FC2ブログ
ぼやき大爆発
世捨て旅行者の雑記帳
尊師の履歴書 (1)
(まえがき)

私が初めて海外旅行をしたのは1974年で25歳の時でした。

海外旅行をしなくなったのは2001年で52歳でしたが、カンボジアの首都プノンペンに滞在している時に体調を崩してしまって、その治療に帰国せざるを得なかったことから、終止符が打たれたのです。

26年間に及んでいたのですが、「出来る限り、陸路での旅行」を心がけていたので、「世界を股に掛ける」という具合に世界一周を果たしました。 アジア・アフリカ・オセアニア・ポリネシア・南北アメリカ・ヨーロッパを主に陸路で回りました。 訪れた国は67カ国と香港、ニューカレドニア、タヒチの3地域なので、100カ国以上も訪れた人から比べると意外に少ないです。

訪れた国の少ない理由の一つは、国の数が多いヨーロッパは物価が高いので避けていたのと、私にとっては「娼婦代が高く、また、遊んでも面白くない」ということで興味が乏しく・・・・・・大好きなアフリカに向かうなり、戻ってくるために立ち寄ったギリシア、イタリア、スペイン、フランスの4カ国しか訪れませんでした。 それも、ギリシアのアテネ以外の全ては単に「通過」するだけで、観光はしませんでした。

アフリカは広大であり、国の数が多く、陸路での旅は過酷なので・・・・・・1度目で一周を果たす予定が、結局のところ4度訪れて一周を果たしたのですが、訪れた国の数は多くありませんでした。
理由は、アフリカ諸国では、各国に日本大使館がある訳でもなく・・・・・・加えて、日本大使館のある国と国とが離れていて・・・・・・おまけに「陸路の移動」となると、道路の事情が悪いのと、交通機関事情が「非常に少なくて悪い」ので、次の日本大使館のある国に辿りつくために、何日、時に1カ月以上もかかり・・・・・・そのような事情ではパスポートの余白が無くなったので、作り変えるということが容易でなく・・・・・・パスポートの余白のページのことを思うと「次から次に隣の国を訪れていく」というのをしたくても、避けざるを得なかったのです。

もう一つの理由はビザ代が50~100ドル前後と高い国が多いので・・・・・・それも、西アフリカには多くの国があるのですが、それらの多くは小国に加えて観るべきものがこれといって無く、陸路で1~2日で通り過ぎてしまうだけなのに、ビザ代が何十ドルもかかるという状態ではどうしても避けてしまうのです・・・・・・加えて、アフリカでは入国や出国の際のイミグレの事情は色々な理由(一つは闇ドルを使っているので、それをうまく処理する必要)があって神経をすり減らしてしまうのが一番きつい・・・・・・因みに、食料事情が極悪・陸路の移動が極悪・連日のテントでの野宿などの「きつさ!」なんて「慣れっこ・覚悟」が出来ているために知れていて・・・・・・「アフリカの陸路での横断なり縦断の際の国境を超えるきつさ」の方が、ずっと、ずっときつい!・・・・・・などの理由があって、無理をしてまで多くの国を回る気が起こらなかったからです。

加えて、1990年以後では、タイに5年半、カンボジアに4年も滞在して女遊びに耽りつづけていたので旅行らしいことを全くせず、増えた国はカンボジアだけだったからです。

そもそも、100カ国以上を回ろうとして、国の数を稼ごうという気が全くなかった。 それを顕著に示しているのが、アフリカに向かうなり、戻ってきた際にヨーロッパに4度立ち寄っても、全く回らなかったことです。

そういう経歴の持ち主の私ですが、大型書店の旅行部門の棚に並んでいる旅行記を出版している殆どの著者に対して、「旅行していた年数と、回った範囲」なら引けを取らないと自負し自惚れています。

旅行に難度の云々はありませんが、それなりのハードな旅行をしたこともありました。

それが言えるのは「アフリカの中のアフリカ」と言われているスーダンの南部を1978年に陸路で1度、ザイール(現コンゴ共和国)を1984年と1988年に陸路で旅行したからで、スーダンの南部の旅行は過酷そのものでした。 

冒険旅行を除いて、その2国の陸路での横断なり一周は、たぶん、世界で最も過酷な旅行の一つと言ってもよいでしょう。

コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
copyright © 2005 ぼやき大爆発 all rights reserved.
Powered by FC2ブログ.
★付属掲示板へはココをクリック★