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ぼやき大爆発
世捨て旅行者の雑記帳
尊師の履歴書21
(過酷な旅)

1970~1980~1990年代で、世界を股にかけて旅しているバックパッカーから、南スーダンとザイール(現コンゴ共和国)は「アフリカの中のアフリカ」 と呼ばれていた。 

両国とも広大であるが、陸路での横断・縦断・一周ともなると過酷を究めた。

スーダンではナイル川の定期船での船旅(私が行った後に『地獄船』と呼ばれた)、ザイールではザイール川の定期船オナトラで川船の旅ができた。 現在では両方とも運行されていない。
西アフリカにはニジェール川が流れていて、マリ国のガオ・モプティ間を定期船が運航されているのだが「トンブクトゥ」に立ち寄る。 それらの川船の旅は3つともバックパッカーの間では垂涎の的であった。 南米大陸を流れているアマゾン川の川船の旅もその面では同じであった。 中国の揚子江の「三峡下り」や桂林の「漓江下り」の船旅はバックパーカーの間で「垂涎の的」ではなかったが、世界的に有名である。

私はそれらの国を全て訪れ、陸路で旅をし、全ての川の定期船・遊覧船の起点から終点までの船旅を体験!・・・・・・その事により、それらの陸路の旅や船旅のようすが比較ができるのだが・・・・・・陸路の旅も川船の旅も、アフリカのザイールより、スーダンの方が遥かにきつかったのだ。 船旅に関しては、ザイール川の定期船オナトラは快適であり、実に楽しかったのだ。

人生という旅路は起伏が激しいほど面白いと言えるが、スーダンの旅はまさにそれであったが、そのきつさ、楽しさは、そこを訪れないと理解できないであろう。

その「きつさ」 の最大は「何日も、何時間も待たされる!」 であったが、アフリカの旅行ではそれに加えて「国境を陸路で超える」 というものであった・・・・・・その「待たされる」 の苦痛は、1978年に初めて訪れたアフリカの大地のエジプトで「40日間ほど待たされた」で味わっていたのだが、また、「アフリカの広大で交通手段が整っていない大地を横断なり、縦断する者にとっては常識」であったが・・・・・・1978年のその時点では、そのような事は、アフリカは初めてのことで知るはずもなかった。

その二つの苦痛から比べると「食い物が極悪」「宿泊する場所も最悪」「何日もトラックの荷台のみに乗っての移動。その際にテント無し、テント有りでの野宿が当たり前」 ということは小さいことであった。 
付け加えるなら、それらの苦痛に嫌気がさしたなら、それに対しての意味の無さを感じたなら・・・・・・それらの国を「知らなかったから訪れることが出来たが、2度と行きたくない」 ということになる可能性が大であろう。

エジプトの南部のナイル川にあるアスワンから、ナイルを堰き止めてできたナセル湖を船で1泊2日かけて渡って(約350キロ)スーダンの北端の町ワディ・ハルファに到着。

外国人旅行者は10人ほどの男女であったが、私以外は全て欧米人。 その殆どが、陸路でナイロビに抜ける予定であった。 
それが、誰一人としてアフリカの地図もガイドブックも持っていなかった。 ミシェランのアフリカの地図が発行されていたのにもかかわらず。
私なんか、その存在すら知らなかった。 そういう我々はワディ・ハルファから約1000キロ離れている首都ハルツームまで、列車で行けることは知っていた。

でも、それ以南のスーダンからケニアに抜けるコース(約2000キロ)はまったく分からない状態であった。 

ただ、陸路のルート3本だけしかなく、(でも、実際は雨期であったので川船を利用しなくてはならなかったので2本だけ)・・・・・・必要期間は「最短でも、1カ月は要する」と予想していた。 

約2000キロの移動だけなのに、最短で1カ月、普通で1カ月半、長くなった場合なら3カ月以上も。
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