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ぼやき大爆発
世捨て旅行者の雑記帳
尊師の履歴書24
(ケニア)

9月末にナイロビに到着。 元気そのものであった。

それが、4日目でナイロビのバックパッカーの溜り場イクバル・ホテルに泊まっているときに発熱。 その3日後には40度前後の発熱で悪寒がし、全く食欲がなくなり、朦朧となって眼を開けていても、閉じていても「眼前に、フィルムのネガ写真」のような幻覚が表れるようになったのである。

友達が、スーダンでマラリアを発症したので「自分も?」 と思って、病院に行くとマラリアと診断されて、注射の治療を受けたのであった。
1泊だけであったが生まれて初めて入院。  翌日退院したときには熱が下がっていたが、ガクッと体力は落ち、食欲も長いこと回復しなかった。  それは、マラリアに罹った友達も同じであった。

先に記せば、体力が回復したということで、ケニアに1カ月滞在しただけで、インド洋に面しているモンバサ港からケニアの南側の隣国タンザニアの首都ダルエス・サラームに海路で向かったのであった。
タンザニアでアフリカ最高峰であるキリマンジャロに登頂した後に、南アフリカのケープタウンに向かうためであった。

因みに、当時では「ケニアから陸路でタンザニアに入国」 というのは出来なかったので、海路でタンザニアに向かったのであった。

この文章を書いている2011年の今となっては、「あの時、どうしてケニアの首都ナイロビに約1カ月しか滞在しなかったのか」 が、不明である。  というのも、日本を出るときでも、ナイロビに辿りつくまでの、旅行中の計画でも、そうではなかったからである。

ナイロビは広いアフリカの中で唯一といえるほどバックパーカーが長期で休憩できる場所。  それだけでなく、タイのバンコクと同じで、当時のバックパッカーにとっては、物価が安く、食べ物も美味しくて治安がよく、なおかつ、色町であり黒人娼婦と安く遊べるので、ナイロビに辿り着く前までは、少なくとも2カ月は滞在する予定でいたからである。

ナイロビのバックパッカーの溜り場はラテマロード沿いにあるイクバル・ホテル。  欧米人も日本人も泊まっていたが、収容人員は50名ほどで、日本人は常時10人前後いたであろうか。

東南アジア・アフリカ・中南米ならどの町でも娼婦がいて遊べる。  でも、旅先で、1人で女遊びをするだけでは「話し相手がいないので、暇を持て余してしまって、つまらない」  ということになって、3日、長くても1週間で飽きてしまう。
私の初めての旅行は東南アジアであったが、フィリピンのマニラに「一人ぼっち」 という感じで、ノービザで入国できる滞在期限の21日間滞在していたのだが、それを痛切に感じた。

バンコクのバックパッカーの溜り場であったタイソングリートのように「月単位で女遊び」 をするためには「日本人の溜り場であることが必須条件」 となる。
話し相手がいるので、暇がつぶせるからであるが、そういうことよりも、同じ場所に留まってたった一人で娼婦遊びを長くつづけていても面白くないからである。

セックスの楽しみとはその程度であることを如実に示しているであろう。

イクバル・ホテルは日本人のバックパッカーの溜り場であったので、前述した内容が備わっていたが・・・・・・アフリカで日本人旅行者にとってその条件を備えていたのはナイロビだけであった。
この時は1978年であったが、1980年代でも1990年代でも、それは変わらなかった。

この時は1978年であったが、この時期にバンコクで楽宮旅社、その何年か後にジュライ・ホテルが日本人専用の溜り場になったのであった。
両方とも、宿に娼婦が何人か住みこんでいたので、日本人の泊り客の何割かが女遊びをしていたのだが、また、それが出来たからこそ、好き者が集まって来たともいえるであろう。

私の実際のところは、1979年に日本をで、同年の10月に入る前後にバンコクをスタートした時点で、「ナイロビにたどり着ければ、念願の黒人女とやりまくれる!」 ということを夢見て旅してきたのも同然であった。

それなのに1カ月ほどしか滞在しなかった。
それも、マラリアの後遺症で、直ぐには女遊びを出来なかったので、遊んでいても10日間ほどであったろう。

実は、この文章を書いている2011年の今となっては、「あの時にナイロビで女と遊んだ」 という記憶が全く残っていないので・・・・・・ゼロではなかったと思われるが、ほんの数人ほどか。
それでも、ケニアを出たのであったが、今としては、その理由がわからない。 想像するしかないが、遊んでもマラリアに罹って体力を落としていたので挿入したものの、勃起の具合が悪かったので、「これでは駄目だ」ということで、逃げるが如くにケニアを出たのであろう。

実は、1992年にタイのバンコクでマラニアによく似た症状である「デング熱」に罹ったのであったが、症状は別にして、後遺症はもっときつく「食欲や性欲が出て、セックスが行える」 ようになるまでには1カ月ほども要したのであった。
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