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ぼやき大爆発
世捨て旅行者の雑記帳
尊師の履歴書22
(スーダン)

現実は次のようなものであった。

6月にヨルダンから空路でカイロに到着。 それが、スーダンの国境が閉ざされていて移動が不可能。 40日後にスーダンのビザが取得できて入国が可能になる。

7月のある日にカイロをスタート。 列車であったがルクソールに立ち寄って1泊して観光。 列車でアスワンに向かう。

アスワンからナセル湖の湖船でスーダンのワディ・ハルファに向かうことにする。 それがワディ・ハルファからハルツームへ向かう列車が「スト中」なので数日ほど待たされてから乗船。 距離は350キロほどで1泊2日の船旅。

ワディ・ハルファから約1000キロ離れている首都ハルツームまでの列車は2泊3日。 バックパッカーは約10人。 サハラ砂漠(ヌビア) 越えであったが、冷房が入っていない車内は灼熱に加えて砂煙。 
列車のストとラマダン(断食月)が重なったので、ワディ・ハルファでも、途中の駅でも食量が殆ど手に入らず、ビスケットが二握りほど。 喉が渇くのであったが用意している水は水筒の分だけ。 車内には食堂車がないので入手が不可能。 深夜に立ち寄った暗闇の駅で現地人と共に水道水をガブ飲み。 
朝目覚めて、昨夜手に入れた水筒の水を飲もうとすると、中身は泥水に等しかった。 それでも、唇を濡らす感じで飲み続けたのであった。 それが、下痢どころか、便を催すこともなかった。 
10人ほどのバックパッカーの皆も同じ。 食べた量が少なく、大量の汗を掻いたからであろう。

ハルツームから南に1300キロほど離れている南部のブラック・アフリカで最大の都市ジュバまで向かう方法は3通り。 
一つは、公共交通機関が全くないので、トラックをヒッチして行く。 でも、雨期であったので不可能。 一つは列車でワオまで行き、そこからトラックをヒッチしてジュバまで行く。 一つはワオ行の列車でコスティまで行き、そこでナイル川を航行する定期便に乗船。

選んだのは後者であったが、私を含めてバックパッカーは8人ほどか。 その中には、我々より以前にハルツームのユースホステルに泊まっていた者が4人居たのだが、彼らはナイロビを目指していなかった。

ハルツームから300キロ余りのコスティまでは列車で移動。 
南部の町ワオまでであったが、週に1便ほどであったが、1週間待ち。 夜行便で、ジーゼル機関車が15両ほど牽引している列車であったが、全ての車両は立錐の余地もないほどの込みようなので、カナダ人と共に列車の屋根で一夜を明かす。 危険ではあったが、寝袋の中で足を伸ばして、ぐっすりと寝られたので快適であった。

コスティからは、ナイル川をコスティ・ジュバ間の約1200キロ余りを往復している定期船で向かった。 
月に2便ほどであったろうが、船待ちに9日ほど、川を遡上する船旅は10日間ほど。 船内では、レストランも売店もなかったので、全く食料が手に入らず、10カ所ほどの寄港地でも「ラマダン」ということで、ほんの僅かした食料が手に入らなかったので・・・・・・その面では最悪であったが、船旅としては「全てが物珍しく、途中でブラック・アフリカに入るとそれが加わって、最高!」であった。

到着したジュバは憧れのブラック・アフリカ。 
ジュバから約450キロ離れているケニアの国境まで抜けるトラックは週か2週間に1便しかない。 公共交通機関はなく、ヒッチのみであったが、トラックは普通で3日間ほど要する。 
宿もレストランもなく、野宿を強いられる。 この時点ではそれを、知らなかったが、実際に行ってみると、食糧持参が必要であったが、持ってはいなかった。 極悪の悪路を意味していた。

ジュバで出会った日本人と共に2人で、「ビザを持っていない」 ので隣国ウガンダに入国できないのを知りながら、駄目元ということで目指す。 公共交通機関がないので、トラックを有料でヒッチ。 現地人と共に荷台に乗り込んでの移動。 

ウガンダに入国はできたのだが、ビザを取れずスーダンに戻らされる。 往路は合計で600キロほどの移動。 でも、ビザの手続きで2日間要したので、数日ほどの行程であったが・・・・・・私にとって、現地人の黒人の自給自足の生活を見て、色々と考えさせられたので、まことに意義深い旅であった。

川船でジュバに到着してから10日間ほど後に、ケニアに向かうトラックを旅行者仲間ら4人でヒッチ。 
予想したとおり悪路であったが、実際のところは、それをはるかに超えていた。 ヒッチしたトラックにアクシデントがあって、川原で3日間立ち往生したので、ケニアのロキチョキオにたどり着けるのに6日間も要した。 途中で、食糧が殆ど手に入らなかったので悲惨であった。 おまけに友達の日本人は、川原でトラックが立ち往生している際に、マラリアが発病してしまって、その後では、川原に「寝たきり」 で2泊、1日はその状態でのトラックのキャビンの中での移動であったので、厳しさは計り知れないものであったろう。

正直なところ「やばかった!」のだ。 それは、私も同然であったが。

ケニアに入国して最初に泊まった町はロドワル。 
赤道を越えてナイロビまでは約800キロ。 仲間ら5人でトラックをヒッチしたのだが、夜行便で荷台に乗り込んで、穀物の積荷の上で寝袋に入ってごろ寝。 ロールスロイス以上の乗り心地であったろう。 

9月末にナイロビに朝方到着。

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