FC2ブログ
ぼやき大爆発
世捨て旅行者の雑記帳
尊師の履歴書 (7)
(帰国して再就職)

1975年11月に東南アジアの旅行から帰国した私ですが、世界一周を果たすためには、海外で娼婦とやりまくりたいのなら、先立つものはお金・・・・・・ということで、資産家の御曹司でないので働くことになります・・・・・・また、欲があるので「働くな!」と言われても働きます。

すし職人であったので、大阪にあるすし調理師会に出向くと、当日に、住込みの仕事にありつけました。 この辺りが職人の良いところで、仕事先は広島で給料は手取りで15万円。
1年半前に日本を出る時の給料は8万円弱であったので2倍に跳ね上がったのです。

確かな理由がありました。
1973年にオイルショックが起こって、74年の日本では24%もの狂乱物価に見舞われ、それに従って給料も跳ね上がり、加えて、働く場所が大阪近辺でなく広島なので2割ほど割増しになったのです。 当時の30歳前後の一般労働者の給料は13万円ほどでしたが、すし職人よりボーナスが多く、退職金などを考慮すると、同じ程度であったのはないでしょうか。

15万円の手取りでしたが、1年後に計算すれば、月に14万円ほど銀行に入れたことになります。 
職人ということで、住込み、食事付き、それに、私は酒・タバコを嗜まないので出費を抑えられ、加えて、休日出勤の手当てが付いたから、それほどの割合で預金できたのですが、 そういう事よりも、東南アジアより10~20倍も物価の高い日本では、無駄遣いをするのが馬鹿らしかった。 というより、タイの安娼家に行けば、18歳前後の女の子を500円前後で抱けると思うと、お金を使えなくなってしまったのです。 
という訳で、出費は、すし職人ということで毎日の銭湯代は必要でしたが、週に1度の休みの日の2度の食事代に加えて、石鹸・洗剤・歯磨き粉などの雑費くらいで、娯楽・遊行費の類はゼロに等しかったのです。 それは私だけでなく、個人で長期の海外旅行で、私のように美味しい目をした者で、再度外国旅行を目指した者の大半が、私と同じように仕向けていたので、宿命であったのです。
 
前回の東南アジアの4カ月半ほどの旅行の経験では「金銭的に余裕がある」 ということで、また、外国なので、回る国の事情を調べることも、計画を立てることも出来なかったのです・・・・・・でも、途中で、白人や日本人のバックパッカーに巡り合って、旅行はそれなりにスムーズに運んだので、その必要性を感じなかったのです。

それもありましたが、私の経験でも、バックパッカーの返答でも、外国・・・・・・それも東アジア・東南アジア・ヨーロッパ・北米以外のインド圏・中近東・アフリカなどでは思い通りに事が運ばないので、情報を集めてもそれほど意味がないのです。
実は、4度訪れたアフリカの旅の全てで、それを思い知らされたのでした。

付け加えるなら、アフリカの陸路で縦断・横断をした者にとっての情報は「地図一枚」 があれば十分なのです。それは、世界中の旅先地に「旅行者の溜り場」が存在しているからです。
たとえそれが無くとも、つまり、全く情報が入らなくても「なんとかなるもの」 なのです・・・・・・また、「ならなくとも」よいのです。どうせ、暇つぶしなのだから。
アフリカはそういうことを教えてくるところなのです。

要は「御足」である旅費を少しでも多く貯めることです。
それも、私にとっては娼婦と少しでも数多く遊ぶために。 それだけのことです。

因みに、日本人旅行者は「貧乏旅行者!」 と見栄(?)を張って恰好を付けても、それなりの旅費を持っているのが普通です。
対して、インド近辺にいるフランス人やイタリア人旅行者の多くは・・・・・・日本人にとって「呆れるほど持ち金が少ない」 というのが実情です。 両者が異なる理由は「日本人は島国なので、帰国する際にそれなりのお金が必要」 なのに対して・・・・・・「ヨーロッパ人にとってのインドは『陸続きのため歩いて帰れるので、何とかなる』」 ということになるらしいのです。 ヨーロッパ人は遊牧民族の文化・気質がまだ、色濃く残っているのでしょう。
つけ加えれば、片言の英語の会話力を身に着ける必要がありますが、旅先で覚えてゆくものです。 私はシンガポールで1年間働いていたので、旅の情報を仕入れるくらいの会話力が育っていました。 でも、白人と日常会話を交わす会話力はありませんでした。
コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する
 
copyright © 2005 ぼやき大爆発 all rights reserved.
Powered by FC2ブログ.
★付属掲示板へはココをクリック★