周辺をグルグルと散策してみた。

主要な道路は舗装されていたが、通りを繋ぐ中小の道路はまだデコボコの土が剥き出しになっていた。 整地されていない通りも多く、そこを走るバイクや自動車は足場を選びながら左右にハンドルを小まめに切り返して前進しなけらばならない。 この雰囲気はアフリカ最貧国の裏通りを思わせる。

基本的に、プノンペンには長屋形式の集合アパートのような地区と、広い邸宅が並ぶ地区に分かれていた。
長屋は、間口が5メートルぐらいで狭く、奥に深い4~5階立てのレンガ積みモルタル仕上げの建物となっている。 一階の道路側が店舗になっていることが多い。 邸宅は広い敷地に建てられており、10室程度の部屋数を持つ。 ポルポト時代よりも以前には中流以上の市民か外国人が居住していたと思われる。 隣の邸宅と正面の道路とは3メートルはある高い塀で仕切られていて、さらには鉄条網が巡らされて外部からの不法侵入を防いでいるような家も見受けられる。 ただ、私が訪問した時点では純粋な市民の居住場所ではなく、政府関係機関の出先とか外資系会社の現地事務所として借り上げられている例が多いようであった。
後で知ったことであるが、このような邸宅はポト派がプノンペンを占領すると同時に住人が農村部に強制移住させられて、ほとんどがそのまま行方不明になった。 ベトナム軍侵攻後、ポト派が都市部から追い出されてから、主のいなくなった邸宅に戻ってきたかつての使用人がそのまま居ついて占有してしまった例が多いという。

1時間ほど裏道をあちこち歩いていると、どこかの長屋一階の中から、見知らぬ女性が私に手を振って合図してきた。

「アーイ、アーイ」と呼び込んでいる。 その女性は年齢にして18歳くらいの少女で、肌の浅黒いクメール人ではなく、色白のベトナム人であった。 椅子に座って通行人を眺めている少女は、ベトナム式パジャマを着ていて、スリッパを履いていた。 傍らでは別のベトナム人少女が大きなタライを置いて衣類を洗濯していた。 洗濯をしている少女も、こちらを見つけると笑みを見せて手を振って来い来いと誘う。
その瞬間は戸惑ったが、少し考えて、これが「俗物図鑑」に書いてあったベトナム人置屋なのかと疑った。 強い興味はあったが、私は歩を進めてその場を過ぎ去った。 
別の通りを歩いていると、また同様の少女に遭遇した。 ここに至って、ベトナム人置屋であると確信する。

プノンペンの中心部を歩いてみての率直な印象としては、日本人に理解し易い表現を使うとすれば、やはり「終戦直後の闇市」というのが的確であろう。
もちろん、実際に日本の闇市を知っているわけではないが、映画「肉体の門」「仁義なき戦い」で知っている、あの世界が眼前に広がっているような錯覚を受けてしまう。
ただし、人びとが欲望剥き出しで生存のための闘争を日夜繰り広げているという殺伐としたものは全く感じない。
プノンペンの人びとは明るく、暗い過去を感じさせるものは表情からは伺えない。 乞食でさえも悲惨さを感じないのは不思議である。 この雰囲気はインドの貧困の凄まじさを直視した際に受ける悲惨な印象とは違う。

私はいつの間にか、活気あるセントラルマーケットに辿りついた。

ここはプノンペンのランドマークであり、ここを起点として放射状に道路が展開している。 建物は古いドーム型で、内部は大きな空間となっていて、商人のブースがいくつもならんでいた。 売られているのは貴金属類や宝飾アクセサリーなど、少しばかり高価な物品が多い。
セントラルマーケット周辺にはテレビなどの家電を売る店舗が集中しており、長距離運行の旅客ミニバスが発着する停車場が北側にあった。人びとの都市間移動の主力はこのミニバスであり、せいぜい10人程度しか乗れない車両にギュウギュウ詰めにされて出発する。 荷物はルーフの上にロープで縛りつけるが、走行中に落下しないように、網を掛けて工夫している車両もある。 このようなミニバスが常に10台くらいは客待ちしているが、個人経営なので定時というものはなく、ドライバーは客を詰めれるだけ詰めて、満員になれば発車するという方式となっている。 途上国ではよくある方式であった。

私はセントラルマーケットの周辺を一周して、そのまま南下した。

長屋の前を通りかかると、また少女が声を掛けてきた。 その時、ベトナム人置屋の前を通ったなと思ったが、今度は雰囲気が賑やかである。
少女の数が1件あたり総勢5人くらいになっていて、しかも、同様の置屋が3件ほど連なっていた。

「ああ、これが情報ノートに書かれていた置屋ストリートか、、、、」

私は95年のプノンペン市内にいくつか存在した置屋街のひとつだった154番通りを歩いていたのである。
copyright © 2005 ぼやき大爆発 all rights reserved.
Powered by FC2ブログ.
★付属掲示板へはココをクリック★