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ぼやき大爆発
世捨て旅行者の雑記帳
尊師の履歴書9
(第2回旅行の準備)

1975年11月から働きはじめると、予想していたより高給であったので月に14万円と、予想より2倍も預金ができ、それがコンスタントに預金通帳に打ち込まれてゆくことになる。

1年が過ぎ去った1977年の正月を迎えたころには170万円を超えていたであろうか。
前回の旅行中で、次の旅行の旅費は少なくとも5千ドル、理想は1万ドルと決めていた。 その5千ドルをクリアしていたので今年中に、それも、ベストと予定していた夏には旅立てる目途が立ったのであった。 少なくとも2~3年は覚悟をしていたので、頬が緩んだのも当然であった。

10月にエヴェレストを仰ぎ見るためには日本を8月までに旅立つ必要がある。 2カ月もあるのだが・・・・・・・韓国・香港・台湾・タイ・ビルマ(現ミャンマー)を経由する計画を立てていて、それらの国や地域の全てで、女遊びをする予定でいたからであった。正直なところ、別に必要がなかったが・・・・・・高校生の頃に、そして、前回の旅から帰国した際に「訪れた国の全てで、娼婦でも良いから女と必ず肌を合わせて、情を交わすこと」 と決意していたので、それを果たすためであった。 高校生の頃には、その面でもっと多くのことを考えていたのだが、述べると長くので止めておこう。  
内容は別にして「少年よ大志を抱け」というクラーク博士の名言があるじゃないですか。

1977年3月に広島の店を辞め、大阪に戻ったのであった。

理由は、次の旅行の情報を集めるのと、旅行の装備を整えるためには広島より大阪の方が好いと判断したからで・・・・・・すし調理師会に顔を出すと、紹介されたのは大阪市内でなく、奈良の桜井市にあるすし店であった。
ここでも、前述した面で都合が好くないということで、4月末に店を辞め大阪にあるすし店で働きはじめたのである。

この身勝手な行動に対して自分のことながら呆れ果ててしまったのであった。
その意味の中に、その当時ではバックパッカーが少数のために『地球の歩き方』のようなバックパッカー用のガイドブックが一冊も発行されていなかったので・・・・・・・地方都市では旅の情報の収集も、長期の旅行用として気にいったリュック・寝袋などの装備を買い求めるのが難しかったのだ。
それで、大阪に戻ったのだが、装備を整えることは出来たが、旅の情報を集めることは全く出来なかったのに等しかった。

予定通り7月のある日に、大阪にある店を辞めてから旅支度を始めたのであった。

2度目の海外旅行であったが、最初は仕事であったのと、後の4カ月半の東南アジアの旅行は「視察」であったので、2度目の今回が、私としては初めての「世界一周」への旅立ちであった。

前回は仕事であったので、カメラもバックパッカーの必需品であるリュック・寝袋も持参しなかった。  でも、今回はネパールのヒマラヤを訪れるのでそれらを買い求めた。
カメラはエヴェレストを撮影したかったのでペンタックスの一眼レフと、 200 ミリの望遠と広角の2本の交換レンズを買い求めたので装備を揃えるのに15万円ほどかかったであろうか。  荷物の総重量は覚えていないが8キロ弱か。

出国時は1ドル265円で9000ドル弱。  円に換算して240万円弱ほど。
5千ドルのトラベラーズ・チェックと・・・・・・闇ドル用として4千ドル弱のドル・キャッシュ(もしかして、合計で1万ドル弱であったかもしれない)。
たぶんであるが、当時のバックパッカーの中では最も多い金額の部類であっただろう。  それがわかったのは旅立ってからのことで、2年と4カ月の期間中に5千ドル以上を持った日本人旅行者に1人も出あわなかったからである。

編者注: 闇ドル、あるいは闇両替とは、銀行などの公的機関で両替するのではなく、私設の非公認両替所や個人間で現地通貨に両替すること。 陸路の国境に到着した場合など、事実上、闇でしか現地通貨が入手できないことが大半であり、需要があるので必ず両替屋がいる。 隣接する国の通貨か米ドルの現金で行われるのがほとんどで、高インフレの国では公定レートよりも割増しになるのが普通で、社会主義的通貨政策をとり、公定レートと実勢の乖離が極端な国などは数倍もの金額になった。 
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