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ぼやき大爆発
世捨て旅行者の雑記帳
尊師の履歴書23
(ブラックアフリカを振り返って)

カイロ→ルクソール→アスワン→(湖船)ワディ・ハルファ(スーダン)
ワディ・ハルファ→ハルツーム→コスティ→(川船)ジュバ
ジュバ→イエイ→オラバ(ウガンダとの国境の村)→アルア→オラバ→ジュバ (ヒッチ)
ジュバ→トリト→カポエタ→ケニアの国境→ロキチョキオ→ロドワル→ナイロビ (ヒッチ)

箇条書きにすればそのようになる。

実際のところはそのような単純なものではなかった。 
列車・川船・ヒッチでのトラックの荷台に乗っての移動は、乗っていれば良いだけのことで辛いことは無かった。 そうではあるが、食い物に困り果てたのだが、ラマダンの時期であったので、それに輪をかけたのだ。それも辛かったが、カイロでスーダンの国境が開くのを、また、乗り物を待つことが最も辛かったのであった。

北スーダンはアラブ系でイスラム教の住民。 南スーダンは黒人系で、町に住む人はクリスチャンが多く、田舎部は土俗の宗教。 
当時や、それ以後でもバックパッカーの南スーダンの黒人の評価は「ナイス・ピープル」、それも世界一と言えるほどで、悪くいう人に出会ったことはなかった。 ただ、訪れた欧米や日本人旅行者は極めて少なかったであろう。 
「好き者」なり「厳しさを知らなかったからこそ、行けた!?」と言えたであろう。

因みに、そのような旅を経験して「アフリカに魅了」 された者は「再三に渡ってアフリカに向かうことになるが、これが「好き者」であろう。 対して「懲りてしまって二度と行きたくない」 という者も少くないが、この手の人は・・・・・・。それほど、アフリカの横断・縦断の旅行はきつく、それ故に面白いのだが、マゾッ気があるのだろうか・・・・・・そうであろうが、好奇心が旺盛なのであろう・・・・・・それも、自分の内なる世界に対して、また、それを発見・開発することに対して・・・・・・観光や視覚の旅行は卒業したのだ。

南スーダンは人口密度が極めて低いので、交通網が未発達。 田舎部は電気も水道もなく、畑作の自給自足の質素な生活。 それに、素晴らしさを感じたのだが、説明をすると長くなるので「老子や仏陀が理想とした生活」とだけ記しておこう。

スーダンのコスティからナイルを遡上する船上から見るブラック・アフリカの景色・・・・・それも寄港地であった町や集落から離れた地域に差し掛かると・・・・・・男性は素っ裸のふりちん姿でパンツもはいていない、女性はトップレスの姿が見られる・・・・・・また、ジュバに着いた後の南部の黒人の住んでいる地域の砂利道を、トラックをヒッチして、荷台に乗りこみ、そこからは・・・・・・「道を歩いている男性は素っ裸のふりちん姿でパンツもはいていない。 女性はトップレスで皮のパンツを穿いている」という姿を稀に見かけた。

両方とも、布や貨幣の文化が入っていないだけでなく、農耕らしいこともしなくて、自給自足で小規模の牧畜と狩猟採集で小規模な集落を形成して暮らしているのであろう。 それらを思い合せると、縄文時代の人々の暮らしとそれほど変わらないであろう。

私の知っている限りであるが、アフリカは広いが、そのような原始的な生活で暮らしている人はほんの一部の地域だけであろう。 

南スーダンではそういう人々が砂利道の幹線道路を歩いている姿をたまに見かけられた。 ただ、人口密度が極めて低く、また、平坦な大地に設けられた道路沿いには、そういう裸族の集落が全く見当たらない。 それどころか、道路沿いある集落と集落の間は何十キロ、場所によっては100キロ以上も離れているので、裸族の集落の様子を見たことは無かった。 今となっては、それがとても残念である。

私としては、人口が過疎な南スーダンを旅してからでは、長期の旅行者にとって「『泥棒や強盗が出るなどして治安が悪い』 という状況は極めて安全である」という事になってしまったのである。

理由は治安が悪いというのは都会であるが、そこには食料と水が豊富にあるので、命には別条がない。 でも、人口が極めて過疎な場所では「何十キロに渡って食料が入手できない区域」があり、そこで、アクシデントがあった時には「生命が危険」になる恐れがあるからである。 日本でなら、人家がまったくない山深いところでの登山、外国でなら、沙漠の横断の旅を思い浮かべれば、その辺りの様子が理解できることになる。 私はヒッチでサハラ砂漠を2度横断したが、まさにそれを感じた・・・・・・「命が一番大切!」ということであるが・・・・・・それを超えて「捨て身になる」という心境にならないと、世界を股にかけての旅行なんて、出来やしないであろう。

スーダンの南部で初めてブラック・アフリカを訪れたのであったが、感動のしっぱなしであった。

編者注: 詳くは書きませんが、スーダンは80年代に内戦が始まり、その後はバックパッカーが陸路で縦断できるような政情ではありません。 2011年、ジュバを首都として、南スーダンが正式に独立したものの、国境紛争や内戦の危機を抱えながら現在に至ります。 日本の自衛隊もPKOでジュバに派遣されたのが記憶に新しいところ。
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