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ぼやき大爆発
世捨て旅行者の雑記帳
尊師の履歴書 (6)
(安宿 タイソングリート)

バンコク中央駅(ホアランポーン駅) の近くにあるタイソングリートは世界中のバックパッカーの溜り場。

泊まり客の中心は欧米人、その中に日本人が混じっている感じで、総勢は50人ほどか。 日本人は常時10人ほど泊まっていて、宿なので出入りがあり、月当たりにすると数十人というところか。

野郎ばかりで、ほぼ全員が娼婦と遊んでいたでしょう。 長期に滞在している者の多くは月単位・・・・・・中には、観光ビザの滞在期限が1カ月なので、タイのビザを取るために「陸路でタイとラオスを行き来する」 ということをして、2~3カ月ほど滞在していたでしょうか。 私もその一人で2カ月半ほど滞在していたので、その辺りの様子を知っています。

宿泊している日本人の殆どが、ヨーロッパやアフリカからの帰路で、中近東やインド圏を周った人・・・・・・タイからインドに渡って、陸路で中近東を抜けてヨーロッパに向かおうとしている者もいたのですが、わずか・・・・・・オーストラリアを旅行してタイに戻ってきた人に合ったのは一人だけ・・・・・・私のように東南アジアだけを周っている者はほんのわずか。

そういう私は「新米」 ということで、バンコクに2カ月半ほど滞在していたのに、兵ぞろいに恐れて4日間しか泊まりませんでした。

タイソングリートのシングルの部屋は、私の泊まっていた三合吉旅社やジュライ・ホテルとほぼ同じ・・・・・・5畳ほどの部屋で、クーラーはなく、天井に大きな扇風機が付いていて、ダブル・ベッドや粗末な箪笥と机と椅子が備えられ、部屋の中に2畳ほどの水のシャワーとトイレが付いているシャワー室が付いていて、値段は40バーツ(2ドルで600円)でした。

1階は中華の安食堂になっていて、そこで3食とも済ませる者が多かったでしょう。 内容は、焼き飯なり、豚入りのおかゆなり、ラーメン(バーミー・ナム)や米で出来たウドン(クイテオ)だけという質素なもので、値段は3~5バーツほど。 でも、インドでの安食堂での連日で3度の食事の30円弱のカレーから比べると、雲泥の差があったのでしょう。

昼でも夜でも、タイソングリートの2階の受付には18~30歳過ぎの「夜の蝶」が何十人も集まって来ていて、ショートなら40バーツ、オールナイトなら150バーツ・・・・・・彼女らは外人慣れしているので、鼻の下を長く伸ばしている日本人旅行者に媚を売る・・・・・それだけでなく、そこにいる中国系の宿の従業員が、旅行者の部屋を訪れて女を勧めにくるのです・・・・・・それも従業員には斡旋料として3割の手数料が入るので、執拗を究めていました。
さて、日本人は常時10人ほど泊まっていましたが、どれほどの割合で娼婦を買っていたのでしょうか。
私は、タイソングリートに4日間しか泊まらなかったので、その辺りは定かでありませんが、たぶん、私のように連日で買っていた者が結構いたでしょう。

タイソングリートは旅行者の溜り場の宿なので、白人や日本人のバックパッカーの出入りは激しかったのですが、少なくとも数日は泊まっていたでしょう。 というのも、バンコクはエアー・チケットが安いので、帰国するなり、次の旅先地に向かう場合に、殆どの人がバンコクでエアー・チケットやビザを取るので、その期間が必要だったのです。
もちろん、娼婦と遊びまくりたい為に1カ月、それ以上滞在している者も、それなりの人数になっていたでしょう。
 
ヨーロッパやアフリカを旅行してきた彼らのほぼ全員が、タイソングリートに屯している娼婦と遊んでいて、1日10ドル前後で済ますのが普通で、ケチを貫いていました。 でも、バックパッカーならそれが当たり前、少しでもタイに長く留まって女と遊びたい気持ちがあったからです。

私は「持っているお金を全て使い切る」 と決めていたので、また、旅慣れていないこともあって(後々に気づく、現地でのお金の価値観がわからないので) 「すべてが安い」 ということになり・・・・・・1カ月500ドルほど(15万円で日本での1カ月強の給料) 使っていたのですが、バンコクでどういう暮らし振りであったのか、想像できるでしょう。
一般の日本人どころか、全ての日本にとって「日本ではありえない」ことが起こるのです。

当時のタイの観光ビザでの滞在期限は1カ月、タイに3度入国したので、タイに3カ月滞在、バンコクには合計で2カ月半ほど滞在、その間に一人で寝たことはなかったはず。
食事も、夕食のときは、日本人は私が一人だけで、それなりに贅沢をしていたのですが、決して高級料理店に入ることはせず「食堂」ばかり。 シンガポールを旅立つ時に75万円持って7月に旅立ち、11月末に帰国したので4か月半ほどの旅行・・・・・・実家に戻ったときは3千円を切っていました。

話が横道にそれますが、と断って。
バンコクの中央駅の近くにあるバックパッカーの溜り場タイソングリートについて、少し述べましたが、 その当時のバックパッカーの溜り場は『タイソングリート』だけでなく、他にもありました。

中央駅の近くある『南洋旅社』『明星(ペプシ)旅社』もそうであり・・・・・・他の地域にあるマレーシア・ホテルを中心として、その周辺にはバックパッカーを相手にしているゲストハウスが多く集まり、それを顧客にしている旅行会社が4軒ほど集まっていました。

現在のバンコクのバックパッカーの溜り場はカオサン通りになっています。 でも、1970年代では、「外国人のための観光区域」としては、全く開発されていませんでした。

バンコクの日本人旅行者の溜り場として、中央駅の西側に広がっているチャイナ・タウンにある『楽宮旅社』と『ジュライ・ホテル』は有名です。 1975年や1977年でも存在していたのは確かですが、でも、「日本人旅行者の溜り場」 として開発されていなかったでしょう。
というのも、私がその当時バンコクに滞在しているときに、その名前を聞いたことがなかったからです。 

その両方の宿は、現在でも建物は存在していますが、両方とも閉館になっています。
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