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ぼやき大爆発
世捨て旅行者の雑記帳
尊師の履歴書 (2)
(就職)

私は1949年生まれで団塊の世代。

中学・高校生のころ、1960年代に世界一周を夢見ました。 その心境は「人生、これ暇つぶし。そういう私は家庭を持つ気もなく、どうせ暇をつぶすなら、窮屈な日本より外国の方は好いであろう。世界一の高峰エヴェレストも見たいし、アフリカで黒人女を抱きたい。周りの大人のように死ぬまで働きつづけるなんて、まっぴらごめん!」 と。
 
期間は、自転車での一周であったので10年間ほどと見積もっていました。 1968年で高校3年生のときは、世界一周を決意したのですが・・・・・それまでの高校生では、一般の人の月給は1万5千円前後と安く、1ドル360円の時代なので、世界地図や世界的に有名な遺跡の写真入りの歴史書などを見て夢見ることは出来ても・・・・・・現実味が乏しく、おまけに外国のことで旅行事情が全く分らなかったので、細かい計画を立てることもなく、また、出来なかったのです。

1968年3月に高校を卒業しても旅費がある訳がなく、給料も2万円前後では「何としても自転車で世界一周をする」と決意していても、どうすることも出来ません。 そういうことより、食べるためには就職するしか道がありません。 ということで、高校3年生で夏休みに入る前に、学校の斡旋で就職先が決まっていた愛知県にある会社に3月23日から勤めはじめたのです。

 実は、その半年ほど前に「25歳に外国旅行に出て、10年後に戻った際、つまり、将来のことを思えば手に職をつけておくのが得策」ということで「サラリーマンよりすし職人になる方がまし」 と決意・・・・・・でも、三重県の田舎で、おまけに在学中のことで、その方面に関しての事情がわからず、仕事先であるすし店は決めていず、漠然としたものでした。
因みに、現在ではすしが世界中で好まれていて、外国ですし職人として多くの人が働いています。 でも、当時ではそのようなことは無く、それで「すし職人」として外国で働くという気持ちは全くありませんでした。

高校を卒業して会社の寮に入って、勤めはじめて4日目くらいに・・・・・・新入社員の仕事仲間らと共に名古屋市の地下街にある「十円すし屋」を訪れた際に、その店の職人さんに事情を語ると、大阪にあるすし店(実際では「すし調理師会」、、職人をすし店に斡旋する会、、)を紹介してもらったので・・・・・・3月31日に会社を辞めて三重県の実家に戻って母に実情を語り、一夜明けた4月1日に大阪に出ました。

すし店と思っていたのが「すし調理師会」で、そこを昼前に訪れると・・・・・・大阪の北区の梅田の地下街にあるすし店を紹介してもらって、入店し、その日から働きはじめ、店の寮に入って、その道に入ったのです。

海外旅行が一般の人に解禁されたのは1964年。
つまり、それまでは一般の人が海外旅行を許されていなかったのを、同年の10月に東京オリンピックが開催されるのを機会に、そうしたのです。

当時の高卒の初任給は2万円ほどで、為替は固定相場制で1ドル360円、持ち出せる外貨には制限が設けられていました。 その額は覚えていませんが、その額では「個人で世界を股にかけて旅行する」というには少なすぎました。 当時の日本には「闇ドル」があり400円強であったそうですが、そこでドルを買い求められる人は一部の人だけで「バックパーカーでは無理」であったでしょう。
また、飛行機代が高いので、バックパッカーにとっては「新潟港から船でソ連のナホトカに渡り、シベリア鉄道でヨーロッパに抜け、北欧諸国のレストランで皿洗いなどのアルバイトをして旅行資金を貯め、それから海外旅行をする」というのが一般でした。

五木寛之著『さらば、モスクワ愚連隊』(1966)は、彼が60年代にソ連や北欧を旅行した経験を元にして書かれたものです。 当時の海外旅行を夢見る者にとって、小田実著『なんでも見てやろう』(1961)と同じくバイブル的存在であったでしょう。
私は高校を卒業して社会に入ってから・・・・・・『なんでも見てやろう』は読みませんでしたが『さらば、モスクワ愚連隊』などの『海外旅行記』の類の本を何冊か買い求めて読みました。 それらの本を読むと、自分でも海外旅行が出来そうな気がしました。 でも、ルートは「自転車での世界一周」といっても「一先ず、船なり飛行機で東南アジア、もしくは、インドに渡って、そこから陸路でインド圏や中近東を自転車で走破してヨーロッパに抜け、そこを一周」 だったので・・・・・・金銭的にも、旅行の仕方についても全くわからなかったので、どうすることも出来なかったのです。 
もちろん、それで諦めることは無かったのですが「何事をするのも、先立つものはお金」 ということを熟知していたので、旅費を貯め込んでいたのですが・・・・・・卒業後はコツコツと預金、23歳からは株を買っていたのです。 というのも、一般の高卒の初任給は2万円前後であったのに、私は「調理師見習い」ということで1万5千円、それもボーナスは微々たるもの。 ただ、職人なので住み込みで食事付きなので、半分ほど残せたでしょうか。 でも「世界一周の旅費」としては微々たるものなので「株」というバクチをする必要があったのです。

現実は、ただ、働くだけ。
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